#未来のためにできること が途方もなさすぎたら
暑い日が続いている。
人間の行動が地球環境に影響を与えていることは、もう何年も研究されて出た結論だから、きっと間違いないのだろう。
もうちょっと過ごしやすい気候の日が増えてほしいと思うし、そのために自分ができることをやりたい。
けれど問題のスケールが余りに大きすぎて、一個人の行いがこの地球に影響を与えているなんて実感しにくい。
こんな「途方もない問題」に直面すると、人は得てして投げやりになったり、開き直ったり、ヤケクソになったりする。
ごみの分別、リサイクル、脱プラ…。
「そんなこと、俺がやっても意味ないだろう」という感情だ。
この「途方もなさ」を克服することは、とても難しい。
わたしはそんな「途方もない、難しい問題」に直面した時、よくサッカーを思い浮かべる。
難しい問題の解決を、得点(ゴール)することだとする。
得点することは、言わずもがな難しい。
22人が入り乱れるピッチの中、同じシチュエーションは1秒としてなく、試合そのものが生き物のように変化する。
そんな中、得点するという難しい目標に向かうとき、じゃあ開き直ってロングシュートばかり打って得点になるだろうか?
それこそヤケクソのプレーであり、実際に得点が生まれることはほとんどないだろう。
ゴールを奪う現実的な方法は、11人全員がそれぞれのポジションでクオリティの高いプレーをすることだ。
ポールを保持したらドリブルかパスか、いづれか最適な方を選択する。
パスするにしても、味方の足元なのか、前方のスペースなのか。
足元を選ぶにしても、右足にパスするのか、左足にパスするのか。
さらには、強く低い弾道のパスなのか、逆にヤマナリのパスなのか。
パスを出した後も、ただボーッと突っ立っているわけにはいかない。
さらに攻めるため、前方のスペースにランニングするのか。
リスクをケアするため、あくまで味方の後方に控えるのか。
無限の選択肢が広がる中、限られた時間でその時の最適と思われるプレーを選択していくしかない。
しかしそうしてベストかベターかわからないけれど、自分たちが信じたプレーが重なって、まるで奇跡のようにゴールは生まれる。
「エシカル」や「サステナブル」がゴールだとした時、わたしたち消費者はきっとストライカー(フォワード)ではないだろう。
おそらくディフェンダーやゴールキーパーだ。
劇的な改善手段を提案してゴールを決めるのは、世界に対して影響力のあるグローバル企業ではないだろうか。
しかし、彼らにパスを出すのはわたしたちである。
少なくともどんな企業にパスを出すのか選ぶことができ、そのパスにも無限のメッセージを込めることができる。
言わずもがな、全ての人がこの社会というチームの一員だ。
だとすれば、問題解決のためにそれぞれのポジションで最適なプレーをする必要がある。
消費者は消費者として、企業は企業として、あるべきプレーをする。
きっと多くの人は、消費者であり、一方で何かの生産者でもあるだろう。
複数の与えられたポジションがあるはずだ。
自分に与えられた消費や仕事に、あるべき良心を込める。
そんなプレーの連続が、きっとゴールに近づく唯一の方法でないかと思う。
あまりに遠く、途方もなさすぎたら、だからこそ逆に小さなことをコツコツやっていく。
それが繋がって、気づけばゴールに近づいている。
現実に世界が改善していく時、きっとそんなことが起こっているのではないだろうか。
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