3月の徒然(4)
🌸詠
下駄箱前でクラス替えのプリントを貰い自分の名前を確認していると、安藤が後ろから羽交い締めにしてきた。
「ナルミ!よかったよかった、これで記録更新、俺の勝ちな」
ギブギブ!!何勝ちって?
「覚えてるだろ?俺の予想通り今回も同じクラスだから、敗者の鳴海奏多は、今後も勝者安藤春樹のカラオケに付き合うこと」
新学期早々、元気な奴…。
新しいクラスへの緊張感は、安藤のおかげでマシになったが、中谷葉月は別のクラスになっていた。
これでもう会うこともないのか、接点も特にないしなぁと思っていたら、放課後、向こうから呼びに来た。
「宮原先生が学校辞めたって知ってた?」
(中谷の表情を伺うが、泣きそうな顔ではなくて少しほっとする)
うん。知ってた。理由まではわからないけど。
「そっか。なんとなく、鳴海君には理由話してるのかなと思ってたんだけどな」
なんで?
「うーん……えっと、どこから話せばいいかな。ねぇ、ちょっと今日さ、少し時間ある?」
後ろを振り替えると、安藤がニマニマしながらOKと合図を送ってきた。いや、たぶん、お前が考えているようなそういう話じゃないんだけどな。
その後、どこへ向かうという訳でもなく、桜並木の通学路を歩きながら話した。
「いきなり急にごめんね?安藤君と約束あったんだよね?」
あったけど、いつものカラオケだから気にしないでいいよ。
「ふふ、鳴海君と安藤君は仲良しだね。2人がたまに教室で歌ってるのもう聞けないの、残念だなぁ……。さて、と」
そういうと一度深呼吸して、中谷葉月は話し始めた。
「わたしは元々読書が好きだから、古典も好きになれると思っていたのね」
──ところが一学期の古典の成績は散々で、その上どうしても古典が好きになれない。少しでも好きになるには、古典好きな人にどんな所がどんな風に好きなのか聞くのが一番だと思って、宮原に相談したらしい。
「宮原先生は、普段の授業はあんな感じだけど、古典に真剣に向き合いたいって人には、ちゃんと丁寧に教えてくれるんだよ」
あぁ、それでか。中谷、宮原の好きな和歌コンプリートしてるって噂出てた。
「えぇっそんな噂あったのかー、んー、いやぁ、 全部では無かったよ、あの日、鳴海君が届けてくれたもの見るまでは。自分でも調べてるつもりだったけど、初めて見る歌もいっぱいあったし!」
そっか。じゃあ、今はコンプリートしたんだな。
「そうだね!噂は真実になったってことだね(笑)……それでね、これなんだけど」
──と言って中谷葉月が見せてきたものは、この間、宮原が出した課題の和歌だった。同じコピー用紙、下には中谷が訳した手書きの現代語訳。何度も書き直した形跡が見える。
”身よりかく 涙はいかがながるべき 海てふ海は 潮やひぬらむ”
「この歌、初めて宮原先生に教えて貰った時ね、言葉通り悲しみに打ちひしがれる絶望の歌だと思ったの」
うん、情の深い女性の歌だと思った。
「うん。…やっぱり鳴海君も知ってるんだね。これはね、死を悼んで詠む挽歌(ばんか)なんだけど…宮原先生から質問されたのね。『なんで涙を流すと海が干上がるんだろうね?』って」
同じこと聞かれた。
「質問されて初めて、あぁ、確かに引っかかるなと思ってわたしなりに考えてみたの。そもそも、涙がとめどなく流れたら、いつしか川のように海に合流して、干上がるどころか、逆に満ちると思ったの」
…なるほど。…俺はそこまで明確に何が引っかかっているのかもわかっていなかった。ヒントは貰ったけど、結局まだわからないままだし。
「そっか、鳴海君もヒント貰ったんだ」
中谷も?
「うん。鳴海君はどんなヒントを貰ったの?」
先生もこの謎が長年腑に落ちなかったらしい。それが今年、このクラスの担任になって、俺がヒントになって解けたって言ってた。あー、あと『鳴海君は近すぎて気付かないかも』とも言ってた。
「んー。実に宮原先生らしい返し!わたしにはね?『中谷葉月さん、あなたの名前、葉月から連想するものは何ですか?案外近くにヒントはあるものですよ』って言われたの」
ナゾナゾか。
「ね!こんなのわかるわけないよーって思っていたのね。しかも『今回は、中谷さんがご自分で答えを見つけて下さい』って言われてさ」
葉月って、八月のことだっけ?
「そうそう!八月の和風月名。そこから連想すると、夏、夏休み、スイカ、花火、山、海…歌の中に海があるでしょ、じゃあきっと海だなと思って、近くとは?って考えたの」
うん。
「近場の海と和泉式部に関連がないか調べてみたら、諸説あるけど、この和歌を詠んだ場所はこの近くとも言われているのね。だけど、『涙を流すと海が干上がる』理由はわからなくて。ネットで調べてみても限界はあるし、それこそ腑に落ちなくて途方に暮れていたら、鳴海君があの封筒を渡してくれたでしょ?宮原先生は、自分の大切な歌の翻訳を、そう簡単に人を通して渡したりなんてしない。じゃあ、きっとこれにも意味がある。そういえば、わたしと鳴海君は席が近いし…名前、鳴海君…海…鳴海奏多君……って気づいた時にね、この歌が全然違うイメージになったの」
(一緒に謎解きをしているみたいだ)
どんな?どんなイメージになったの?
「想像して。海鳴りが彼方から寄せては引いて泣き叫ぶように響いているところ。作者の和泉式部は最愛の夫を亡くして、喪に服す為に海辺の街にやって来たのね。朝から晩まで泣き暮らす為に」
(海が荒れて波音が鳴り響いている。浜辺には長い髪を風に煽られながら負けじと泣き叫ぶ女)
「悲しみに沈んで溺れながら、どんなに泣いても叫んでも、海鳴りの奏でる壮大な音に、一人の人間が叶うわけがない。彼は戻らない。それを聡明な彼女が気付かないはずないの。だから皮肉を込めて詠んだ。自分が涙を流した分だけ海が干上がるなら、それはもう彼女と海は同化しているの」
どういうこと?
「んーと、大きな貯水槽があって、蛇口が付いているとするでしょ。蛇口を捻れば、貯水槽から水は流れ出て、やがてどんなに大きな貯水槽でも枯れるよね」
つまり、海が貯水槽で、彼女は蛇口な訳だ。彼女と海は同化して……水源をひとつにした。
──こんなにも涙が止まらないなんてどういうことでしょう。私の身体を通して流れ出る涙のせいで海という海はやがて潮が引いてしまうでしょうか──
「そう。そして海が干上がり、やがて彼女の目も潮が引いて乾いていくの。それすらも海のせいにする事ができる」
……和泉式部は、確かその後別の人と再婚するんだっけ。
「うん。あれ、鳴海君も調べてたの?」
一応ね、わからないままってのも癪だし。スマホで和泉式部の経歴読んだくらいだけど。
「そっかぁ。でもね、だからと言って、和泉式部が薄情な訳じゃなくて、泣き叫ぶような悲しみは、海と同じくらい深くて果てしがない、それも本当に本物の気持ちだと思う」
うん。最初の解釈も間違いではないって事だよな。そういえば、うちのばあちゃんがさ、じいちゃんの葬式の後に言ってたんだよ。『こんなに悲しいのに、なんでお腹は空くんだろうね』って、笑い泣きしながら。それ聞いた時に、人間って生きている限り欲が続くんだなって思った。
「どんなに悲しくても生きている限り、お腹は空くし眠くなるもんね」
業が深いよな。
「業が深いと言えばね…、更に複雑なことに、亡くした夫の前に付き合っていた恋人は、夫の実の兄で、その人とも死別しているの。兄弟揃って死別しているから余計に悲しみや思いは深くなるよね。この時代の結婚は通い婚だから、女性は夫が訪れるのを待つのが当たり前の時代だし、この時親にも勘当されているから、二人も続けて夫に先立たれてしまうのは、頼るものも後ろ盾もなくて不安しかないよね」
あぁ…思いは一つじゃなくて、複数の意味を持つってこと?
「そう。だから、鳴海奏多君の『名前』がヒントになったんだと思う。奏でる音が多いんだよ」
あぁ…なるほど……。和泉式部の世界って凄いな。こんな数文字の中に、思いが重なっているってことだよな。……自分の名前が、そういう世界を解くヒントになるって、なんだろな、変な感じ。…面白いね。
「そうだよね、そう考えると名前って不思議。その人だけの目印だもんね。それが今回、先生やわたしにとってもヒントになった」
(和歌より短い、名前の文字列の中にも、世界が広がっていく)
うん……はぁーっ、なんか今俺さ、日本人のこの感性がわかるってこと自体が嬉しい。伝わる?
「うんうん。ねぇ、ねぇねぇねぇ!!宮原先生に、今のこの気持ち聞かせたかったよね!」
……うん。
(……あの人、今どこで何やってんだろう?)
──『私は大学で見つけましたよ、自分の人生をかけても追いたい世界を』──
たぶん宮原は、中谷がこの答えに辿り着くことも見越して、俺に届ける役目をくれたんだろうし、それをきっかけに俺にも自分の名前の再発見をくれてさ。あいつ、ほんとに最後までやってくれるよなぁ。
「きっと先生は、自分の大好きな世界を、わたしたちに少しでも見せたくて、知って欲しかったんだと思う」
だとしたら、宮原の授業は大成功だよ。こんなにも『知る』ことが楽しいってこと、教えてくれたんだしさ。きっとまた何処かで、解き明かしたい和泉式部の謎を追いかけているんだろうな。
「そうだね。……うん、鳴海君なら、先生が辞めた理由知っているかなって思って来たんだけど、なんだかそれは、よくなっちゃった。きっと今、鳴海君が言ったみたいに、先生のことだから、どこかで和泉式部にまつわる何かをしてるよね」
あぁ、そうだな……。
「鳴海君、今日はありがとう。一つ、区切りがついたと思う!クラス変わっちゃったけど、また今度機会があったらさ?安藤君と2人で歌ってるの聞かせて?」
そんなもんでいいなら、いつでもいいよ。そのかわり今度また、俺の知らない和泉式部の和歌、教えて?
「和歌と歌の交換?……いいね!」
──こんなふうに、中谷葉月と和泉式部の話をするなんて思いもよらなかった。
桜の花びらが風に舞うのを目で追いかけて、そのまま空を見上げた。
──『春だからと言って、浮かれて空ばかり見ていると、足を掬われますよ?』──
……完敗だなぁ。知らないうちに巻き込まれて、知らないうちに、つい考えてしまう。
こんな時、こんな気持ちをどんな歌にしようか?
いつか千年先に届くような歌を俺も残せるかな?
……なんて。目を開けたまま壮大な夢を呟いた。
囀(あとがき)
三部作の筈が一章分長引きましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
しかも、ラストに至っては4月を迎えてしまい、もはやタイトル詐欺なのでは?おかしいなぁ。
今回、書く時にテーマがありました。
①連載で少し長いものを書いてみる。
②登場人物に名前を付けてみる。
③友達のいる主人公にする。
結果、一応クリアはできた訳ですが、あれですね、名付けって恥ずかしいですね。でもとても楽しい経験でした。
名前があると登場人物への気持ちも入りやすいようで、自由に会話していると思いもよらない展開になったり、途中、泣く泣く削ったエピソードやセリフも結構ありました。
削ったひとつに、ラスト主人公が友達の安藤君に電話してカラオケに誘うという話があったんですが、未だに入れた方が良かったか悩む。
皆様、良かったらご意見聞かせて下さい。
和歌の解釈や現代語訳に関しては異論もあるかと思いますが、寛大な心でご容赦下さい。
今回和泉式部に改めて触れてみて、映像が浮かぶような表現力や、弱さと力強さが同居した世界観に圧倒されました。
和泉式部という女性は、歌人としても勿論有名ですが、恋多き女性としての恋愛エピソードも伝説級の話が沢山ある興味深い人です。
以下、主な恋愛遍歴。
最初の夫【橘道貞(みちさだ)】①が単身赴任中に、冷泉天皇の第三皇子【為尊(ためたか)親王】②と恋に落ちるも相手が若くして亡くなる。
身分違いを理由に親から勘当、喪に服している間に今度は【為尊親王】の同母弟であり第四皇子の【敦道(あつみち)親王】③に言い寄られ一子を設ける。
ところがまたしても【敦道親王】は早くに亡くなり(この後詠まれたのが、本編に出てくる海の和歌です)、さらにその後、【藤原保昌(やすまさ)】④と再婚。
王子様2人から求婚されるという、シンデレラも真っ青な波乱万丈な女性です。
最後の夫【藤原保昌】には、まるでかぐや姫のような無茶ぶりをしたり(しかもその話を元にして京都祇園祭りの山鉾の一つが出来る程これまたドラマチックな話)、時の権力者・藤原道真に「浮かれ女」と言われたり、源氏物語の作者・紫式部に「けしからん方」と言われたり、かなりぶっ飛んだ、だからこそ興味深い人で、紹介仕切れていない素敵な和歌やエピソードが沢山あります。
気になる方は是非お調べ下さい。
恋愛中燃え上がっている時の歌も最高にかっこいいですよ。
蛇足になりますが、海の歌を詠んだ場所は、田子の浦と言われていて、静岡県の駿河湾沿岸です。
万葉集の世界ではお馴染みの場所とのことで、一度行ってみたい所の一つになりました。
あとがきまでお付き合い頂き、ありがとう︎ございました。また機会とご縁がありましたら、よろしくお願い致します。
末尾になりますが、今回、現代語訳、和歌の解釈に際して参考にさせて頂いたURLを掲載致します。ありがとうございました。
【参考文献】
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin//izumi.html
https://core.ac.uk/download/pdf/33974324.pdf
日常の延長に少しフェイクが混じる、そんな話を書いていきます。作品で返せるように励みます。