小車 祥@ミニカー

日本プロ麻雀連盟25期生、小車祥(おぐるましょう)です。福岡吉本→ドォーモリポーター→…

小車 祥@ミニカー

日本プロ麻雀連盟25期生、小車祥(おぐるましょう)です。福岡吉本→ドォーモリポーター→バンドマン→麻雀プロ。第22期麻雀マスターズ優勝。

マガジン

  • 僕について

    いつまで続くのかわからない自分語り。 読んでくれたらこれ幸い。 反応くれたら小車は喜び庭駆け回ります。

記事一覧

失敗と向き合う

5月1日、僕はとあるポストをした。 プロ16年目の僕の、4年目の頃にあった出来事。 とても恥ずかしい過去であり、同時に自分にとって忘れられない教訓となった、僕のプロ活…

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降級したあなたへ

麻雀プロのメインの活動はプロリーグです。 これはもしかしたらそうではない人もいるかもしれませんが、ほとんどの麻雀プロがそうだと思います。 以前の記事でも「麻雀プロ…

200〜
割引あり
20

打つのが遅い人と待てない人

麻雀を打つのが早い人もいれば遅い人もいる。 そんなことは当たり前です。 打つのが遅い人がいて、少しなら我慢できてももう耐えられないみたいになった人がいて、このまま…

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若手プロに知ってほしいというほどでもないこと

どうも、日本プロ麻雀連盟25期生の小車祥です。 初めて有料記事を書きます。 この記事では今の若手麻雀プロに知ってほしいような、そんなことを言えるほど大したことでもな…

200〜
割引あり
68

僕について 第5話「うんこマン」

高野さんとの恋を掴み損ねた僕は、バレーボール部の部活動に専念することでそのペインから解き放たれようともがいていた。 坊主はモテないかもしれないが、バレーボールに…

11

僕について 第4話「中学デビュー」

小学5年生の頃に降って湧いたような恋愛チャンス。 両思いというゴールに浮かれ、子供ゆえに拗らせ、チューどころか手を繋ぐこともないまま宮下さんとの恋は終わった。 僕…

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僕について 第3話「ラブレター」

「小車君、よかったらこれ読んで」 僕は小学5年生だった。 休み時間にクラスの女子に突然手紙を渡された。 内容はごく一般的なラブレターで、細かい文章などは覚えていな…

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僕について 第2話「アブラムシ」

「祥はアブラムシな」 兄二人は僕の5つ上と4つ上の年子だった。 長兄が産まれて14ヶ月後には次兄が産まれている。 仕込むの早いな。 量産型両親やん。 量産型両親!! 長…

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僕について 第1話「2月29日」

1980年2月29日。 4年に1度しかない閏年の閏日。 その日にだけは産まれてきてはいけないよという周囲の忠告も聞かず、目立ちたがりの僕は予定日より一週間ほど早く、その日…

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松戸と小車

■松戸と小車 2015年12月15日、僕は松戸にいた。 東京に出てきて1年半以上過ぎていた。 当時の僕はさかえ本八幡(現KUR)、御徒町パーク、池袋まーじゃんまっすー(現在はな…

まだ見ぬクラスメイトへの手紙

「みんなで摩中田さんにお手紙を書きましょう」 中学3年生の春、道徳の時間に担任の吉井先生がそう言ってコピーされた原稿用紙を生徒全員に配り出した。 吉井先生は陽気な…

200

樋口徹という男

明日9月26日は僕の古くからの友人、樋口徹プロが店長を務めるオプションという麻雀店にゲストで呼んで頂いている。 せっかくなので以前書いた樋口徹の記事を、少しだけ手直…

ポコチャライバー半年やってみて

軽い気持ちでライバーを始めてみたあの日から、もう半年が過ぎた。 節目なのでこれまでの経緯を簡単に書きつつ、自分の意識の確認もしていけたらと思いキーボードを拾い上…

夕暮れスペクテット

僕は男三人兄弟の末っ子だ。 兄二人は年子と呼ばれるやつで、学年で言うと長兄とは五つ、次兄とは四つ離れていた。 ほとんど成長に差がない兄二人はよく同じ遊びをしてい…

白身魚とマヨネーズの海

これは僕が福岡に住んでいた頃、ブルードラゴン福岡天神店で働いていた時の話。 僕は過去に何度も言っているが、この店で樋口徹(てつ)プロと一緒に働いていた。 当時は僕…

冷やせなかった生茶

僕は定時制高校に4年間通い、19歳で卒業した。 同じ定時制高校の一つ上の先輩である稲野さんの影響で、高校卒業して吉本興業福岡事務所に所属する芸人となる。 きっかけ…

失敗と向き合う

失敗と向き合う

5月1日、僕はとあるポストをした。

プロ16年目の僕の、4年目の頃にあった出来事。
とても恥ずかしい過去であり、同時に自分にとって忘れられない教訓となった、僕のプロ活動を語る上で外せない一事である。

僕が思っていた以上の反応があり、インプレッションが増えれば増えるほど様々なリアクションがあるのがSNSの性質だ。

良いものも悪いものもあった。
「君はその程度か」と捨て台詞のようなリプを僕に送り

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降級したあなたへ

降級したあなたへ

麻雀プロのメインの活動はプロリーグです。
これはもしかしたらそうではない人もいるかもしれませんが、ほとんどの麻雀プロがそうだと思います。
以前の記事でも「麻雀プロとはなんですか?」という質問の答えは、各々の麻雀プロの中に正解があるものだと書いた通り、全ての麻雀プロには当て嵌まらないかもしれません。
しかしながら麻雀プロである以上、競技で腕を競い合い結果を出すというのが本分だという見解はおおよそ間違

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打つのが遅い人と待てない人

打つのが遅い人と待てない人

麻雀を打つのが早い人もいれば遅い人もいる。
そんなことは当たり前です。
打つのが遅い人がいて、少しなら我慢できてももう耐えられないみたいになった人がいて、このままだと一緒に打ってらんないからと「ちょっと遅いよ」みたいにプレッシャーをかける。
まぁ、雀荘でたまに見る光景ですね。
これって果たして、誰が悪いの?って内容でTwitter(現X)で少し話題になったようです。

今日も今日とてタイムラインに

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若手プロに知ってほしいというほどでもないこと

若手プロに知ってほしいというほどでもないこと

どうも、日本プロ麻雀連盟25期生の小車祥です。
初めて有料記事を書きます。
この記事では今の若手麻雀プロに知ってほしいような、そんなことを言えるほど大したことでもないようなことを書こうと思っています。
とはいえ僕もプロ活動は真剣にやってきて、いろんな経験をして、伝えたいことは山ほどあります。
誰かには刺さるかもしれないこの記事、無料部分だけでも濃い内容にしようと思っているので読んで頂けると嬉しいで

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僕について 第5話「うんこマン」

僕について 第5話「うんこマン」

高野さんとの恋を掴み損ねた僕は、バレーボール部の部活動に専念することでそのペインから解き放たれようともがいていた。
坊主はモテないかもしれないが、バレーボールに打ち込む姿は誰かの目に止まるかもしれない。
とにかく僕は彼女が欲しかったのだ。

バレー部は全然人気がなく、新入部員はなんと僕一人だけだった。
2年の先輩が4人、3年の先輩が5人とかだったと思う。
3年生が卒業したらチームできんやんとか思っ

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僕について 第4話「中学デビュー」

僕について 第4話「中学デビュー」

小学5年生の頃に降って湧いたような恋愛チャンス。
両思いというゴールに浮かれ、子供ゆえに拗らせ、チューどころか手を繋ぐこともないまま宮下さんとの恋は終わった。
僕は足が早くもなかったしドッジボールも弱かったので、それ以外で女子にモテるということはなかった。
僕はクラスでは比較的ユニークな奴ではあったけれど、それはモテに直結したりはしないのが当時の小学生だ。
あのツインラブレター事件以降はこれといっ

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僕について 第3話「ラブレター」

僕について 第3話「ラブレター」

「小車君、よかったらこれ読んで」

僕は小学5年生だった。
休み時間にクラスの女子に突然手紙を渡された。
内容はごく一般的なラブレターで、細かい文章などは覚えていないが小車君のことが好きだとか書いていた。
小学5年生でラブレターなんて行きすぎてるのだろうか。
その辺の感覚は世代でも地域でも違ってくるだろうし、ラブレターと言っても好きと書いていただけで、好きな人いますか?とか、付き合ってくださいとか

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僕について 第2話「アブラムシ」

僕について 第2話「アブラムシ」

「祥はアブラムシな」

兄二人は僕の5つ上と4つ上の年子だった。
長兄が産まれて14ヶ月後には次兄が産まれている。
仕込むの早いな。
量産型両親やん。
量産型両親!!

長兄・敬(けい)と次兄・智(とも)は、歳も近くいつもセットで一緒に遊んでいた。
兄の小学校の同級生達も小車と遊ぶ=小車兄弟と遊ぶという認識だったように思う。
昭和の時代、ファミコンは発売されていたが、まだまだ子供達は外で元気に走り

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僕について 第1話「2月29日」

僕について 第1話「2月29日」

1980年2月29日。
4年に1度しかない閏年の閏日。
その日にだけは産まれてきてはいけないよという周囲の忠告も聞かず、目立ちたがりの僕は予定日より一週間ほど早く、その日の真っ昼間に産まれてきた。
「元気な男の子ですよー!」
産まれたての赤子を抱えながら助産師さんが言うと、僕の母親は大層げんなりした様子で落胆の声をあげたそうな。
「えええええええ……」
当時は出産前に性別が判ったりなどはしなかった

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松戸と小車

松戸と小車

■松戸と小車

2015年12月15日、僕は松戸にいた。
東京に出てきて1年半以上過ぎていた。
当時の僕はさかえ本八幡(現KUR)、御徒町パーク、池袋まーじゃんまっすー(現在はなし)で常勤プロをしていた。
当時さかえ松戸の店長をしていた澤田さんが、休みの日にまーじゃんまっすーに遊びに来た。
その日にたまたま出勤だった僕。

まーじゃんまっすーでの僕は自由奔放で、一緒に働いていた和久津さんとボケたり

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まだ見ぬクラスメイトへの手紙

まだ見ぬクラスメイトへの手紙

「みんなで摩中田さんにお手紙を書きましょう」

中学3年生の春、道徳の時間に担任の吉井先生がそう言ってコピーされた原稿用紙を生徒全員に配り出した。
吉井先生は陽気な女性で当時40歳前後だったろうか、かつての教え子に新庄がいると言い、新庄選手が阪神に入ったことで阪神ファンになったという話をよくしていた。
阪神が負けた次の日はあからさまに機嫌が悪く、勝った次の日にはルンルンで授業をする、なんともわかり

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樋口徹という男

樋口徹という男

明日9月26日は僕の古くからの友人、樋口徹プロが店長を務めるオプションという麻雀店にゲストで呼んで頂いている。
せっかくなので以前書いた樋口徹の記事を、少しだけ手直ししてアップしようと思う。
徹が王位戦で優勝した直後に書いたものを手直ししたものだ。
暇つぶし程度に読んでくれたら嬉しい限りである。

今からもう13年くらい前の話。

当時福岡に住んでいた僕は麻雀プロではなく、ただのバンドマンだった。

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ポコチャライバー半年やってみて

ポコチャライバー半年やってみて

軽い気持ちでライバーを始めてみたあの日から、もう半年が過ぎた。
節目なのでこれまでの経緯を簡単に書きつつ、自分の意識の確認もしていけたらと思いキーボードを拾い上げた。

・なぜポコチャだったのか
特に深い理由はなかった。
麻雀プロでポコチャを使って配信をしている人が多かったので、僕も見ることがあった。
なのでアカウントを登録していたのはライバーを始めるよりも随分前のことだった。
「配信とかやらない

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夕暮れスペクテット

夕暮れスペクテット

僕は男三人兄弟の末っ子だ。
兄二人は年子と呼ばれるやつで、学年で言うと長兄とは五つ、次兄とは四つ離れていた。

ほとんど成長に差がない兄二人はよく同じ遊びをしていて、少し離れた僕は仲間に入れてもらえず近くで見ているということは多々あった。

遊びでもゲームでもスポーツでもそうだが、あまりに実力が離れている人とは、一緒にやっていても楽しくない。
だから鬼ごっこでもかくれんぼでも、歳が離れた僕は入れて

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白身魚とマヨネーズの海

白身魚とマヨネーズの海

これは僕が福岡に住んでいた頃、ブルードラゴン福岡天神店で働いていた時の話。

僕は過去に何度も言っているが、この店で樋口徹(てつ)プロと一緒に働いていた。
当時は僕も徹もプロになる前で二人とも20代。
他愛もない話でよく盛り上がったのを覚えている。

ある日、今日のお昼ご飯はモスバーガーにしないかという提案があがる。
すぐ近くにあるので取りに行くのだが、モスバーガーは注文を受けてから作ることが売り

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冷やせなかった生茶

冷やせなかった生茶

僕は定時制高校に4年間通い、19歳で卒業した。

同じ定時制高校の一つ上の先輩である稲野さんの影響で、高校卒業して吉本興業福岡事務所に所属する芸人となる。

きっかけは稲野さんが4年生の時の夏、福岡吉本公開オーディションがあるから見に来てくれと言われ、僕はそれを見に行った。

行動力が服を着て歩いているような人だった稲野さんは、そのオーディションで知り合った人たちに声をかけて月に2回お笑いストリー

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