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オルタナティブ・パブリックスについて

この記事では「オルタナティブ・パブリックス(Alternative Publics = APs)」について説明する。

オルタナティブ・パブリックス(APs)は、建築を専門とする自分が公共性のあり方をとらえる上でヴィジョンとしている
「オルタナティブ・パブリックネス(Alternative Publicness = APness)」
という公共性論の中に出てくる概念であり、
社会の中にいくつもある大小さまざまな空間・圏域・場所を表現した言葉だ。

言葉が似ていて少しややこしいが・・・
○オルタナティブ・パブリックネス(APness)
 :公共性の枠組み、システム、概念構造などの全体
○オルタナティブ・パブリックス(APs)
 :全体を構成する特定の具体的な要素(AP)、およびその集合体(APs)

用語の整理:APnessとAPs

これら2つの用語は他の記事でも触れたことはある。
しかし基本的にはAPnessを解説する内容であり、APsはAPnessを説明する過程で少し触れているにとどまっている。APsそれ自体を中心に解説したことはない。

そこで今回は、APsそれ自体にフォーカスし解説を行い、概論(APness)と現実の接点を見出すことを目的としている。

細かい論理的根拠や参照元については過去の記事(下記)をご参照いただきたい。


01.APs(オルタナティブ・パブリックス)とは?


オルタナティブ・パブリック(Alternative Public = AP)を日本語に直訳すると「代替的な公共圏」と表現することができる。
公共圏とは、端的に言えば「多くの人々が互いの権利と自由を認め合いながら共有・共存する人の集合」であるが、
その言葉に「代替的=Alternative」をくっつけたものがオルタナティブ・パブリック(Alternative Public = AP)であり、
その複数形(+s)がオルタナティブ・パブリックス(Alternative Publics = APs)ということになる。

本来、名詞のpublicは不可算名詞であり、public”s”のように末尾に複数であることを示すsを付けることは誤用にあたる。
なぜなら、publicが指す人の集合とは特殊な性質を持つ有限人数の集団を指すのではなく、(理想的には)古今東西場所を問わず、全ての人類が関わる非常に一般的かつ唯一のものであるからだ。

ではなぜ、AP(オルタナティブ・パブリック)にはsが付くのか?
それはAlternative Publicは特殊かつ有限であり、「特定の有限人数の集団と場所」を指し示すからだ。
Aという特定の集団(AP)も存在すればBという別の集団も存在するしCもDも存在する。
APと呼ばれるものは多種・多数存在するので、APは可算名詞的にsがつきうるし、
特定かつ有限人数の集団となればpublicとは異なり、集団を形成する特定の場所や空間が存在する。
また、APはそれぞれが個性的であり、
AP同士が互いに相補的もしくは代替的に、僕たちの生活に作用することを前提としている。
そのためAPが単独にポツンと存在することはありえず、
APsとして、多種多様なAPの集合体として存在することを前提としている。

図: 「ビルのような」公共性
APが多数、層状に連なり、層間を人々が自由に行き来し、自由にAPを選択する

つまり、オルタナティブ・パブリック(AP)とは「個性的かつ有限な人の集団と場所・空間」であり、
APが多数相補的に集合したオルタナティブ・パブリックス(APs)として存在する、ということになる。

ちなみに、オルタナティブ・パブリック(AP)に近しい概念がAP以前に無かったわけではない。
従来の公共性論では親密圏と表現されうるものがオルタナティブ・パブリックネス(APness)論においてはAPsの内に含まれている。
また、田中元子氏と大西正紀氏が提唱する「マイパブリック」はAPにかなり近いイメージとビジョンを持っていると思われる。
詳しくは下記著書や、大西氏のnoteをご参照いただきたい。


02.APs(オルタナティブ・パブリックス)の条件と目的


では、ある集団・場所・空間がオルタナティブ・パブリック(AP)であると認められるための条件とは何だろうか?

拍子抜けのような答えになるが、条件は基本的には「ない」。
強いて言うなら、

①”人”が居ることができ、ある程度自由に出入りできる
②反復・再生産される特定の「行動」が行われている
③具体的な場所や空間に紐づけられている

APの条件

この3点が条件となる。
ほとんどの空間が見方によってはこの3条件を満たすと思うが、これはどういうことか?
(②については後述の補足などを参照)

そもそもAPを考えたキッカケは
「多少なりとも公共性を持つなら、どんな些細な空間であれちゃんと、公共的空間としての側面を認めたい」という思いからだった。

例えば住宅はプライベートな空間として割り切って判断されることも多いが、
家族のあり方も多様化し様々な人が出入りする空間になりうることや、各種法律が家庭内の状況に影響を及ぼしていることからも分かる通り、
多少の公共性のカケラを持っていることが分かる。

どんな小さくて些細な集団と空間であってもそれは僕たちの人生を形作る大切な受け皿なのだから、
そんな小さく些細なものにも公共性のカケラのようなものがあるということを認めるべきであり、
不可算名詞のpublicの元では見出せなかった小さく不完全な公共的空間を、できるだけ多く救い上げようとしたのがAPだった。
そして、例え一つ一つが小さく些細なものだとしても、それぞれが足りない部分を補い合いながら集まり、
カケラの集合体が「不可算名詞のpublic」の理想像にも匹敵する公共性を持ちうるというのが、
オルタナティブ・パブリックネス(APness)のヴィジョンだ。

そのため、可能な限り全ての集団、空間、場所、領域をオルタナティブ・パブリック(AP)として認め、
可能な限り多様な「空間の個性」をオルタナティブ・パブリックス(APs)の構成要素に取り込むことが元々の目的であり、
上記①〜③の条件さえ満たされていれば、
全て空間・集団・場所・領域はAPである、と僕は考えている。

以下の引用記事では2020年5月~2022年3月まで23回にわたり雑誌「商店建築」で連載した「商業空間は公共性を持つか」を紹介している。
この連載では、商業空間における面白いAPをピックアップし、その空間の事業者や運営者、設計者へのヒアリングを行ったり、空間の分析を行ったりしている。
合わせてご覧になっていただくと、より具体的なイメージがわくかもしれない。

02-補足.条件②について

APにおける体験は、APが紐づけられている物理的空間の様相、およびAP内で反復され再生産される人のふるまいや動物の習性、もしくは物事決められた動きによって生産されると僕は考えている。
特に人が反復し再生産するふるまいを「行動」と呼び、
いつも期待された状態であるという意味(定常的に存在する・繰り返す)において、物理的空間の設えと同等のものとして、オルタナティブ・パブリックネス(APness)では捉えている。

よりかみくだいて「行動」を説明するなら、
例えば、ソファに座り窓の風景を眺める、
喫煙室でタバコを吸う、
通勤通学のためにお決まりの道を行き来する、
・・・などの些細なものから、
朝起きて食事をとり出勤といった一日のルーティン、
もしくは年間を通じた各季節への対応など、比較的長い期間の中で繰り返すものまで、
大小さまざまな時間スパンの中で、決められたリズムで繰り返す人の動きを指す。
また、単に繰り返すものだけではなく、決められた流れに従い執り行われる動き(例えば、結婚式などの儀礼)も、ここでは「行動」として解釈される。

つまり「行動」は、人が行う動きのうち、予期・予測が可能な部分、決まって起こると期待・約束されている部分を指し、
定常的に現前するという意味で、物理的空間の設えと同一視できると、僕は考えている。

図:空間と体験のダイアグラム(Fujimi Lounge)
CAPでは1つ商業空間にどのような体験・行動(上図の矢印赤線)が交錯し
どのように関連し合っているかを
上図「空間と体験のダイアグラム」で分析している

人間の生活に関わっているのであれば、「行動」は基本的はどのような空間や場所にも見出すことができる。
また、複数かつ別種の「行動」が同一の空間や場所に併存していることもある。
その場合は、物理的な空間や場所は一つだとしても、APは「行動」の種類と同じく複数併存する。

なぜ人の「行動」に着目するか、もしくはなぜ人の「行動」がAPの体験を生産すると考えるかについては、下記記事もご参照いただきたい。


03. AP(オルタナティブ・パブリック)の良し悪し


ほぼほぼすべての空間や集団がAPであるとしても、
すべてのオルタナティブ・パブリック(AP)が素晴らしく実現されている、とは到底言えない。
APにも良いものと悪いものが存在する。

ここでは、現時点で僕が思う「良いAPの条件」を挙げてみる。

03-01.良いAP(オルタナティブ・パブリック)の条件その1:コスパが良い

どんな集団、空間、場所であっても、費用が全くかからないということはない。
誰かの土地であれば賃料を払う必要もある。
自前のものなら税金がかかることもあるし、掃除や手入れが必要にもなる。
期待される効果を維持するためにはそれ相応のコストが必要であり、
コストに比して効果が低いオルタナティブ・パブリック(AP)は、維持するために誰かが不当に割を食っているということになる。

何に依存して持続しているかも重要だ。
ある自然環境や特定の自然の風景あってのAPであれば、
依拠する自然がどのぐらい持続するものなのか、持続するためにどのような努力が必要かを考えないといけない。
もしAPが特定の金融政策ありきのものなのであれば、
その政策の有効期限や無効になる条件、無効になった際の対処法(APを終うという選択も含めて)を検討しておく方がベターだ。
ある組織(民間企業、自治体、国、宗教、共同体など)が母体なのであれば、
それらの現状や今後どの程度存続可能であるかも見極める必要がある。

また、長く持続すれば良いAPである、というわけでもない。
APが持続できると期待される年月に応じたコストの払い方になっているのが望ましいし、逆にコストの支払い方と矛盾しない耐用年数をAPに設定する方が良い。
もちろん、芸術作品のように恒久的に残すべきであるという理念を纏ったものが存在するのも確かだが、
実際はそれすらもその時々の時代性や理念への共感に基づき、その都度その都度、理念を実現するための多大な努力(コスト)が求められる。

03-02. 良いAP(オルタナティブ・パブリック)の条件その2:移動の自由

上述の通り、オルタナティブ・パブリック(AP)は他のAP達と併存することで初めて意味をなす。
そのため、各APの効果を阻害しない範囲で誰でも自由に出入りできることが望ましい。

また、出入りに何かしらの制約が必要だとしても、その制約の設け方にはデザイン的工夫が求められる。
仮にあるAPが建物の中にあるとすれば、
建物の出入り口の数、配置、大きさ、段差の有無、見通しの良さ悪さ・・・といった建築デザインの良し悪しがAPの良し悪しに関わってくる。
特定の集団のためのAPだとすれば、
明確に会員のみ入ることができるものなのか、メンバーは流動的に変化するのか、それともその中間の、緩いメンバーシップなのかは、
各APの個性に合わせて適切にデザインされているべきだ。

03-03. 良いAP(オルタナティブ・パブリック)の条件その3:良い関係・自律性

繰り返しになるがオルタナティブ・パブリック(AP)は単独ではありえず、
必ずオルタナティブ・パブリックス(APs)として存在する。
それはAPに属する人が別のAPに移動するということだけでなく、AP自体が資源のやり取りをしているケースもある。

「文化的景観」という概念もある通り、地域文化の営み(AP)が景観を持続させているケースもある。
もしここに景観を楽しめる観光施設ができ、観光とその集客(AP)が生み出す利潤が前述の地域文化に還元されることが可能ならば、
それは2つのAP間でシンプルな資源の好循環になるかもしれない。
一方が他方の資源を搾取するのではなく2つ、もしくは3つ以上のAP間でwin-winの資源循環があると、それぞれがより持続しやすくなる。

APには独特の思想が存在することもある。
分かりやすい例は宗教だが、思想が根本的に矛盾していたり、思想の違いを無視して近接した場所、もしくは同じ場所に依拠していると、
AP同士で衝突が生じてしまうことは、僕が言うまでもない。
宗教ほど極端でなくても、人が集まるところには何かしらのこだわりは生じるものなので、
AP間の物理的・心理的な距離の取り方も、実空間のデザインに問われる。

そうなれば、AP間で関係をあえて持たないようにするということも、APの生存戦略の一つだ。
上記文化的景観と観光の例も、仮に片方が予期せぬ理由で消えてしまった場合、共依存関係だったもう片方もドミノ倒しのように消えて無くならざるをえなくなるかもしれない。
必要以上に他のAPとの資源循環・好関係に依存していると、
どれか一つが消えただけでダメになるというリスクの多様化にさらされる。

何にも依存しないAPは理想論でしかないことは確かだが、依存先は最小限かつ整理されている方が望ましいのも事実だ。

03-04. 良いAP(オルタナティブ・パブリック)の条件その4:個性がある

オルタナティブ・パブリック(AP)がオルタナティブ・パブリックス(APs)として群として存在していても、
APの個性が全部同じであったら何も意味がない。
APは互いが異なれば異なるほど、お互いの足りない部分を補完し合う存在になり得る。

全てのAPが寝ることに特化していても、食事ができるAPがなければ意味がない。
特定の友人と話すAPしか存在しなかったら、他の友人や家族、もしくは全く知らない人と出会う機会を得ることはできない。
APが不完全な公共的空間である以上、不完全さは他のAPに移動することによって初めて補うことができるし、
もしどのAPでも補うことができない本質的欠損があるとしたら、
その欠損を補うAPの価値が上がり、市場原理に基づき新たな個性的APとして現れうる。

03-05. 良いAP(オルタナティブ・パブリック)の条件その5:「良い」体験が得られる

そして大前提として、各オルタナティブ・パブリック(AP)で得られる体験が良いものでなければ存在価値はない。

しかし「良い」と一言で言っても、どのように良いのか、何をもって良いのかについては様々な意見と知見があるだろう。
人や状況によっても「良い」の基準は変わるかもしれないし、
人や状況に左右されない必要性の担保という意味での「良い」もあるかもしれない。

APにおける体験の良し悪しについてはさらに別の議論が必要になりそうだが、
少なくともAPが提供する体験が危害や害悪を与えるものであったり、なんの意義も展望もないものであったら、
そのAPに属したいと思う人はいないだろう。
また、動線が明快で迷わず目的の場所に行けることや、
暴漢に襲われることなく安心して過ごせるなど、
AP内の「行動」が過剰な負担なく反復可能であることも、APが持続し人々から指示を得る条件になるだろう。


04.AP(オルタナティブ・パブリック)のさらに先にあるもの


ではオルタナティブ・パブリック(AP)として集団や空間、場所を捉え、
オルタナティブ・パブリックス(APs)として建物や都市、社会、世界を見ることによって、
何が可能になるのだろうか?
そして、その先には何があるのだろうか?

上記の通り、APという概念を作り出した理由は、些細な集団や空間とそこに存在する文化を評価し認めるためであり、
そういった些細な集団や空間の集合によって成り立っている僕たちの世界を(APsとして)理解しやすくするためである。

また、これはあくまで個人的な経験とこだわりに依る話だが、
大学の建築教育における「空間」や「都市」といった概念が、自分にはどうしても現実やリアリティからかけ離れたもののように思え、それらの概念を信用して使うことができなかった。
そのため、「空間」や「都市」に代わる信用できる概念としてAPとAPsを開発した、という経緯もあり、
「空間」や「都市」がクリシェ化してしまうのであれば、
ゆくゆくは代わりに自分にとっては明示的なAPとAPsを用いたいというのが個人的な希望だ。

APとAPsを介して大から小まで、様々な物事が支え合いながらできる社会像が見えてくればいいなと思っている。

ではここからは、もう少しAPとAPsについて、少しだけ掘り下げてみたいと思う。

04-01.建築的AP(オルタナティブ・パブリック)を形作るもの:行動を促する強い「カタチ」

ここではオルタナティブ・パブリック(AP)が、自分が専門としている建築においてどのように作られうるかについて、
現状の自分の考えを書いてみる。
建築にとってのオルタナティブ・パブリックネス(APness)の意義については下記記事を参照いただければと思う。

APには様々な物理的・時間的規模のものがあるので、
全てのAPが建築によって作られる、なんてことはありえない(建築というハイコストな手段を用いない方が良いケースはいくらでも想定できる)のだが、
あるAPがそれなりの耐用年数と安定感や持続性を想定するなら、そこに建築の実践や知性が役立つ可能性は高いと思う。
では仮にAPが建築的である場合、APの個性を形作るものはなんだろうか?
この疑問に対して僕は暫定的に「行動を促する強いカタチ」という答えを用意している。

上記の通り、各APには特定の”良い”体験が備わっており、
さらに、体験は奇跡的に発生するものではなく安定的に再生産され、所属する人々に提供されなくてはいけない。
属人性、もしくは周辺状況への過度な依存は避けるべきであり、
安定したシステムや約束事、もしくはソリッドな設えによって支えられている方が良いと、僕は考えている。

そのため僕は、
「この場所ではどのような身振り手振りができるか」
「この場所ではどのような体験が得られるか」
といったメッセージを、明確で強い「カタチ」として建築化することを心がけ、日々デザインを試行錯誤している。
そして「カタチ」に込めたメッセージは「特定の行動と体験を生産するだろう」という仮説となり、
現実の中でその有効性や不完全さが試されることとなる。
そして、カタチが

仮説(カタチver.01)→建築作品A→実証(現実)→フィードバック→ 仮説(カタチver.02)→建築作品B→・・・

カタチの進化、系譜としての建築

という作品横断的、もしくは作家横断的な反復により、歴史の中でブラッシュアップされていくことができれば、
建築はカタチの系譜の中で、少しずつ人々の理想に近づいてくことができる。

すでに「偶然の船」という家具においてカタチとAPを意識しデザインし、
納品後の変遷を記録しカタチがどのように作用したかを追跡(プロジェクト名:「壊れた偶然の船」)したが、
結果、家具のレベルでは上記の意図はある程度実現されていたように思う。
また、想定から外れた部分も、次に同じカタチをAPとして別作品に適用する際のフィードバックとして役立つ目処も立っている。

04-02.AP(オルタナティブ・パブリック)に所属する”人”の定義

オルタナティブ・パブリック(AP)の条件として「①”人”が居ることができ、ある程度自由に出入りできる」と述べたが、
この「人」が意味する範囲には解釈の余地がある。

国や人種、身体的特徴に関わらず人類である以上「人」に含まれるのは当たり前だが、
マルチスピーシーズ的、人新世的に物事を捉えれば、
人類以外も、ここでいう「人」に含めてもいいかもしれない。
APが成立し持続するためには安定的に反復される「行動」が存在すればいいので、
定期的に繰り返される「行動」の担い手が人類以外の動物や、自然循環、無生物である可能性もあるし、
逆に言えば「APを維持する行動」という観点において人類は動物に見立てられているとも言える。

04-03.APs(オルタナティブ・パブリックス)の弱点その1:相互依存社会的な側面

ここまで繰り返し述べているが、
オルタナティブ・パブリック(AP)はオルタナティブ・パブリックス(APs)として初めて成立することを想定している。
特定のAPが突出した権力や能力を持たず、各APが相互に補完しあう状況を理想としており、
いわゆる相互依存社会、つまり相互に圏域同士が依存することにより互いが敵対したり攻撃し合うことがなくなるという社会像に近い想定だ。
しかし実際は国家間での戦争は続いており、戦争に際して民間企業は撤退している。
つまり現実世界は依然として「国家」というAPが突出した権力を持ち続け、
民間企業などが作りうる小さなAPの動向を左右し、
さらには相互依存関係を無視した争いが発生しているということになる。

強大なAP(国家)のドグマの前では、小さなAPたちは従わざるを得ず、
2023年現在の世界動向はオルタナティブ・パブリックネス(APness)が意図する将来像とは少し矛盾している。

04-04.APs(オルタナティブ・パブリックス)の弱点その2:APsではどうしてもカバーできない公共性があるかもしれない

オルタナティブ・パブリックス(APs)では些細な集団や空間による公共性のカケラが集まり、総合的に「不可算名詞のpublic」に至ること目指している。
オルタナティブ・パブリック(AP)がいっぱい集まればいずれは自動的に「不可算名詞のpublic」に至るだろうという、「神の見えざる手」を期待する楽観的な見方もあるが、
おそらく現実はそう甘くない。

APが「良いAP」として持続するためには、上述の通り「コスパ」と「楽しさ」が重要だが、
これは裏を返せば「ごく少数の人にとっては必要だが、維持するために多大な費用と労力が求められるAPは、そのAPを利用しない人からは共感と指示を得にくいため、持続しにくい」ということにもなる。
ごく稀に起きる難病に対する社会保障などがわかりやすいと思うが、
こういった「少数だけど多大な助けが必要」という状況に対してAPsは即効力のある処方箋を持ち合わせていない。
もちろん当事者でなくても共感するというケースはあるので、
APに属する人数(当事者)が少なかったとしても、パブリックイメージが上手く構築されれば、
「少数だけど多大な助けが必要」なAPにも共感と支持は集まりうる。
しかし、全てのAPが必ずしもそう上手く行くとは限らない。
国家による税金の再分配に比べれば、認知度を上げるための大々的なキャンペーン、パブリックイメージを構築するためのプロモーションなど、
少々周りくどく面倒な、しかもプレゼンセンスが問われるプロセスを辿らなくてはいけない。

APsが実質的に社会に実装されていない現状でこの弱点について議論することは時期尚早だとは思うが、
仮に現時点で対処法を挙げるとすれば、
APsではカバーしきれない公共性を常にリサーチし議論しつづけ明示する機構を(もしかしたらAPsの外部に)作ることになるのかもしれない。

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MACAP代表 西倉美祝
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