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社会学的視点に腹落ちする『韓国映画・ドラマ わたしたちのおしゃべりの記録2014〜2020』

Twitterでフォローしている方のTweetで知ったこの本。
面白くて一気に読了してしまった。

おしゃべりの記録というタイトルらしく、難しいことが書かれているわけではなく、かといって「俳優◯◯がカッコいい!」という類の話でもない。
「ほどよく硬く、ほどよく柔らかい」という感じ。

書き下ろしコラムも含まれているけど、多くのコンテンツは過去の対談の様子がそのまま掲載されている。


その中でも、韓国映画やドラマの変遷から見た韓国の価値観の変化に関する語りが面白い。エンターテイメントと社会との関係についての考察は「映画(ドラマ)から見る社会学」という感じで、個人的にはツボ。

加えて、韓国エンタメがグローバルで成功するまでのあれこれはもちろんのこと、日本エンタメが韓国エンタメに与えた影響、逆に日本エンタメが韓国エンタメから受けている影響についての「おしゃべり」が興味深い。

ちなみに、私の韓国コンテンツ沼への旅は、昨年鑑賞した「愛の不時着」からのスタート。つまりはまだ1年も経っていない。
でも、沼にハマってからというもの、ものすごい勢いで韓ドラ・韓国映画を鑑賞してきた甲斐あって、この本に出てくる作品の多くが観了。おかげで十分楽しめた。


さて、本書では韓国映画やドラマから読み解く形で、韓国の政治、倫理観、家族観、格差、ジェンダーなどが語られる。

その中で、韓国映画でもないのに頻出していた作品がある。
それは「マッドマックス 怒りのデスロード」(フィエミニズムを語る上でひきあいに出されていた)。

そう言えば「愛の不時着」でも銃で撃たれたリ・ジョンヒョクを病院に運ぶ際、ユン・セリが「私の好きな映画はマッドマックス 怒りのデスロード」と言い放ち、車を暴走せるシーンがあった。ともあれ、個人的には興味のないジャンルの作品なので内容を知らなかった。が、本書で何度もこの作品が出てくるので、ついにはNetflixで鑑賞。

延々と繰り広げられる戦いを2時間観続けるのは正直しんどかったが、「男女の協力(恋愛抜き)」で何かを成し遂げるというスタイルは、確かに目新しい世界観なのかもしれないと納得した。
アメリカにおけるポリティカル・コレクトネスの浸透を背景に、多様な観客を呼び込むために(観客動員という資本の理論的にも)「男女協働」の作品が出てくるのは自然だとする、著者の指摘も興味深かった。


***


さて、本書の中で、韓国の若手俳優が日本映画について語った言葉が以下のように紹介されている。

日本の映画は何も起こらないのに、ちゃんと繊細な心情が描かれている


実際には何も起こらないわけではないけれど、劇的な展開や分かりやすい事件がおきる韓国映画やドラマに比べたら、日本映画は静かな部類なのだろう。

ちなみに私は、いわゆる日本映画的な直接的でない表現を、深く、深く愛している。鑑賞後に様々な感情がじわじわ湧いてくる感じこそが、映画鑑賞の醍醐味だとも思っている。


しかし、コロナ下における巣篭もりにより動画配信サービス漬けの生活を送る中で、別の世界にすっかり魅せられてしまった。
それは「何かが必ず起きる」世界、韓国エンタメの世界だ。
その鍵となるのが「分かりやすさ」「スピード感」

そもそも映画やドラマの脚本にはフォーマットのようなものが存在する。主人公の成功物語であれば、「脚本の前半、このあたりで事件が起きる」とか、「主人公が窮地に立たされ全てを失うのは後半のこのあたり」など、おおよそのパターンが決まっている。もちろん全ての脚本がそれに倣っているわけではないが、多くの映画やドラマがフォーマットに沿って作られるのは、それが観る側の感情を動かすのに効果的だと知っているからだ。

韓国映画やドラマはそこを強く意識して製作されているように思う。
たとえば、本書にもちらりと出てきた映画「ザ・キング」はまさにその王道をいくスタイル。前半25%程度のところで主人公が人生を決定づける大きなきっかけがあり、物語のちょうど半分で転換点を迎え、後半残り25%くらいのところで主人公が全てを失い、ラストに向けて最後の戦いに挑むといった感じ。
つまりは分かりやすい。

それに加えて、鑑賞者を飽きさせないスピード感で物語を展開させるのも韓国コンテンツの特徴だ。よく、韓国ドラマは中毒性があると言われるけれど、それはこの「分かりやすさ」と「スピード感」と深く関係していると感じる。


そう言った意味で、日本的わかりにくさは言ってみればやや玄人的。
一方の韓国の分かりやすさは大衆の興味をそそった上で、スピード感を持って有無を言わさず鑑賞者を巻き込んでいく。一種の「技」とでも言うか。観る側を退屈させないことに注力し、サービス精神にも溢れているので最強だ。



しかし、昨今は事情が違ってきているらしい。
「最近の韓国映画は日本映画的なわかりにくさを模索している」と著者たちが言う。観客は癒しを求め、より内性的に自己獲得を追求するドラマが人気だとも。

なるほど。
この先、韓国映画はどう変化していくのだろう。行き着く場所がどこなのかがとても気になる。
同時に、日本の映画やドラマが、この大人気の韓国エンタメをどのように消化し、どこに進んでいくのかに興味津々。


***


さて、本書の後半に、昨年日本で公開された「82年生まれ、キム・ジヨン」「はちどり」などに見る女性監督の台頭についての章がある。
韓国において、好まれる映画が変化してきているという流れの中で女性監督たちが大きな役割を果たしているだろう。

ちなみに、本書コラムにもある韓国映画「チャンシルさんには福が多いね」の監督も女性。

この映画は前述にある、いわゆる「何も起きない系」に分類されると思う。分かりにくくはないけど、あとからジワジワくるというスタイルは日本映画的とも言える。
そういう意味でこの映画は、昨今の新しい流れの中で生まれた作品のひとつなのだと思う。



さて、韓国映画と言えば、個人的には「1986、ある闘いの真実」「KCIA 南山の部長たち」のようなシリアス骨太系の近代史作品が秀逸だと思っている。

一方で、「82年生まれ、キム・ジヨン」「はちどり」は、これら骨太系とはまったく別の手法と切り口で社会問題に挑んでいる。それが女性監督の作品だからなのか、たまたまそうなのかはよくわからない。

どこにでもいる一般市民の視点で描く世界と、史実に基づいいて描く世界とではおのずと違いが出てくるけれど、まずは、「どの立ち位置から物語を作るのか」という最初の選択において、監督の性別によって違いが出てくるのだとしたら、それはそれで興味深いことだと思う。同じ世界を見ていても見える景色、あるいは、見たい景色が違うということなわけで。


さて、この本を読んで、映画「お嬢さん」「スゥイング・キッズ」は是非観たいと思ったのだが、本日時点でNetflixとAmazon Primeどちらからも配信されていない。とても残念。。


何はともあれ、いろいろ勉強になった。
韓国コンテンツに興味のある方にオススメの一冊です。


トップ画像:「韓国映画・ドラマ わたしたちのおしゃべりの記録2014〜2020」
       西森路代 ハン・トンヒョン著 駒草出版




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