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6_チョコレート嚢胞だった

7月1日。3月の健康診断から、気づけばもう夏になっていた。この日はとても暑かったのを覚えている。気温が38℃まで上昇した日だ。

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余談だがこの日の翌日は市の無料の健康診断で大腸と胃の検査があって、バリウムを飲んで検査台でぐるぐる回った。2022年は春からずーっと病院づくしなのだ。

話は戻って、卵巣の手術をしてもらうことになる病院の初診。とても暑い。暑すぎる。日差しが刺すように強い。目を守るためにサングラスをした。

私は方向音痴で、グーグルマップを片手にしても容易にはたどりつけない。手元の病院のパンフレットには駅から徒歩3分と書いてあるのに、気づいたらひとつ先の道を何度も行ったり来たりしていた。やっと病院に着いた頃には汗だくで茹で上がっていた。

予約の時に、かなり待つというようなことを言われていたので覚悟はしていたが、予約時間より早く着いたのに1時間以上待たされた。

産婦人科の待合いのスライド式のドアを開けると、ピンクの絨毯の細長い部屋にソファがずらっと2列ならんでいて、部屋の突き当り、一番奥の高い位置にテレビが備わっている。つまり、テレビを観るには隣にいる人側に視線を向けないと観られない位置にあるため、テレビから流れるワイドショー(ワイドショーってもう死語?)は誰も観ておらず、スマホや小説に視線を落としていた。当然ながら待合は女性だけ。

やっと部屋に通されると、若くてサバサバした感じの30代くらいの女医がいた。市立病院で書いてもらった紹介状に目を通していて、やはり「7センチですから手術になりますね」とのこと。嚢胞だけ摘出して温存しても、再発の可能性があることと、癌化リスクもあると言われた。

そして、なんとなく予想をしてはいたけれど、ここで4回目の超音波検査。ほぼ一か月に一回はやっている計算になる。病院をかわるたびにこれやってるんだから。でも今日は女医だからまだ気が楽だ。他人に陰部を晒すのはどうしても不快だけれど。あきらめ気分でショーツを脱ぎながら、しかし、紹介状ってなんのためにあるんだろう、と思う。市立病院での超音波検査の結果も添付してるのに、どうしてまたやるんだろうか?何度やっても私の卵巣が7センチに腫れてることは変わらないと思うけど。

嚢胞だけ摘出して卵巣を温存する方法もあるけれど、再発の可能性があるので再発防止の薬を飲み続けなければならないこと、そして癌化のリスクも年齢が40代を超えると高くなっていくとのこと。そのため、40代以降で妊娠を希望しない人へは根治治療、つまり卵巣と卵管の摘出(付属器切除)を勧めているということを早口で説明された。

この病院も、患者が大勢いて一人の患者にたっぷり時間をとれないのだと思った。必要事項を高速で伝えてくる。

「子供欲しいですか?」
「欲しくないです」

即答だった。これが私の本音だ。前も書いたように、42歳の今の今まで、子供を欲しいと思ったことは一度もなかった。彼氏がいるときも、彼氏がいないときも、子供を持ちたいと思ったことはこれまでに一度もない。彼氏がいるときは、彼氏と結婚することになって子供を産む可能性のリスクのほうを考えてしまうことの方が多かった。

私が子供を持つことに積極的になれなかった理由は大きく2つ。ひとつは、私の持病であるアトピー性皮膚炎だ。私は軽症な方だとは思う。それでも、2歳の頃にはすでに腕と脚の関節にアトピーがあって、42歳の今日までアトピーと共存してきた。

高校2年の夏休み、はじめて化粧をして、安い化粧品を使ったせいで顔にもアトピーが出るようになってしまった。アトピーはストレスや疲労でも出るし、理由もなく突然出て、搔いているうちにどんどん悪化したりする。

一人暮らしを始めてからは、環境の変化のせいか、脇の下やおでこ、へそなど、今までできたことがなかった部位に突発的にできては治ったりを繰り返した。

小さな頃にあった脚の関節のアトピーは気づいたら消えていたが、腕のアトピーは今でも私を悩ませる。

もういい加減にして!!と悲鳴をあげたくなるほどのしつこい、皮膚のすぐ下をムカデが暴れているような強い、地獄のような痒み。掻けば掻くほど増す痒み。一気に搔きむしれば後から掻き傷を見て後悔する。ステロイド軟膏を塗り続けることの恐怖。全身アトピーになってしまったらどうしようという強い恐怖。(なお、ステロイド軟膏については今は正しく使えば怖い薬ではないということはわかっている)

アトピーは遺伝性の病気だ。私のきょうだいはみなアトピー持ちだ。肌の弱い母から譲り受けたものと思っている。母は、私が幼い頃から手指の酷い湿疹に悩まされていて、食器洗剤によって常に指が切れて血が出てぐちゃぐちゃにかぶれて、それを搔きむしっていた。当時は主婦湿疹と言っていたが、典型的なアトピーだ。

私は自分のこの病気が自分の産んだ子供に、より強く遺伝してしまうことをずっと恐れて生きてきた。私はこの病気の辛さ苦しさ、そして怖さをよく知っている。これが遺伝性と知っていながら、しかも子を持つことを望んでいないのに子を産んで、自分の子供に遺伝させてしまうのは罪と思っている。

そしてもう一つの理由が鬱気質だ。こちらは父親から受け継いだものだと思っている。いつか鬱の記事で書いたが、父を見ていると私が鬱のときに出る特質が父にも同じように出ていることが、私にはよくわかる。母などは「お父さんが朝一番で不愉快な顔して起きてくるのが本当に嫌で」なんてよく言っていたが、あの顔、私にはよくわかる。あんな顔になってしまう理由が。

とにかく、アトピーといい、鬱といい、両親から受け継いだ負の遺産とともに生きてきた私としては、この負の継承をもう断ち切りたい。というよりこんなもの継承してはいけないと思っている。アトピーは100%迷惑な遺伝だったけれど、鬱に関しては、こんな特質だからこそ見えた景色もあって、陰キャだからこその密かな人生の愉しみのようなのも私自身は見出すことができたので(根がプラス思考なので)、鬱はとても辛いけどそれは良かったと思ってる。でも、それはただ単に私がそのように思えたというだけだ。どんな遺伝が欲しい、欲しくないという選択肢のない子供に、受け継がせてはならないものだ、と私は思ってきた。

もし私が子供を希望している人間だったら、全く考えは違っただろうと思う。高度成長期にアトピーが日本に出現してから50年、アトピーに関する医学も進化したし、重症化しないように工夫すればいい。私自身が鬱を知っているから、子供に鬱気質が遺伝してもうまく対応しようと覚悟できたかもしれない。

あ、いちおう言っておくけど、私は両親を恨んではいないよ。

とにかくこのような理由でのらりくらりと子供を作らない人生を選択し続けているうちに、気づいたら42歳だった。望むと望まざるとにかかわらず、もう産みづらい年齢を越えていた。そこへきて卵巣・卵管摘出だ。

私には腐れ縁のパートナーがいて、彼は今イタリアに住んでいて、遠距離恋愛(恋愛という表現はぜんぜんふさわしくない関係なのだがそれは置いておいて)をしている。わけあってもう何年も会えていないのだけれど、彼は子供が欲しいと言っていた。

まだ彼と東京で同棲をしているとき、何度かそんな話になった。私もまだ(もう、という方が正しいけれど)30代後半だったので、子供を持つ不安はあるけれど、産んでしまえば何とか頑張れるかもしれない、と何度も思った。そのうち彼が、結婚手続きもなにもしないまま突然に故郷のイタリアに帰ることになり、その1年後にコロナが来て、というかコロナだけが理由じゃないけれど、遠距離が今の今まで長引いて、ずっと会えないでいるうちに気づいたら私は42歳になってしまったというわけだ。

42歳を目前にしてチョコレート嚢胞がわかり、こうしてドクターと話をして改めて現実を突きつけられたのだ。子供、欲しいとか欲しくないとかじゃなくて、もう産むの厳しい感じになってる。年齢もそうだし、卵巣と卵管を摘出する提案をされてるよ、私。

私はこう答えた。
「私自身は子供は望んでいないです。でもパートナーが子供を望んでいます。彼と一緒にいる限り、今のところ出産の可能性はゼロではないです」

大事なことを曖昧にして生きてきてしまった自分を心から恥じた。けれど、これが正直な答えだ。

「妊娠を望んでいないのであれば付属器切除を勧めます。再発の可能性も癌の可能性も解決してしまうので。ただ、妊娠を望んでいるのであれば早くしたほうがいいです。年齢ももちろんですけれど、手術をするとなると偽妊娠療法をするので」

手術前に、低用量ピルによるホルモン療法で卵巣嚢胞を小さくする処方があるそうだ。だから、いずれ手術をするのであれば手術までの数か月は低用量ピルで偽妊娠状態になるため、その間は妊活ができないというのである。

私の年齢で妊娠をするということは、刻一刻を争うほどに時間がないのだと改めて思った。そもそもパートナーは遠くにいるので、性生活はないということを伝え、私としては卵巣・卵管摘出を希望しますと伝えた。右の卵巣・卵管を摘出したとしても、左は残ってるので、可能性は下がるが妊娠できる可能性は残るとのこと。

子供を希望していないので、大きなショックはないけれど、まさか全摘出とは考えていなかった。

次回までに、温存か全摘出かを決めておいてください。と言われて診察室を出た。

血液検査をして今日は終わり。次回7月22日までに、温存か、卵巣・卵管摘出かを決めなければならない。

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