見出し画像

いるかの海

「あなたの子どもの頃からの夢はなんですか?」

憧れていたこと、いつかやってみたいと思っていたこと、誰にでもきっと、心躍る「何か」があると思います。

子どもの頃の私は、「生まれ変わったらイルカになりたい!」と公言するくらいのイルカ好き。野生のイルカと泳ぐことをずっと夢見ていました。しかし気づけば、20代後半の疲れた社会人。幼き日の夢は、深い記憶の海に沈んでいました。

国内旅行を計画した今年のゴールデンウィーク、たまたま訪れた能登半島で、七尾湾という静かな海に、イルカの家族が住んでいることを知りました。まだ水温が冷たい季節でしたが、イルカに会いたい気持ちを抑えられず、彼らのおうち、七尾湾にお邪魔することに決めました。

申し込んだのは、「ドルフィンスイム」という、ウエットスーツを着て海に入り、イルカと泳ぐ体験コースです。
「ついに野生のイルカに会える!」と逸る気持ちを抑えながら、マスクやシュノーケルの使い方を教えてもらいます。ダイビング経験はあるものの、久しぶりの海で緊張していました。船に乗り、イルカに会ったときの注意点などを聞きながら、少し不安な気持ちも沸いてきます。

「水族館でしか見たことのないイルカたち。実際に目の前にしたらどんな気持ちになるだろう。人には慣れているというけれど、噛まれたりぶつかってこられたりしたらどうしよう。反対に、私たちを怖がって近づいてきてくれなかったら切ないな。そもそも、この広い海で、本当にイルカの家族を見つけられるのだろうか...。」

いろんな思いをぐるぐるさせながら、気づいたら船は沖に出ていました。

「このあたりにいるはず」ガイドさんが指さした先に目をやると、波のあいだに小さく直角三角形が見えます。さすが長年イルカたちと過ごしているガイドさん。「おはよう!」と、家族のように彼らに声をかけます。

水に入ると5月の冷たさに心も身体も引き締まります。

「ブクブク...」水中を覗き込みながら静かに泳いでいると、私たちのすぐ下に大きな紺色の影が現れました。想像以上の大きさに、人間の小ささを実感します。「カチカチ...」とイルカたちの会話が聞こえてきました。

ここは彼らの海。イルカファミリーの住処です。

「お邪魔します、一緒に泳いでもいいですか?」音にならない言葉を一生懸命彼らに伝えました。

私たちの近くをぐるぐる泳ぐイルカたちが、ひとり、ふたりと増えていきます。「私たちの海にいらっしゃい」という微笑みをもらったかと思えば、「こんなところで人間が何してんのさ、物好きだねえ」と一瞥されたり、目が合うたびに心臓が高鳴ります。一回り小さい子もいます。今年生まれた子どもだそうです。「一緒に泳げる?あたしに付いておいでよ」と少しやんちゃな表情を向けてくれました。慣れないフィンをバタバタさせて、彼らを追いかけます。少し薄暗い海のなか、彼らを追いかけていたら知らない世界に迷い込んでしまいそう…

しばらく泳いだところで、ふと足先がとても冷えていることに気づきました。もうすぐお別れの時間です。

帰りの船のなか、冷えた身体を揺すりながら考えます。ここは日本の七尾湾。でも海を覗いたら、そこはイルカたちが住む別の世界でした。パソコンの画面越しでは異文化を理解しきれないように、陸上の水族館のガラス越しではわからないことがたくさんありました。ほんの数十分でも、彼らの星にお邪魔して会話できたことが嬉しくてなりません。言葉の通じない外国か、はたまた他の惑星から帰ったような気持ちで帰路に就きました。

イルカたちの安全のため、彼らの身体に触れることはできませんでしたが、同じ海を一緒に泳いで、ほんの少しでも彼らの心に触れられたような気がしています。
人間だけの地球ではないこと、海には人間以外のたくさんの生き物のおうちがあること、頭ではわかった気になっていたことを、身体経験を通して、全身で感じた一日でした。

ちなみに、子どもの頃の夢を叶えて、一つ気づいたことがあります。それは、幼い日の「私」が普段いかに心の隅に追いやられているかということです。イルカに会ってからというもの、なんなら、半年が経った今でも、子どもの頃の「私」が長い眠りから覚めて、はしゃぎだす感覚があります。

「子どものままでは生きられない」そんな世の中かもしれません。でも、生きる喜びを感じられない日々を過ごしている人にこそ、幼い頃に好きだったこと、憧れていたこと、夢見ていたことを少し思い出してみてほしいと思います。すぐに叶えられないことだったとしても、世界への興味や生きる喜びを自分のなかに呼び覚ますきっかけになるかもしれません。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?