連れて逃げてよ

逃避行者の恋

“ 旅する女はみな逃避行者である ”
 深夜、ベッドで広げた本に、そんな言葉を見つけてドキリとする。
 
 2015年の秋、私は逃避行者になった。41歳だった。
 正確には、逃げ出すほどの現実すら持たない、実に身軽な〈エセ・逃避行者〉だった。
 パートナー、家庭、子供。何かしらのまとまった経験値と(キャリアと呼んでもいい)、それに伴う自信や能力、責任。あるいは夢、目標、何かしらの帰属意識。人生という海原に、私たちをしかとつなぎ留めてくれるもの。時にはふわり、解き放ちたくもなるだろう、それら〈拠り所〉を、私は持っていなかった。碇のない、船のよう。私が〈わたし〉であるという、いたく抽象的、観念的な事実のみが、いまだ私のアイデンティティだった。
 代わりに〈青春の引き延ばし〉みたいな自由といくつかの恋、長持ちしない情熱と、ある種の軽薄さ、気まぐれ。一向に薄まる様子のない自意識と反抗精神、ひねたユーモア。時おり襲ってくる淡い不安に、声を張り上げ歌う〈ケ・セラ・セラ〉、ぐにゃぐにゃに縺れ、絡んだロマンティシズムという名の命綱…などが、〈わたし〉と大書きされたトランクに無茶苦茶に突っ込んであった。たった、それだけ。

 何にも持っていなかったけれど、私は自分の人生を〈映画みたいだ〉と思っていた。それが私なりの人生の愛し方だったし、同時に自らを奮い立たせるマジック・ワード、また〈健全に生き伸びるための暮らしの知恵〉ですらあった。
 1本の映画だと思って、目の前の人生を眺めるとき。パッとしない日常に、うっすらバラ色の靄がかかる。引きのロング・ショット、〈神の視点〉で捉えれば、ちいさな粗なんて木っ端みじんに吹き飛んでしまう。そうして徐々に―、ああ、あの歓び!〈生命力〉と呼ばれる、あの甘美なバイブレーションが、からだ中に満ち満ちてくる。ひたひた、ひたひた…。うっとりと目を瞑る。深く呼吸する。ゆるむ。ほどける。すべてが光を放ち出す。生きていることが、どうしようもなく愛おしくなる…。
 私は思い出す。〈どんなに素敵なことが待っているか、ドアを開けてみるまでわからない―!〉
 そうして、飛行機に飛び乗る。
 
  ” 旅先で恋に落ちる "
   ” 舞台はパリ ” 
 なんて、ありふれたシナリオだろう。
〈お決まりのロマンティック・コメディ?〉
 我ながら、そう突っ込みたくもなるけれど、事実だから仕方がない。何しろ、” ドアは開けてみるまでわからない ” のだから。
 旅の終わり、気づいたときにはもう、私は物語の真っただ中にいた。最後の3日間、一緒に街を歩いただけだった。なのに、〈あの人〉が頭から離れない。いや、私が〈あの人〉から離れたくない、のだ。
〈こんなの、ただの旅の高揚よ。帰国してしばらくすれば忘れるわ!〉
〈ああ、苦しい!恋しい!いますぐパリに引き返したい!〉
〈もし…本物の恋だったら?いったいどうやって育めっていうの?!〉
 帰りの飛行機に乗り込んだ私の胸は、もはやパンク寸前だった。動揺を鎮めようと、何度もシートベルトを締めなおす。それでも、思いはとめどなく溢れ出る。とても、咀嚼しきれない…。とうとう私は泣き出した。暗がりの中、息をひそめて。夜が静かに機内を包んでいた。
 ずっと愛すべき誰かを求めていたのに、与えられたのはたったの3日間。まるで、ハンドルのない暴走車に放り込まれたようだった。自分がどこへ向かっているのかわからない。溢れる涙を拭いながら、ふと思う。…なぜ、私は認めたくないのだろう? 何をそんなに怖がっているのだろう…? 失うこと、傷つくこと? 報われぬかもしれぬものへ、すすんで身を投げ出すこと、コントロールを放棄し、結果を手放すこと、自分の無力さを受け入れること…。降伏。傷つくことなど厭わず、ただ、かけがえのない一瞬へ、惜しみなく〈わたし〉を開き、捧げること―、もしかしたら、それが〈いのち〉に触れる、たったひとつの術なのかもしれない。
 見渡せば、言葉も肌の色もそれぞれに違う、束の間の〈逃避行者たち〉が、ひとつ機体に身を任せ、すやすや寝息を立てている。帰る人、旅立つ人、彷徨う人。私たちは今、どこにも属していない…。

 1年後、ふたたびパリへ旅立った。今度は片道切符で。
 〈3日間、一緒に街を歩いただけの人〉と、今では共に眠り、共に目覚める。私は妻になった。

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うふふ