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男性の育児参加が、もっと普通になって欲しいと切に願う。

昨日の朝はzoomで
サークルのお話会に
参加してきました。

zoomでお話会!

うわうわ、私、現代人みたい😆
普段、大正なのに!

興奮して一人でしゃべりどおしで
ご迷惑だったかもしれませんが、
皆さん本当に素敵で
もっといろいろなお話をしたい!
と思う方ばかりでした。

本当に、ありがとうございます。


PTA会長の髙岸さんが
こんなに素敵にまとめてくださいました。
髙岸さん、いつもありがとうございます✨


夜はNorikoさんのこちらの
2部作を読んで、
泣いて泣いて、泣きすぎて
鼻血が出ました😅

それで、
夜中、お話会とNorikoさんの記事から
こちらの記事を書かなければならないな、
と思い、
今日の記事とします。

かなり暗くて重いので
苦手な方はご注意ください。


私には、何度かお話していますが、
先天性の心臓病と
重めの喘息と
メニエール病があります。

妊娠したとき、
町の産婦人科で

「子どもは堕ろしなさい」
と言われ、仕方なく
大学病院で産みました。

口には酸素マスク、
右手に点滴、
身体に心電図をつけ
助産師2名、医師1名体制で
吸引分娩で産んだ時、
息子は心音低下で
息をしないで産まれました。

私はアドレナリンが出すぎて
かなり幸せな気持ちになっていて
痛みもそれほど感じず、
出産事態は楽で安産だ
と思っていたのですが、

実際は大学病院でも
大変な難産だったようで、
出会う助産師さん皆さんに
「大変なところよくかんばりましたね!」と
褒めて頂きました。

ニブイとかお気楽って
私みたいな人のことを言うのでしょうね。

出産はそんな感じで
私がハッピー、息子も無事に息をしたので
結果オーライ!なのですが、

医師や助産師さんからは
出産以前から

「あなたの病気は産後酷くなる」
と言われていました。

ある時の検診で
「あなたは絶対に
 産後大変だから
 ご主人に育休を取ってもらってください
と指示を頂きました。

それを家に帰って
主人に伝えたのですが
答えは

育休は取れない」でした。


当時、主人は
某大手介護業界の本社に勤める
課長職 兼 子会社の役員でした。


恐ろしく多忙な人でした。


それを病院に伝えたところ
主人呼び出しで
医療ソーシャルワーカー(MSW)&
担当助産師による
ダンナに育休を取らせるための
話し合い
が始まりました。

「奥様はこれこれこういう病気で
 これは大抵、産後に酷くなるので
 ご主人は育休を取らないといけません」

「それはできません」

「どうしても無理ですか?
 奥様は心臓病もあるのに?」

「はい。できません」


あらゆる手から
MSWと助産師さんが
主人に育休を取らせるように
働きかけたのですが
主人は「できない」の一点張りでした。

数年前とはいえ、
今は目覚ましく状況が変化している時代。


主人の立場で育休は
当時、かなり難しいことだったのでしょう。


代わりに病院から
産後1年は、必ずヘルパーを雇うこと
家事は極力やらないこと
を指示され、
週2回、1回1時間のヘルパーを雇い、
週3回、夕食宅配サービスを依頼することで
準備をしました。


ダンナは
育休は取れない。
残業も減らせない。
だけど、土日は極力
休むようにする、
と約束してくれました。


臨月近くなり、
ダンナは異動になりました。

ダンナの勤め先は
私の以前の勤め先です。

私が病気持ちであることは
上層部もよくご存知のため、
考慮してくれたのかな
と思いました。

ところが
異動になった部署は
以前よりも恐ろしく
多忙な部署でした。

この部署に普通の人間を
異動させると気が狂うから
サイボーグ並みに神経の強い
ダンナを異動させた、

という話を聞きました。

産後。

1カ月は実家にお世話になりました。

大変なのはその後でした。

息子は起きている時でも絶対に
抱っこでないと大泣きする子でした。
私はいつ何時でもずっと
息子を抱っこし続け、
ご飯は立って抱っこでゆらゆらしながら
食べていました。

(ときどき、ご飯を
 息子の頭に落としていたのは、内緒😅)

夜中も日中も
全然寝ない子でした。

私は毎朝、両手、両足が痺れ続けて
起きてから暫く歩けない
状態が続きました。

私の首は凝りすぎて
何カ月も
回せませんでした。

長時間の抱っこから
膝と腰を痛め、
出産よりも酷い痛みでしたが
母乳をあげているため
痛み止めが飲めず、
注射を2本してもらいながら
育児をしていました。

ダンナは恐ろしく
過酷な部署に異動になり、
産前よりも帰ってくる時間が
遅くなりました。

つまり、毎回深夜残業です。

ヘルパーさんは来てくれたのですが、
酷く嫌味をおっしゃる方
掃除が出来ないから呼んでいるのに

「ここがこんなに汚いわよ!」

「あなたのところの食器棚の位置が
 使いにくいのよ!
 普通、逆に置くわよ!
(私は左利きです)」

など
高圧的におっしゃるので
余計にストレスになり
すぐに変えてもらいましたが
代わりがなかなか見つからず、
結局ワンオペ育児をしていました。


私は産後うつのような
状態になり、
息子を抱いて3階から
飛び降りようと、
何度も何度も窓を開けて下を見て
この高さだと死ねないかな、
と考えていました。

見かねて次姉が
5人の子どもの育児と
自分の仕事と
読み聞かせボランティアと
フラダンスのレッスンと
ジャニオタで
(次姉は市の広報ニュースに載るほど
 有名なジャニオタで5人の母、
 ついでに言うと10年以上
 欠かさず非常に凝った
 キャラ弁を作り続けている変な人です)
猛烈に多忙なところ、
片道2時間をかけて
手伝いに来てくれ、
私はその日、ようやく
少し寝ることができました。

この情報が母に行き、
当時自宅で認知症の父を
一人で介護していた母が
週2回、来てくれるように
なりました。

私は毎日
母が来る日を
あと何日、あと何日と
指折り数えて
何とか育児をしていました。

喘息は案の定ひどくなり
救急で運ばれたこともあります。

毎日2時間程度しか眠れず、
あとは廃人のようになって、
ずっと酷い咳をし続けるのです。
それでも子育ては休めません。


声は何度も完全につぶれて、
歌が歌えるようになるまで
回復したのは、
つい最近のことです。


内服と吸入では効かなくなり
その後子どもが4歳になるまで
点滴のお世話になりました。
季節によっては
またお世話になるかもしれません。

本当に酷い時は
毎日、点滴に通いました。
もう針を刺す場所が
なくなって、
手の甲に刺し
内出血の跡がずっと
残ったこともありました。

咳が酷すぎて
骨折したのは1回だけじゃありません。


メニエール病も酷くなり、
滝のように吐いたり
いろんな場所で倒れるようになりました。

心臓病の発作で
きゅっと首が締まったように
苦しくなることも
何度もありました。


ある時、
苦しくて苦しくて
耐えられなくなって
SNSにこんなことを書きました。

このSNSは
私の前職、
つまりダンナの会社の同僚が
多く見ています。


「病院が主人に育休を取るように指示したけど
 取れませんでした。

 仕方のないことだと思います。

 だけど、
 なぜ、子どもが産まれると分かっている主人を
 以前より多忙な部署にあえて
 異動させたのですか。
 毎日、深夜残業をしなければならない部署に
 私が臨月になってから送り込んだのですか。

 私の身体のことは
(心臓病はじめ病気持ちであることは)
 重々ご存知のはずです。

 私に何か恨みでもあるのですか。

 今は、こんなことを書いたら
 私の方が非難される時代だ、
 と分かっています。

 だけど、数年後、
 全員とは言わない。

 せめて私のように持病のある妊婦さんの
 旦那様は、育休が取りやすくなっている 
 時代になることを望みます」


 これを読んだダンナは
 猛烈に怒りました。

「育休を取らないことは俺が決めたことで
 会社には言わなかったんだ!

これ以上、足を引っ張るのはやめてくれ!!!



その後しばらくして
ダンナはもう少し早く帰って来られる
今の部署に異動になりました。

ダンナの後任で
当時の部署に入った方は
早々に精神を病み、休職されたそうです。


私は子どもが4歳になり、
コロナ禍のために仕事も楽になり、
最近になってようやく
身体が安定して来ましたが、
もう、喘息の薬は毎日欠かせません。
無理してしまったので
常態化してしまいました。
たぶん、この先もずっと
お世話になると思います。


メニエール病の薬も
季節の変わり目は毎日、
現在でも週に1回は
お世話になります。

耳鳴りはもはや、当たり前です。


今、これを読んでいる
パパになる方。
会社の経営陣の方。
マネジメントを担当されている方。

お願いです。
育児というのは、本当に大変なのです。

パパになる方は
病院で育休を取るように
指示されたら、
自分で取れないと決めてしまわないで
せめて上司に相談してください。

会社の方はせめて
相談できる雰囲気を
作ってください。

これからパパになる人を
間違っても超ブラックの
恐ろしい部署に
異動させないでください。

あなたたちはたとえ
あの時私が息子を抱えて
3階から身を投げて
運よく(?)二人とも
死んでしまっていても、
痛くもかゆくもなかったでしょう。

むしろ、
ネタが出来て面白かったですか?

だけど、
あなたたちが高齢になったとき
支えてくれる人は一人
少なくなりますよ。


昨日のサークルのお話会で
男性の育児参加について
動いていらっしゃる方がいて
とても感銘を受けました。


こういう方が増えてくれたら
私のように、Norikoさんのように
苦しむママも減るかもしれない。


パパ育休2.0の本の
出版が決まった成川献太さん。

パパ力検定を
LINEで配信されているsachiさん。

それを全力で応援していらっしゃる
会長の髙岸 亮介さんと

副会長のMapleさん。

昨日のお話で
「どんな人でも愛しくて仕方がない」
とおっしゃっていた、ケイコさん。
こんな方が増えて下さったら
社会はもっと、素敵になる。


私は女性だから、
忘れられません。
たぶん、死ぬまで鮮明に
覚えていると思います。


今は育児も少し、楽になって
体調もよくなっても、

本当に大変だったときに
少しでも助けてくださった方のこと。

本当に大変だったときに
手を跳ねのけた方のこと。

後者の方は
自分が鬼になったみたいで
いつまでも悩むのです。





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