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今、僕が考えていること。自分という人間と向き合うと見えてくる世界。

組織が上手くいってない。こんなモヤモヤした感覚は創業して初めて採用をしたその瞬間から10年目を迎えた今日までずっと持ち続けてる。外にはキラキラした会社であるようなフリをしながら、初めて裁縫セットで波縫いをやった時のように、あまりに粗いその取り繕った縫い目からはいつでもそのモヤモヤがあふれ出してしまいそうで、また新たな縫い目を増やしていく。
そんなことを繰り返していたら、どうやら10年目を迎えると裁縫の力だけは匠のレベルになったようなそんな状態なんだろう。

多様性を受け止める、価値観の違いを享受する、100人いたら100人を幸せにする。こんな耳障りのより言葉を自分が紡いでしまうことに、強烈な嫌悪感や偽物感を抱いきながら、それに光を求めてきてくれている人たちを目の前にすると自分が賢者にでもなったかのような錯覚と、「自分が」幸せにしたいと歪曲した使命感、いやこれは言い換えると支配欲求なんだろう、そんなとてもピュアなこと言っちゃう会社の代表とは思えない感情が絡み合った人間である。

ただ自分が語っている理念やビジョンに違和感があるわけでも、それ自体がウソなわけではなく人生をかけて本気でそれを追いかけることに対して気持ちには一片の曇りもない。ただキラキラした大きな理想に対して、体現できていないというギャップと、自分がそのギャップを生み出している張本人だということに向き合ってこなかったことのツケみたいなものが今になって自分の内部からにじみ出てきているんだろうな、そんな感覚。

最近になって理想的な組織論が明確になってきた。それを少しだけ語るには一体今何が問題なのかを整理しておこうと思う。これは初めて文字にするので向き合ってこなかった自分にとってはある種の覚悟だと思ってる。
僕は「100人いたら100パターンの幸福を実現する」というなんとも耳障りの良い言葉を21歳の時に採用面接で当時の社長に語って社会人生活をスタートした。当時は社会がなんたるかも、仕事がなんたるかも知らない一人の若者が根拠なき自信で語っていたその言葉を、16年たった今も同じことを語っている。それは一貫性というようなキレイな言葉ではなく、自分の過去の原体験からくる「執着」みたいなものなんだと最近気づいた。

「100パターンの幸せ」を実現するっていうのは、究極的には採用した人をみんな幸せにすることに他ならない。そんなことが恐ろしいほど難しいことであることは誰の目にも明らかだし、先輩の経営者たちには鼻で笑われ、時に「その価値観で経営したら人を殺すよ」とさえ言われた。その意味が痛いほど今はわかる。

今のミライユには多くの管理職がいて、事業を任せているメンバーは社歴も長く100%僕が信頼しているメンバーだ。社会にでればきっと大活躍するに決まってる。そんなことはわかり切ってる自慢の彼ら。ただそれは「生き残った」数名であって、その間に多くの管理者候補はこの会社を去っていったし、「未来への期待」というずるい言葉で厳しい言葉を投げかけ続けて心を崩したメンバーも多くいた。つまり僕は100パターンの幸せなんかを語りつつも、多くの犠牲者の上にたち、それでもキラキラしたビジョンを語っている巨悪なわけである。

この組織の大きな歪みは「管理職」になるメンバーの素養に「精神的なタフさ」と「圧倒的な思考力」が備わっていなければならないことだろう。そこに弱さを持つメンバーは管理職になった瞬間から苦しみ、それでも会社や僕の言っている言葉に期待し、その苦しみを向き合い続け最終的には挫折することになる。そんな環境の中でも生き抜いてきた今の責任者はそれは最強なわけである。

もしかしたらこれを見ている人の中には「会社なんだから当たり前じゃん?」とか「そういうことは良くあるよ」と言っていただけるかもしれない。でもそうじゃなく問題は僕が語ってしまっている「耳障りの良い言葉」と乖離していることにある。

このままだと一生この組織は良くならないと思い、去年あたりから大きく組織の考え方や採用方針の見直しを行った。参考までに今やっていることと今後やろうとしていることを共有しておこうと思う。

◆やったこと。
①全社員に適性検査を実施
→その思考パターンの見える化を行った。論理性や感受性、ストレス耐性など200項目以上がデータ化されてわかったことがある。それは管理職とメンバーの思考パターンや気質がまったくもって正反対であったこと。それはつまり、管理職はメンバーのことを理解できていないし、メンバーは上司の言うことが本質的には理解できないということを指していた。具体的に言うと、「感受性が強く、精神的にも不安定なメンバー」に対して、「ここを耐えて乗り越えれば何か見えてくる」みたいなコミュニケーションが頻発していた。ストレス耐性が強い人は、そもそもストレスを重要視しないので、ストレス負荷がかかっているメンバーに対して共感を示すことができないというわかりやすい例だっと思う。

②採用の面接に「原体験ヒアリング」を導入
→原体験とはその人の価値観に大きな影響を与えている過去の価値観のことで、原体験ヒアリングとは、そんな過去の体験を紐解いていくことで、その人が「何が楽しくて」「何が悲しくて」「何を辛い」と思うのかを理解しに行くことと僕らは定義している。同じ事象でもある人は「おもしろい!」でもある人は「つまらない」と思うように、原体験をしっかり理解すれば、今の会社の仕事においてもどのような反応をしてくるかは推測できるし、何よりも採用してしまうと苦しめてしまう人をちゃんと定義することができたように思う。

③Twitterでの発信もキラキラだけの側面は辞めた。
→やっぱり理想と現実のギャップ、期待値とリアルのギャップというように人間というものは「ギャップ」というものに苦しむ。だとしたら僕が発信していく内容もキラキラ側面だけでなく、脳内を全開放してすべてを理解してもらうことにした。このnoteも多分そのひとつ。

④今、幸せにできない人を定義して、採用しないこと。
→僕らはまだ無力だ。すべての人は幸せにはできない。でもせまーいゾーンの一部の人はちょっとは幸せにできるかもしれない。そう考えるといくら僕らに期待をしていてくれたとしても、今この瞬間幸せにできる自信がないのであれば、それは入社後に苦しむことになるので、この方たちは採用しないことにした。

◆今後やっていくこと
①全管理職に対して新しい時代のマネジメントの仕方に対しての研修を実施。
→メンタルが異常に強い人しかのし上がれない会社である今のミライユは、きっとそうでない人にとっては長期的に居心地の良い場所にはなりえない。だとしたら多少の弱みを持っている人、自分とは価値観が全く違う人、そんな人たちでもちゃんと管理職としてキャリアアップしていけるような組織にしないといけない。そのためには多様な価値観を理解すること、その人たちに合わせたコミュニケーション力をつけること、そんなスキルをつける場を提供していく。

②全メンバーに「原体験ヒアリング」のスキルを取得してもらう
→原体験ヒアリングは先ほどもお伝えしたように、今の自分の価値観の源泉を遡る作業である。これができれば「自分」というものを理解できれば、より自分の幸せのために真っすぐ仕事ができるだろうし、相手に対してできるようになれば、その人の幸福度を高めたり、ストレスを回避できるようなコミュニケーションをとることも出来ると思っている。これは全メンバーにやろうと思う。

つらつら今の整理しきれていない考えを一度文字にしてみたけれど、結局僕は「100人いたら100パターンの幸せ」を実現したいんだと思う。それが無理難題だと分かっていたとしても、今まで不幸にしてきてしまった人、幸せになろうとして「今」もがいている人、これからの僕らに期待してくれている人のことを考えると、それは使命感とか期待感というような言葉じゃなくて、「贖罪」みたいな言葉の方がきっと近い。誰かを幸せにしているという自己満足すぎる肌ざわりを持つことで、自分の存在理由をきっとこの地球に見出したいんだろうと思う。

それでもそこにちゃんとしたスキルと、方法論があって、つきあわせてしまっているこの目の前の多くの人たちが自分で人生を切り開いて、幸せだと彼らが思えるのであれば、あながちこんな贖罪のために会社をやってる自分でも少しぐらいは世の中のためになるんじゃないかとも最近は思う。

「想いがあっても力がないと人を不幸にすらする」だから「想いある人に力をつけたいんだ」と語る自分の言葉は、明らかに過去の自分と今の自分に対してのメッセージなんだろう。

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