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【会社員から開業へ】仕事が優先される日々から「私らしい人生」に軸を置いた日々へ。

「会社員を辞めて開業する」
退職届を出して、開業届を出すだけだけなのに、この一文に大きな重みを感じます。こと日本においては、企業という大きな屋根の下にいることで得られるメリットは多いでしょう。一方で、個人事業主や法人格で自身でお仕事する場合は時間や場所にとらわれずに仕事が出来るというメリットもあり得ます。

今回は、15年間企業に勤めた後、2023年に独立開業(個人事業)した、NeiRo豊川の独立経緯についてお話してみます。

NeiRo代表 豊川 美玲
2008年に大学卒業後、シスコシステムズ合同会社に新卒入社。パートナーセールス部門にて営業職を経験ののち、IT及び不動産業界にて営業職として従事。2017年MBA修了を機に人事へと転向。旅行宿泊業界にて人事マネージャーとして人事管理・採用・育成を統括する。2020年より兼業で個人事業として人事業務支援をスタート、様々な企業での採用や育成支援に携わるとともに大学ではキャリア講師を務める。2023年NeiRo(個人事業主)開業。

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独立開業・起業を考えたきっかけは?

意図せず訪れたキャリアの岐路

独立を考えるようになったのは、実は外部要因がきっかけなんです。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延により、意図せずキャリア選択の岐路に立たされました。
当時、私は転職してまだ6か月も経っていない時期で、尚且つ前職への出戻りという状況でした。ただ感染症蔓延の影響を受けざるを得ない業界だったため、入社6か月で退職し次の勤務先を見つけるか、副業をしながら会社に残り感染症蔓延が収まるのを待つか、まずはその二択に迫られました。

当時の私は、企業内で役職を上げていくことが目標で、それが今までずっと自身の描いていたキャリアの王道だったので、① 転職回数が増えるというデメリットは今後のためにも避けたかったのと、 ② 出戻っているだけあって自身に合うカルチャーを持った居心地の良い会社だったということ、そして(これは大誤算なのですが)③ この蔓延の危機と言われるのはそう長くはないだろうという理由から、企業に残り臨時で解禁された副業をすることにしました。   


副業探しで感じた恐怖・危機感

副業・兼業を探し始めて気づいたのが、全く仕事が貰えないという現実。今までどれだけ会社の「看板」や「役職」に助けられてきたのか身をもって感じました。人事コンサルタントを名乗っても、自身を営業をしようにもツテもツールもない。派遣をしようにも別の会社に所属している(しかも人事)ということでNGになることもしばしば。何十社と履歴書を出し、書類で落とされる日々が続きました。

「私が歩んできた会社員としての12年は一体なんだったんだろう」

そして連日TVやネットから流れるニュースを見て、これがもし自分が50代・60代の時に起きていたらどうなるんだろうと考えた途端、言葉では表せないくらいの大きな恐怖と危機感に襲われました。

「今から、独り立ち出来るように準備しても遅くはない。」

そう思えるようになったのは、副業を探し始めてから6か月後のこと。6か月経って初めてお仕事を頂けた、そんな時でした。少しずつではあるけれど、道が見えてきた気がした頃だったと思います。


自身に向いている働き方は何なのか?

様々な働き方のメリット・デメリット

副業を始めたことにより、フリーランスで働くメリット・デメリットを体感することができました。(メリット・デメリットについては他の様々な方が仰っている通りかなと感じるので今回は説明を割愛します。)
また、同時に企業に勤めるメリット・デメリットもわかっていたので、あとは自身に合う働き方が何なのかを自身に問うていく作業が必要でした。

当時はまだ、企業内人事としてキャリアを積むことにこだわりがあり、また、「企業に属す」ことが様々な面で安心であるという考えは変わりませんでした。

ただ、個人で活動を始めたことで新たにご縁がつながった、沢山の起業家や個人事業主の方々の「生きる姿」を見たことは、一度しかない人生の中で多くの時間を占める「仕事」と自身の「在り方」について改めて考えるきっかけになりました。

私自身、仕事を始めると止まらないほど、ワーカーホリックな一面があり、仕事を中心にした生活を送ってきました。平日は朝7時8時から夜は10時11時まで。土日のいずれかは自ら率先して働き、もう1日は燃え尽きたように寝だめをする。そんな人生が私のキャリア(キャリアというよりも役職)を積める一番の近道だとバカ正直に信じていました。


持病とこれからどう向き合うか

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延から2年が経った頃、在籍する企業での仕事も少しずつ戻るタイミングで、もう1つの壁にぶつかります。

私は17歳の頃から「バセドウ病」を患っているのですが、私の場合は過度なストレスがかかると急激に悪化する傾向があり、社会人になってからというもの2-3年に1回のペースで体調を壊していました。そして、またもなお過度にストレスがかかってしまいまったのか大きく体調を壊してしまいます。

副業を並行していた時期は、ピンっと糸が張った状態で日々をどうにか過ごしたのと、仕事に戻れる日が来たら、「元の生活に戻れる!」「私が活躍できる場所がかえってくる!」と、いう思いが強すぎたのかもしれません。実際に戻ったタイミングで社内の環境や業務内容も変わってしまったことで、安心安全だと思っていたはずの会社が大きな不安とストレスとして圧し掛かってきてしまいました。

体調を立て直す間、自身について本当に沢山考えました。20・30代は体調を壊したとしても馬力でどうにか持ち応えてきました。自身のキャリアを上手く積めるのであればという一心で。だからこそ病気を言い訳にしたくないとの思いで、体調が悪化してもそれを口にした事はなく、会社を休むこともありませんでした。

ただ、40代を見据え、この身体(持病やストレス耐性)で20・30代の時と同じ様に仕事ができるか。本当に仕事中心の生活が自身にとって幸せなことなのか。そもそも、ここまで働いて本当に目指したキャリアを積めているのか。

全ての答えが「No」でした。

私らしい人生とは何か?

「個」として強い存在になる

日本においても、より「個」が自身の「在り方」を軸にキャリアや人生を考え歩む、日本でも主体的なキャリアを築く人が増える、そんな時代が来ていると思います。そして「個」の力を鍛えることこそが、50代・60代になっても自身がビジネスを続けていける土台なると考えます。
「個」の力を鍛えるという意味では、副業・兼業の形態でもいいでしょうし、企業以外の場所で自身を伸ばせる場所があるのであれば、企業に残る選択肢も十分に考えられたと思います。

そんな中で私の場合は、仕事の経験値はもちろんながら、余暇を楽しむ余裕や、自身の体を労わる時間、家族や友人と過ごす時間、仕事だけではない「人生すべての時間」を楽しむ余裕を持つこと、そして大いに楽しめること。この点により重点を置いたことで、個人事業主という形を選びました。


最後に一言

幸いなことに、前途した意図せず訪れたキャリアの岐路で企業に残ることを選択したお陰で、副業・兼業から独立の「お試し」が出来たこと。その間に企業勤めであれば絶対にお会いする接点が無かったであろう皆さまとの出会えたことで、独立後も思いの他スムーズにスタートダッシュが出来ました。ここまで沢山の皆様の支えあって独立することができました事、感謝申し上げます。

独立のきっかけは、みなさん様々だと思います。私のように外部環境や生活様式の変化で個人事業・フリーランス形態を選択する方々も少なくないはずです。自身の意志、強い志があって独立開業開業するものだと思い込んでいましたが、まさか自身がこういった経緯で独立することになるとは今でも少し信じられません。

ただ、きっかけとしては大きな志はなく開業したかも知れませんが、私自身、企業での経験と個人事業主としての経験が、ご支援させて頂く会社様に還元出来る源になるよう努力していく所存です。

今は敢えて目標を持たずに「時間を楽しむ」ことで自分の余白を作ろうと思っていますので、まだまだ大きな目標は掲げておりません。ですが、企業が求める人材と個々人の在り方が上手く共存できる企業、それが当たり前になる社会を夢見ております。

こんな思いで、企業様のご支援を人事コンサルタントとしてお仕事させて頂いております。これからも邁進いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。


(注) 本インタビュー風コンテンツは、個人事業であるNeiRoについて企業プレスリリース”風”に作成したものであり、正式なインタビュー記事ではございません。