見出し画像

「総合的な学習(探求)の時間」をもっと簡単に

「総合的な学習(探求)の時間」に大賛成

私は「教育」を専門とする教育を受けてはいません。「一人一人がとても大切な存在である」という価値観があり、多くの人が幸せに生きられるための社会作りをしたいと考え、子ども達の成長を支援する活動をしています。

やはり、自分の子どもが学校や塾でどんな教育を受けているのかとても興味があります。率直な感想として、自分(現在39歳)の子どもの頃と比べて(おそらく私の親が子どもの頃と比べても)、テキストの構成、デザイン等「見せ方」には大きな違いがありますが、学ぶ内容については大きく違わないと感じています。私は小学校や中学校で習うことの多くは、どのように生きるにも身につけておいた方がよい基礎的知識・技術として大切だと考えていますので否定的にはとらえていません。ただ、人を取り巻く環境がこれほど大きく違えば、数十年前とは別の知識・技術、そして態度が必要であることは間違いありません。

私の子どもの頃にはなかった「総合的な学習(探求)の時間」に大きく期待しています。総合的な学習(探求)の時間の目標は以下の通りです。
------------------------------------------------------------------------------------総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。(文部科学省ホームページより)
--------------------------------------------------------------------------------------
魅力的な時間だと思います。

「総合的な学習(探求)の時間」の現在地。
「特別」「問いを立てるのが難しい」

多くの現場の先生方にヒアリングをしたわけではなく、あくまで私の知る子ども達から聞いて感じることではありますが、まだまだよくすることができそうです。

この時間について子ども達に感想を尋ねると、概ね「楽しい」「好き」という答えが返ってきます。どんなところが楽しいか尋ねると、「他と(国算理社)と違うから」「特別だから」といった答えが返ってきます。この時間は、子ども達にとって「他とは違う」「ちょっと特別な」時間と受け取られていることが分かります。

この授業のどんなところが難しいかと尋ねると、「何をしていいか分からない」「調べるのが大変」という答えが返ってきます。例えば私の子どもが小学校3年生の時に「名古屋めし」について調べる授業がありました。(私は名古屋市に住んでいます)「好きな名古屋めしについて調べてノートにまとめて提出しましょう」というものです。子どもは「味噌煮込みうどんについて調べようと思うけれど、何を調べればいいのだろう・・・」と悩んでいました。「何を知りたいか?」ではなく「何を調べると高い評価を得られるだろうか?」を考えているように見えました。高い評価を得ることが目的となりがちな教育体系の弊害だと思います。
また、とても大切な能力ではありますが、小学生の子ども達にとって、自ら「問いを立てること」はとても難しいことです。「好きなことを調べましょう」と言われても、知りたいことが思いつかないのです。「探求することは」大人にとっても簡単なことではありません。社会に関する知識が少ない子ども達にはなおさらです。
一方で子ども達は「興味のあること」に対しては驚くような探究心を発揮します。電車や昆虫、お料理やファッションアイテムなど、大人顔負けの知識に驚いた経験は皆さんもお持ちだと思います。きっと「お料理」や「地域の名物」に興味のある子ども達にとっては、名古屋めしに関する問いはいくらでも立てることができるでしょう。

「総合的な学習(探求)の時間」の最重要ポイントは「興味を持たせること」

「総合的な学習(探求)の時間」の最重要ポイントは「興味を持たせること」だと考えています。簡単なことではありません。私自身も多くの子ども達を相手に、全ての子ども達が興味を持つテーマを作れる自信はありませんし、全ての子ども達にあるテーマについて興味を持たせるプレゼンテーションができる自信もありません。しかしこの時間が真に子ども達の成長に役立ち、この時間の目標を達成させるためには、先生方にはこのことについて深く深く思考し、綿密な計画を立て、完璧なプレゼンテーションを行うことが求められていると思います。もともと多くの業務を抱えられ、コロナ禍で授業の時間も減っている中でこれを実践することは本当に困難なことだと想像していますが、大切な子ども達が、変化の激しい社会において自己の生き方を考えられるようになるために、温かく丁寧にご指導いただけることを願っています。

「総合的な学習(探求)の時間」は特別ではいけない

この時間は子ども達にとって「特別な時間」になっていると述べました。私は「探求的な見方・考え方」は決して特別な時間に行うものではなく、いつもの授業で実践することもできると考えています。むしろこの思考スタイルは特別な時間だけでなく、将来の学校生活、社会人生活、日常生活すべてにおいて使いたいものであり、すべての授業で取り入れるのがよいと考えています。
小学校4年生の子どもが、理科の「電流」の授業で電池で走る車の模型を組み立てて走らせました。車の模型にはモーターがついています。ありがたいことに先生は、本来は中学2年生で扱うはずのモーターについて、ほんの少しだけ子ども達にお話していただけたようです。うちの子どもはそこに興味を持ったようで、家に持って帰ったモーターを手に、これについて教えてほしいとお願いされました。小学生には難しいモーターの仕組みを説明しましたが嬉しそうに聞いていました。それに加えて私も一緒に勉強してモーターの雑学を話しました。「リニアモーターカーはモーターを引き延ばしたような構造であること」「リニアlinearは『まっすぐの』という意味であること」「精密機器や電気自動車の普及によってモーターの市場の拡大が予想されること」「日本には日本電産という世界No.1企業があること」「日本電産のブラシレスモーターの『ブラシレス』は何がすごいのか」などです。今では、高速道沿いの工場の壁に「日本電産Nidec」という文字を見つけると「あ、日本電産!モーター、モーター!」とはしゃぐようになりました。日本にある数少ない成長産業におけるトップランナーのことや技術の大切さを知ってもらえ、私も嬉しく思っています。

「総合的な学習(探求)の時間」は雑談だけでできる

「総合的な学習(探求)の時間」はどんな科目でもできます。雑談だけで十分です。私たちが子どもの頃も面白い雑談をしてくれる先生の授業は人気だったはずです。難しい雑談でなくても構いません。子どもは一度興味を持ってしまえば自分で調べますし、大切な子どものために頑張る親もいます。国語でも算数でも理科でも社会でも、先生方には、何か子どもにも見える社会とのつながりを感じられる上手な雑談をしていただけることを期待しています。先生方の「雑談力」(=短い話で興味を持たせる力)が「総合的な学習(探求)の時間」の未来を担っていると思います。

最後まで「総合的な学習(探求)の時間」という言葉を使い続けました。あえて「総合学習」という短く使い慣れた言葉にしませんでした。
この言葉を考えた方々の、「学習だけではなく探求が大事なんだ」「これは先生が生徒に教える授業ではなく、子どもたちが自ら取り組む時間なんだ」というメッセージがとても好きだからです。
この時間が、子ども達そして日本や世界をよりよいものとする光となりますように。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?