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自分の存在価値を図る物差し

「私はどこにいるの?」

こんな風に思っている人がいたら、さあ今すぐ映画館へ行きましょう。

映画の主人公と言えば、ヒーローだ、学校1の美男美女だ、ちょっと眼鏡をかけているとあれだけど、外すとあれっ!など、何かしらの「ひかるもの」を持ち合わせている人がなっている印象がある。

 この映画に出てくる主人公が光っていないというわけではない。しかしながらどこか自分と同じような、何十億人の中の1人。いやもしかしたら何十人もいるかもしれないが、自分と当てはめやすい人物が対象となった作品であると感じた。だからこそ自分がどこにいるのかわからない、そんな風に感じているあなたに観てほしい。そんな映画になっている。

 さあいったいその映画は何なのかって。では予告編でも観てみてください。きっとあなたの居場所が、あなたが存在しているという確かな証拠を見つけたくなる。そして映画館に今すぐ行きたくなりますよ。

 皆さんご存じかもしれませんが、その映画は

「街の上で」

です。少しここで私が疑問に思ったことでも話していこうか。

「街?町じゃないの」

どうして街なのか。あくまでも私の見解ですがそれは、

「街のような華やかな場所で自分を見つける」

そのような意味が込められているのではないでしょうか。「町」より「街」の方が何か華やかなイメージを持ちやすい、そう思います。画数が多いから?どうしてでしょう。何気なく見ていたこの漢字と向き合ってみると意外と面白いなと感じたり。まずは辞書的な意味ものせてみます。

町‥‥家々が密集する地域
街‥‥商店が立ち並ぶ地域

とあり、密集する物の違いが見て取れます。町は人家が多く集まってるところで町おこしとは、地方公共団体としての町や市の活性化を意味し、街は商店街などが立ち並ぶにぎやかな場所で、街おこしは商店街の活性化という意味になります。参考にさせていただいたリンクを下に貼らせていただきます。

 こんなに「まち」と向き合わせてくれたこと、感謝です。なかなか調べようと思わないとあまり気づかない違いですよね。(私だけかな…)

 辞書的にはこのような意味を持っているみたいですが、あくまで私の見解である、「街‥‥華やかな場所」ということでここから先は進めさせていただきますのでどうかご承知を。

 まずは、街の上でを鑑賞した理由についてでも語りますか。この作品はかの有名な「愛がなんだ」の監督でも知られている

今泉力哉監督

の作品。奇遇なことに出身が福島でなんか運命を感じてました。(私も福島出身なのです。)また、下北沢が舞台ということで観る以外の選択しなし、新宿シネマカリテで上映してるし、みまーす!ということで観るに至りました。この時はまだ若葉君の演技をあまり知らなかったのでその後若葉君の魅力に気付いたということは少し小声で…。

 さあ出発。これから観る人がいると考えられるので、内容には触れないで行きます。劇中は全体を通してワンカットが長い印象を受けました。くれなずめもそうですが、最近鑑賞させていただく映画は長回しが多く私のタイプをつかれています。まるで皆さんの会話を垣間見ているような、また第三者として映画に参加しているようななんだかこそばゆい気持ちになりました。すみません、いきなり「くれなずめ」とは何ぞや!と思ったそこのあなた。こちらもおすすめの作品となっていますので、私が書かれていただいたレビューを予告と共にこちらに貼らせていただきますね。ぜひご覧あれ。

 こちらの作品にも若葉君が出演されています。また対照的な人間性を演じているのでこちらも観てほしいです。

 では街の上でに戻りましょう。ここでは冒頭でも触れたように、本当にごく普通のとくにライトに当たったことがないような人たちが中心的に話が進められていきます。しかしながらそこに確かに存在している。その存在していると思える物差しの測り方は人それぞれ。その「人それぞれさ」が物語を通して感じ取れました。周りから認められて自分の存在を判断できる人。たった一人でもいい、一人の人に自分を必要とされて存在を判断できる人。人の幸福度は様々だしその一つとしてみんなの中には自分の「存在価値」があったように思いました。

 この映画で展開される見どころの一つとして、「会話のテンポ感」があると思います。表情で物語るシーンが多い映画も数多くありますが、こちらは非常に会話数が多かったです。声のトーンや少しの間、話すスピードも本当によく表現されていました。個人的な一番の見どころを言いたいところですが、完全ネタバレになると思うので、ここでは控えさせていただきますね。でも一つだけ言わせていただきます。すべてが見どころです。映像といい会話のテンポ感といいとても心地よい時間がスクリーンの中では過ぎていきます。

 確かにあの時間はとても優しいものでした。130分という少し長めな時間で一つ一つのシーンが物足りないと感じることなく鑑賞することができます。

 優しい時間が流れるとともに、自分の存在価値がなかなかみいだせなかった私に「たしかにここに存在している」と教えてくれました。普段なら焦点をあてられない人にライトがあったている作品だからこそのことだと思います。「町」じゃない「街」というにぎやかな場所だからこそ何か生きづらさを感じる世の中に刺さる作品です。

 皆さんも自分の物差しを探す130分の旅に出かけませんか?


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