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松戸と小車

■松戸と小車

2015年12月15日、僕は松戸にいた。
東京に出てきて1年半以上過ぎていた。
当時の僕はさかえ本八幡(現KUR)、御徒町パーク、池袋まーじゃんまっすー(現在はなし)で常勤プロをしていた。
当時さかえ松戸の店長をしていた澤田さんが、休みの日にまーじゃんまっすーに遊びに来た。
その日にたまたま出勤だった僕。

まーじゃんまっすーでの僕は自由奔放で、一緒に働いていた和久津さんとボケたりつっこんだりしながら、楽しく働いていた。
そんな姿を見て、澤田さんが「是非うちでも働いてほしい!」となったのだという。

澤田さんは善は急げと、さかえ松戸にたまにゲストに入っていた当時の僕の彼女であり後に最初の奥さんとなる『おまみ』に声をかけ、彼女を通して「うちで働いてくれませんか」とお願いされたのである。

僕は3つも雀荘をかけ持ちしていたので、4つ目はしんどいなーと思いつつも、そのプッシュに負けて「週に1〜2回でいいなら」と働き始めることになったのだった。

その頃の僕(まーじゃんまっすーにて)

当然なのだが、麻雀店によってお店の雰囲気は全然違う。
若者中心でとても緩く冗談をバンバン言いながら働いていたまーじゃんまっすーとは違い、30年ほど存在するらしい地域密着型のさかえ松戸は、かなり長い期間通っている常連の方を中心に、高年齢層の方々が雰囲気を作っていた。
澤田店長は「まっすーと同じように楽しく働いてほしい」と言ったが、とてもじゃないがそんなことができるほどメンタルが強くはなかった。
ニコニコヘラヘラしながらも、少しずつ松戸に溶け込む努力をしていたのである。

■お客様へのお願い

麻雀店ではお客様にマナー面におけるお願いをしなければならない場面が多々ある。
これが麻雀店の接客における最大の難所であり、そのスキルが試されるところ。
接客業である以上「お願い」という言い方ではあるが、その「お願い」を聞いてくれないお客様には最悪退場していただかなければならない以上、本質としては「注意」であり審判のような立ち位置になる。
だがやはり前提として関係性は麻雀店のスタッフとお客様であり、注意されたお客様が気を悪くしないように細心の注意を払いつつ、しかし的確に内容を伝えてやめてもらわなければならないのだ。

強打、三味線、無発声、見えにくい切り方など内容は様々だ。
正直なところ何も言いたくない。
お客様にマナー面でお願いするのはとてもめんどくさい。
お客様のほとんどは自分のマナーが悪いとは思っていない。
言えば少なからず不快になってしまう可能性がある。
しかし言わなければ他のお客様がもっと不快になってしまう。
そして言わなければ全体的にマナーの水準はどんどん下がっていく。
そしてお客様同士で注意してトラブルになったりする。
他のお客様に文句も言わないマナーの良いお客様は、誰にも文句を言わずにそっとそのお店に来なくなる。

だからやはり、麻雀店のスタッフである以上「お願い」からは逃れられない。
ならば普段からお客様に好かれていて信頼されている方が良い。
何かを注意した時に「じゃあお前のここはどうなんだよ」と言われるような隙を作ってはいけない。

松戸で働き始めて4〜5年くらいの頃、とあるお客様に「お願い」をした。
オーラスにトップの人と1500点差くらいの2着目だったお客様が、点数が離れている3着目の人からリーチを受けた後に危険牌をツモり、オリを選択した。
その時に余計なことを言った。

「あーこれはダメだ。ヤメヤメ」

そしてリーチの現物を切る。
結局リーチ者もツモれず流局し、誰の着順も変わらず終了。

「◯◯さぁん、ヤメヤメとか言っちゃうとトップ目の人がオリやすくなっちゃいますよー」

最大限に明るく感じ良く言ったつもりだった。

しかしそこでムッとしたそのお客様は突然ゲーム終了。
それはお客様には関係のないことだが、そのお客様が突然やめたことによりスタッフ全入り中で卓割れ。

こんなに長くメンバーの仕事をやってきたのに、それでもまだこんなことが起こるのかと自分の不甲斐なさに虚しくなると共に、そのお客様のことも苦手になった。

それでも僕はやはり同じスタンスで全てのお客様に接していった。
たくさんの人が遊びやすいお店にしたかったから。
お店の売上が上がって欲しかったから。
それが僕にできる恩返しだと思っていたからだ。

何が正解かなんてわからないから自分で決めるしかなかった。
これが正解だろうというものはその時その時の店長や、さらにその上司であってもそれぞれ差異があった。
もちろん独断で突っ走ったりはしていない。
その都度、お店の方針を確認し、時には意見してやってきた。

お客様ともスタッフとも上司とも、距離感と価値観のバランスを取りながら走り続けた。
何かが変わったかもしれない。
そうだとしてもまた元に戻るのかもしれない。
でも僕は精一杯やったんだ。

■鈴木宏明という男

日本プロ麻雀連盟の後輩であり、プロになりたての1年目にさかえ松戸に正社員として入社してきた。

「小車さん!麻雀格闘倶楽部出てましたよね!僕めっちゃ見てたんで一緒に働けて嬉しいです!」

嬉しそうに話す新人はとても可愛く、僕もかつていろんな人にそうしてもらったように、こいつを可愛がろうと思った。

毎年恒例だった麻雀プロの麻雀合宿にも鈴木宏明を紹介して連れて行った。
合宿とは名ばかりの温泉旅行なのだが、そこでコミュニティの輪を広げてほしいと思った。
対局後の飲み会にも連れて行きみんなに紹介した。

僕を慕ったところで麻雀プロとして活躍できることに関して、何の力にもなってあげられない。
おそらく慕うべき先輩を間違えている。
それでも関わるならば、後輩に対して僕はできる限りのことをしてやろう。
今でもずっとそのスタンスで後輩とは関わっているが、その僕のスタンスの土台を作ったのは間違いなく鈴木だった。

松戸で働き始めてほんの2〜3ヶ月の時に鈴木が辞めると言い出した。
誰が止めても聞かず、当時の店長に小車さんから説得してくれませんかと頼まれた。
僕は仕事終わりに鈴木を焼肉屋に誘い、話をした。

「別に辞めるなとは言わない。でも来てすぐ辞めるのはあまり得策じゃない。どこに行ってもあいつはすぐ辞めるやつって思われたら損しかない。だからせめて半年だけでも頑張ってみたら?」

そんな内容のことを話した。
鈴木はそれを受けて、小車さんが言うならもう少し頑張ってみますと。
それから半年どころか2年くらいは働いたんじゃなかったかな。

しかし彼が働き始めてすぐに抱いた疑問点や不満が解消するわけではない。
働けば働くほど、きっと彼は小さなストレスを溜め込み続けていた。
自分に厳しい性格は長所だが、他人にも厳しくなるという二面性を持っている。
遅刻しがちなスタッフに鈴木がキレて、強い口調で注意して泣かせたりしたこともあった。
自分は間違っていないという自信を持つ彼に、正しい事だけが正しいとは限らないと伝えたかった。
時に僕も彼に厳しい口調で注意をした。

入社当初の憧れの先輩に対するキラキラした目はもう感じられず、どこか反発するようなニュアンスすら残し、さかえ松戸を辞めて実家がある宇都宮に帰った。

「さかえを辞めるのはいいとして、都内に部屋を借りるとか別のお店探すとかした方がいいんじゃない?せっかくリーグ戦とか頑張るために、通いやすいところに出てきたんでしょ?宇都宮に戻るのは後退になってしまうんじゃ?」

そんなことを伝えたりもしたが、彼は一度宇都宮に戻ってロン2をやりこんでレーティングを上げてC1リーグの特別昇級を狙うと言った。
確かにそれもありかもしれないなと思った。

それからまた1〜2年後。
鈴木宏明がさかえ松戸に戻りたいと言ってきた。

「小車さんの言った通りでした」

その言葉が具体的に何を指していたのかははっきりとはわからないが、彼の僕に対する接し方や眼差しは、さかえ松戸を辞める時とは明らかに変わっていた。

「そっか、大変だったね」

よくわからないがそんなことを答えた気がする。

運悪く鈴木が戻りたいと言った時、さかえ松戸は男子プロスタッフで溢れかえっていた。
別のさかえを紹介するという形になり、今では1ヶ月の内の数日松戸に入るシフトになっている。

鈴木宏明のすごいところはロン2のレーティング2200を達成するという目標をしっかりやり遂げたということ。
そして今ではどんなに負けてもニコニコ明るく働くようになったこと。
最初の鈴木を知っているからわかる。
人は何歳になってもちゃんと成長できる。
それを感じたから、また可愛がりたくなった。
ただそれだけのこと。

■関わった人々

6年9ヶ月。
働き始めた頃の店長もその上にいた人もいなくなった。
店長はそこから5回ほど変わった。
僕が入った時にはただの女子バイトだった上平さんも、後に最高位戦日本プロ麻雀協会のプロになった。その上平プロも今はもうシフトに入らなくなったので、実質僕が一番長いスタッフになった。

新人プロはどんどん入ってくる。
さかえ松戸のゲストや常勤プロに後輩の女流プロもたくさん入ってきた。
相手が女性だと特に、必要以上に世話を焼くのも好きではないし、ある程度の距離感を保ちながら働きやすい環境になればいいなと思ってやってきた。
相談されればそれなりに、僕に言えるアドバイスを言ったりもした。

なんだかこう書くとすごく「俺はいろんな奴の面倒見てやった」みたいに見えるかもしれないが、そういうことが言いたいわけではない。
むしろ逆で、僕は僕の居心地をよくするために、僕のやりたいようにやってきただけなのだ。

本当に伝えたいのはそれだけ。

それなのに、なんなんだ一体。
僕がさかえ松戸を辞めることが決まってからこの1ヶ月。
本当にたくさんの人が会いに来てくれた。
前は通ってたけど最近はあまり来なくなったなーっていうお客様も「最後だから」と同卓希望を出して会いに来てくれた。

「夜番からです」とセンスのいいポールスミスのネクタイを貰った。
食べきれない飲みきれないくらいみんなお菓子とかレッドブルとかお土産をくれて、お家に待って帰ると子供たちはそれはとても喜んだ。

僕は誰かのために生きてきたわけじゃない。
僕のためだけに生きてきた。
それなのにそんなに優しくしてくれたら、まるでこんな根はだらしなくてどうしようもない自分が、それでよかったみたいじゃないかよ。

ざけんじゃねえ。
俺はまだまだこれからだし、関わってきたお前らとの繋がりも切る気はねえ。
ありがとうな。
ありがとうよ。
ありがとう。

■苦手だったお客様

辞める数日前、最初に話したお客様が不意に渡してきた。

後で確認すると商品券が入っていた

こっちは本走中。
あまりにも不意をついてくるので油断していた。
これはずるい。
涙を堪えながら麻雀を打った。
タイトル戦の決勝かよ。

■まとめ

語りきれない思い出がまだまだたくさんある。
奥津勇輝のやらかした話。
なんか懐いてくる早川健太。
実はかなりお調子者の太田優介さん。
休みの日に追っかけにくる厚谷昇汰。
初対面のお客さんでも接客インファイトの宮崎皓之介。
福岡の雀荘で僕がバイトの面接をして採用した経緯があり、また10年後に松戸で一緒に働くことになった永井勝晴。
樋口徹の話は過去に散々してるからいいか。
他にもあんな話やこんな話。
チャンスがあればまた語るかもしれない。

変化は突然やってくる。
だけど僕が僕であることに変わりはない。
自分の道は自分で決める。
これからもよろしく。


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