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3月の徒然(2)

🌸破

安藤春樹は、歌う為に生まれてきたんだと思う。歌うことが何より好きで、全て歌うことを中心に考えている。

だから、適当に見えて炭酸も烏龍茶も喉に悪いと聞けば飲まないし、逆にマヌカハニーが喉にいいと聞けば早速注文して毎日舐めている。

「俺、物心ついた最初の記憶が、バスの中で歌ってる記憶でさ。母親に連れられて、じいちゃん入院してたから、そのお見舞いかな?どこか行く為に珍しくバスに乗って嬉しくて、チューリップの歌歌ってるって記憶」

それ、周りから苦情というか、母親が止めたりしなかったの?

「いやそれがさ、母親は当然、止めさせようとしたんだけどさ。その時居合わせた乗客、みんな優しい人達だったみたいで。『いいよ、いいよ、聞かせてちょうだい』ってそのまま知ってる曲全部歌うソロリサイタル」

そんな安藤は、好きなだけではなく才能も伴っていて、高校生離れした感情が乗った声で、音域も広く、高い透明感のある声かと思いきや、低音の渋い掠れた声も出せるという、変幻自在の無敵さを誇る。

そんなに歌が好きなら、合唱部入るとかバンド組んだりしないの?って聞いたこともあるが、「あんまり他の誰かと組んで歌うってイメージがないんだよなぁ、まぁ、うん、色々考えてるとこ!」と言いつつ今日も何故か俺を連れてカラオケに向かう。

正直羨ましいのは、その後世に残すべき歌声よりも、自分の好きなこと、歩いてきた道の先に、やりたいこと、進むべき道がちゃんと見えてそうな、そういうとこだ。
…本人には言わないけど。

放課後、日直の仕事で職員室へ向かいながら、昨日安藤が歌っていた1曲を、何となく口ずさんでいた。香りで思い出してしまう元カノへの未練があるようなないような歌。

職員室には宮原と数人の先生がいて、宮原は僕が声を掛ける前に既にこちらを向いていた。

「鳴海君の声はよく通る声ですね。廊下で小さく歌っているのが、ここまで聞こえてきましたよ。実はその歌にね、似たような和歌があるんです」

”梅の香を  君によそへてみるからに  花のをり知る  身ともなるかな”

──梅の香りがした。君の香りと同じだから、梅の花の咲く季節を知るようになってしまった──

「恋人が愛用している香りが『梅花香』という薫物だから、梅の花にも敏感になる、という歌なんです。恋を知る人の感性は、まさに千年前から何も変わらないということですよね」

しみじみと呟いて何処か別の世界を見ている、そんないつもの宮原が、ふいに目を合わせ、何とも言えない顔をした。

「鳴海君にね、二つ、お願いがあるんです」

宮原は、感情の読めない顔で分厚い大きな茶封筒を差し出してきた。

「これを、いつでもいいので中谷葉月さんに渡してくれませんか」

先生が自分で渡せばいいじゃん。

「そうですね、でも、君から渡してもらう事に意味があるんですよ」

なんだよそれ?

「まぁ、そのうちきっと、わかるんじゃないかなぁ、どうかなぁ?どうだろう?」

ふふふ、と笑いながらもう1枚、コピー用紙を渡してきた。そこには一句の和歌が印字されていた。

”身よりかく  涙はいかがながるべき  海てふ海は  潮やひぬらむ”

「これをね、急で悪いんですが、明日の終業式までに訳して欲しいんです、鳴海君に」

……なんで?

「……お願いします。理由は終業式の後、お伝えします。……じゃあ、要件は終わりです。日直お疲れ様でした。帰っていいですよ」

と席に向かい、何かの作業をし始める自分勝手な宮原に、呆気に取られて何も言い返せないまま職員室を後にする。その背中に向かって

「あ、その封筒の中身は見てもいいですからね」

とのんびりした声が飛んできた。

……なんだよそれ?

生憎その日教室に帰ると、もう中谷葉月は帰ってしまっていて、預かり物は渡せなかった。机の中に置いておくのもなぁと思って、そのまま持ち帰ることにした。

待っていてくれた安藤と今日も安定のカラオケに行き、二人でハモリの真似事をして遊んだ。

安藤の声はいつ聞いても落ち着くし、ほんとにこいつ、ここに居るの勿体ない、俺だけが聞いているのが勿体ないなって思った。

ジュースが切れて、追加の注文しようと立ち上がると、安藤が言った。

「ナルミさ、お前さ、歌手とか目指さないの?」

は?何言ってんの。それこっちのセリフだから。

「はぁ…やだやだ、ほんと。この子ほんとヤダ」

安藤はそれ以上は言わず、最近練習中のやたらと音程に高低差のあるアップテンポの歌を歌い出したので、なんとなく続きは聞きそびれてそのまま終わった。


その日午後から降り出した雨は、夜が深まるにつれて雨足を強めた。

宮原から中谷葉月へと頼まれた預かり物は、和泉式部の歌とその現代語訳のコピーで、宮原が訳したものらしい。

コピー用紙を分厚く重ねてホチキスで止められているその表紙には、黄色の四角い付箋が貼ってあり、

「全てはお伝え出来なかったので、これを代わりにお渡しします。ところで、答えは見つかりましたか?            宮原」

と書いてある。なんの答えだろう?

訳せと言われた同じものが載っていないかなと、パラパラとページを捲りながら、事細かな注釈や参考歌、派生歌を見ていると、今はもういない千年前の女性の気持ちを読み解く為に、当時の文化や同時代に生きた文化人の遺した人物評、そういった背景まで探って、この僅かな短文の中に隠された気持ちに寄り添うというのは……少し狂気も感じるけれど、何故か羨ましい気持ちにもなった。

ふと、目に飛び込んできた一句。

”夜もすがら  何事をかは思ひつる  窓打つ雨の音を聞きつつ”

──窓を叩く雨音を聞きながら、何を想っていたかなんて聞くまでもないでしょう?一晩中眠ることも出来ずに貴方のことを想っていました──

中谷葉月は、今誰を想っているのだろう。

……聞くまでもない程、俺はまだ君を知らない。

雨音を聞きながら一晩中眠れない夜を過ごすのは、千年前も今も、何も変わらないのだと知った。


つづき

(1)序    ⇒  (3)急


休憩書き2

おかしいなぁ。

春の弾んだ気持ちを書く予定だったのに、弾みすぎてコントロール出来ずにどこかへ飛んでいってしまいました。

(こんなに長くなる予定じゃなかった)

ラストはもう決まっているのですが、1度数日かけて下書きにも保存したはずの最終稿が、何故か大分前の下書きに巻き戻っていて(そんなことある?)もう一度書き直す羽目に陥っています。

とある登場人物の呪いなのかな?

おかしいなぁ。


日常の延長に少しフェイクが混じる、そんな話を書いていきます。作品で返せるように励みます。