「心の防衛本能」について
私の体験談を元にお話します。
①メンタルが不調なとき、人はどうなるか
メンタルが不調なとき、人はどうなるか。
ちょっと怒られるだけ。
ちょっと悪口言われるだけ。
ちょっと失敗するだけ。
そのちょっとしたことが「生存価値」にクリーンヒットしてしまいます。
別に銃口を突きつけられるわけじゃない。元気な人からすれば、たいしたことではないかもしれない。
それなのに、まるで「生きている価値」が無くなってしまうような感覚に襲われます。
そして、それこそが一番危険なことなのではないかと思っています。
②「心の防衛本能」が機能しなくなることが原因
そこで、なぜそのようなことが起こってしまうのか考えてみた結果、次のことが分かりました。
それは、メンタルが不調になると「心の防衛本能」が正常に機能しなくなるということです。
心が健康であれば、自分を守ろうと「心の防衛本能」が働きます。
例えば、目の前にいきなりボールが飛んできたら、手を前に突き出して目を閉じて、自分を守ろうとしますよね。
それが、防衛本能のイメージですが、それと同じように、心にも防衛本能があると、私は思っています。
③ 例1)誰かに理不尽に怒られた場合
例えば、誰かに理不尽に怒られたとします。
それに対して、心が健康な人であれば「別に自分が全て悪いわけじゃないのに」「アンガーマネジメントもできないなんて最低な人だな」「こんなヤツの言うことは無視しよ」といったように考えて、自分を守ることができます。
しかし、「心の防衛本能」が働いていないと、「自分が全て悪いんだ」とゼロ百思考をしたり、「自分がダメだから悪いんだ」と自己否定をするだけに留まらず、最終的には「自分は生きている価値がないんだ」と、自分の生存価値さえも否定してしまいます。
④ 例2)誰かに悪口を言われた場合
他の例だと、誰かに悪口を言われた場合。
心が健康な人であれば「なんでそんなこと言われなきゃならないの?」「関係なくない?」「悪口言う最低な人とは関わらないでおこう」「それはお前の勝手な意見だ。おれはそうは思わない」といったように、自分を守るような考え方をするのではないかと思います。
しかし、メンタルが不調で「心の防衛本能」が働いていないと、「みんなが自分の悪口ばかり言ってくる」とゼロ百思考をしたり、「自分が悪いから悪口言われて当然だ」と自己否定をしたりします。最終的には「自分は生きている価値がないんだ」と、自分に対して、最大級の悪口を言ってしまうようになってしまうのではないでしょうか。
⑤どんなに小さな石ころでも大きな脅威となる
これらの例のように、防衛本能が機能していないと、まるで投げつけられたボールが目前に迫っているのに、手で防ぐことができないような無防備な状態になってしまいます。
それがいかに危険なことかは、誰でも簡単に理解できるのではないかと思います。
どんなに小さな石ころでも、それを手で防ぐことができない状態(例えば、手を後ろで拘束されている状態)であれば、傷を負うことは防げないし、恐怖感が凄まじいのではないかと思います。
そのため、「そんなことを大したことないじゃん」「そんな小さいこと気にしなくてもいい」と、その出来事を「小さな石ころだから気にするな」という論調を展開する人がいますが、それは少し論点がズレているのではないかと思います。
どんな些細な出来事でも、それから身を守る防衛本能が機能していなければ、傷を受けてしまうのは当然です。
つまり、どんなに小さな石ころでも大きな脅威となるのです。
⑥自分の経験はちっぽけ?
私の場合は、会社のパワハラなどがきっかけとなり、適応障害や双極性障害となり、休職もしています。現在も通院中です。
しかし、過去を思い返すと、本当にそこまで症状が重くなるほど辛い経験をしたのか疑問に思うことも多くて、それが落ち込む原因にもなっていました。
なぜなら、自分よりも辛い経験をしている人なんで、五万といるからです。自分が経験したことなんて、ちっぽけなことなんじゃないだろうか。そう思ったり、思わなかったり。
そこで、今回の記事のようなことを考えました。結論、自分が経験した物事の辛さレベルが問題なのではなくて、それを防ぐ機能面に問題があったということがわかりました。
⑦傘が破れていたら小雨でも濡れる
そのため、別に自分の経験した物事の辛さを、誰かと比較して小さく感じて落ち込んだり、大きく見せようと誇張する必要もないんですね。
例えば、小雨でも大雨でも、傘が破れていたら雨に濡れてしまいますよね。小雨だったら雨に濡れないというのは、傘が破れていない前提の話なんですから、もし傘が破れているのであれば雨の降り具合は関係ないはずです。
また、それを突き詰めれば、どんな辛い物事でも、きちんと自分を守る防衛本能さえ機能していれば、乗り越えることができるということにもなります。大雨でも大きな傘があれば、ある程度は濡れずに体を守ることができることと同じです。
自分の場合は、「心の防衛本能」の機能が低下してたから、ちょっとした他人の悪意(自分の場合はお局のパワハラでした)を跳ね返すことができませんでした。
そのため、休職期間中は認知行動療法をしたり、他の人の考え方を取り入れるなどをしてきた結果、少しずつ「心の防衛本能」を取り戻すことができたのではないかと思っています。
元気になった今では、ちょっとした雨では自分を濡らさない程度の傘を準備することができたように思います。
そういう意味で、休職期間は、自分とっては、有意義なものだったのではないかと思っています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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