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僕について 第5話「うんこマン」
高野さんとの恋を掴み損ねた僕は、バレーボール部の部活動に専念することでそのペインから解き放たれようともがいていた。
坊主はモテないかもしれないが、バレーボールに打ち込む姿は誰かの目に止まるかもしれない。
とにかく僕は彼女が欲しかったのだ。
バレー部は全然人気がなく、新入部員はなんと僕一人だけだった。
2年の先輩が4人、3年の先輩が5人とかだったと思う。
3年生が卒業したらチームできんやんとか思っ
僕について 第4話「中学デビュー」
小学5年生の頃に降って湧いたような恋愛チャンス。
両思いというゴールに浮かれ、子供ゆえに拗らせ、チューどころか手を繋ぐこともないまま宮下さんとの恋は終わった。
僕は足が早くもなかったしドッジボールも弱かったので、それ以外で女子にモテるということはなかった。
僕はクラスでは比較的ユニークな奴ではあったけれど、それはモテに直結したりはしないのが当時の小学生だ。
あのツインラブレター事件以降はこれといっ
僕について 第3話「ラブレター」
「小車君、よかったらこれ読んで」
僕は小学5年生だった。
休み時間にクラスの女子に突然手紙を渡された。
内容はごく一般的なラブレターで、細かい文章などは覚えていないが小車君のことが好きだとか書いていた。
小学5年生でラブレターなんて行きすぎてるのだろうか。
その辺の感覚は世代でも地域でも違ってくるだろうし、ラブレターと言っても好きと書いていただけで、好きな人いますか?とか、付き合ってくださいとか
僕について 第2話「アブラムシ」
「祥はアブラムシな」
兄二人は僕の5つ上と4つ上の年子だった。
長兄が産まれて14ヶ月後には次兄が産まれている。
仕込むの早いな。
量産型両親やん。
量産型両親!!
長兄・敬(けい)と次兄・智(とも)は、歳も近くいつもセットで一緒に遊んでいた。
兄の小学校の同級生達も小車と遊ぶ=小車兄弟と遊ぶという認識だったように思う。
昭和の時代、ファミコンは発売されていたが、まだまだ子供達は外で元気に走り
僕について 第1話「2月29日」
1980年2月29日。
4年に1度しかない閏年の閏日。
その日にだけは産まれてきてはいけないよという周囲の忠告も聞かず、目立ちたがりの僕は予定日より一週間ほど早く、その日の真っ昼間に産まれてきた。
「元気な男の子ですよー!」
産まれたての赤子を抱えながら助産師さんが言うと、僕の母親は大層げんなりした様子で落胆の声をあげたそうな。
「えええええええ……」
当時は出産前に性別が判ったりなどはしなかった
まだ見ぬクラスメイトへの手紙
「みんなで摩中田さんにお手紙を書きましょう」
中学3年生の春、道徳の時間に担任の吉井先生がそう言ってコピーされた原稿用紙を生徒全員に配り出した。
吉井先生は陽気な女性で当時40歳前後だったろうか、かつての教え子に新庄がいると言い、新庄選手が阪神に入ったことで阪神ファンになったという話をよくしていた。
阪神が負けた次の日はあからさまに機嫌が悪く、勝った次の日にはルンルンで授業をする、なんともわかり
白身魚とマヨネーズの海
これは僕が福岡に住んでいた頃、ブルードラゴン福岡天神店で働いていた時の話。
僕は過去に何度も言っているが、この店で樋口徹(てつ)プロと一緒に働いていた。
当時は僕も徹もプロになる前で二人とも20代。
他愛もない話でよく盛り上がったのを覚えている。
ある日、今日のお昼ご飯はモスバーガーにしないかという提案があがる。
すぐ近くにあるので取りに行くのだが、モスバーガーは注文を受けてから作ることが売り