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【コロナ禍だからこそ実感する】人に触れることを許される看護師という仕事の醍醐味

私は助産師の資格を持ちながら、終末期病棟で働いている、ちょっと変わった看護師です。もともと「死」や「死生観」などには興味があって、大学時代に文化人類学で死者供養について研究していたこともあります。

研究対象がインドやネパールのヒンドゥー教圏だったこともあり、インドのコルカタにあるマザーハウスでボランティアをしていたこともあります。マザーハウスというと、「死を待つ人々の家」が有名です。

マザーハウス

マザーテレサはコルカタの路上に死にかけている人々を担いで施設に連れてきて、看病していました。私がインドを訪れていた当時は、私はまだ看護師の資格を取る前だったのですが、その施設でマザーテレサと同じ白地に青線の入った修道服を着て働く看護師シスターたちがとても印象的でした。彼女たちはまるで聖母マリアのように見えましたね。その頃から漠然と、看護師や死者を看取る仕事に対するあこがれはありました。

それからすぐに看護師を目指したわけではなかったのですが、夢って叶うものなのですね。そこから長い年月をかけて、いったんは助産師としてもくもくと働いていたのですが、偶然転職サイトから終末期病棟で働きませんか?と紹介を受けたのです。

最初はフルタイムの仕事と病棟の仕事に戻ることに不安があったのですが、終末期病棟ときいて真っ先にマザーハウスの死を待つ人々の家のことを思い出しました。

「家族からも離れて(人によっては見放され)孤独にいる人の最後のときを看護する」という仕事をやってみたいという思いがこみ上げてきたのです。

生きる命に向けていたマインドを死にゆく人へ向けていく。

働き始めて3か月。すでに10人以上の人が旅立っていきました。「気がめいりませんか?」かつての同僚にそう言われたことがあります。でも、つよがりではなく、本当にそんなことはないのです。これは私だけが変わっているからそう思うのではないような気がします。そこで働いているほかの看護師さんたちも、看取った後のときはどこかすがすがしさすら感じられるからです。


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そこには私の働く病院の特徴もあると思います。終末期に特化したこの病院は、急性期の病院と違い、終末期といっても積極的な治療や人工呼吸器などをつけていわゆる「スパゲッティ状態」になるようなことがないのです。

積極的な治療やリハビリを望まず、最期も救急救命措置を望まない、自然な死を希望する人だけの病院となっています。そのため最低限必要な胃ろうや吸引、点滴や酸素吸入だけを行い、それ以上のおおがかりな治療は行わないため、ある日突然亡くなるということは少なく、ゆっくりとした死を迎えられる方が多いのが特徴です。

亡くなる間際の人々の看護をする中で、私は手をそっと握ったり、頭や頬に触れたりすることがあります。会話もできない状態ですので、私の手から伝わる「ことば」でメッセージを伝えたいと思っています。

できるだけ苦痛を与える処置は行わないよう、注意しながら、最期のときまでそばにいる。

看護師としてできることなどほんのわずかなことですが、コロナ禍でお見舞いもほとんど来れなくなったご家族の分まで代表してそばにいるのだというつもりで日々仕事をしています。

今世の中では、直接会ったり、人に触ったり、握手をしたり、という機会がどんどん減っています。そんな中で、相手に直接触れることを責められない看護師という仕事は、私はとてもしあわせだなと思うのです。

看護学校の面接のときに、「直接この手でふれてその場で反応がかえってくる。そういう仕事がしたいです。」と言ったことがあります。

リモートワークやオンラインが当たり前になった現代で、それでも現場で生身の人間に触れられる仕事というのは貴重だし、本当にしあわせな仕事だなと思うので、私はどんなに在宅ワークが主流になっても、できる限り現場仕事を続けていきたいし、そのために自分の健康を維持していきたいと思っています。

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