A @アイオワシティ徒然日記

🇰🇷x🇯🇵 Sociology Ph.D. student at U Iowa, inte…

A @アイオワシティ徒然日記

🇰🇷x🇯🇵 Sociology Ph.D. student at U Iowa, interested in Racism & Xenophobia. Fulbrighter. | ICU🇯🇵(17)→LSE🇬🇧(18)→Consulting→Iowa🇺🇸(23-)

最近の記事

ハワイ:亡国の記憶を辿る旅

ハワイというと常夏の気候に真っ青な海を連想する人が多いと思うが、私にとってその地は20年来の古い友人が研究をしている土地だった。 だからアイオワから東アジアへ帰る途中経由地としてハワイに降り立った私のスーツケースの中には、水着の一枚も入っていなかった。(実際一週間の滞在期間中、常夏のリゾートらしいことをしたのはアサイーボウルを食べながらワイキキビーチの喧騒を眺めていた1時間くらいだった。私も友人もマリンスポーツやビーチでchillすることにそれほど興味が無いタイプだった。)

    • ゴーストタウンでの2週間 (とサマートリップへ)

      学期が終わってからきっかり2週間ほど。ホノルルへ向かう便を待つ空港で今日の記事は書いている。 ちなみに、アイオワ大学の最寄り空港はCID (正式名称はイースタン・アイオワ空港…だが看板などの表示名は"Cedar Rapids") というローカル空港で、アイオワシティから車で20-30分程。大学とリムジン会社が契約をしていて、学期初めと終わりの一定期間はとてもお得になる (Uberの半額ほど)。まぁ2週間も経っているのでその期間は過ぎているのだが、それでもUberとほぼ同額で

      • 【夏休み不定期コラム】アイオワについて〜アイダホでもオハイオでもありません〜

        お掃除大好きマンなので学期終了と共にこれ幸いと学期中せっせとリスのごとく溜めまくっていた「あとで読みたいもの」山を消化しているのだが、州都デモインに行った時に仕入れてきた色んな情報から独断と偏見でアイオワについてのfun factsをまとめておこうと思う。アイダホでもオハイオでもない愛すべきアイオワについてのイメージを本記事からちょっとでも持ってもらえたら嬉しい。 1. The Hawkeye State 〜タカの目州〜 アイオワ州の愛称だ。そもそもアメリカの州はみんな愛

        • 書くということ:1年目のまとめ

          春学期が終わった。そして1年目が終わり、長い夏休みに突入した。 秋学期の終わりもそうだったけれど、強烈な解放感というものはない。じんわりした達成感はあるけれど、3つの授業の3つのペーパー (計2万wordsほど)を出し終わっても、翌日も、その翌日も、結局朝起きて何かしら読んでいた。なんなら最後の統計のペーパーをポータルで出した後、一旦出しましたが分析をもう少し発展させられると思うのでフィードバックを頂けると嬉しいです、とメールを送ったところ、30分後に"Sure"ときて、更

        ハワイ:亡国の記憶を辿る旅

        マガジン

        • 渡米準備
          3本

        記事

          学会と先生:4月前半の進歩

          あっという間に4月半ばだ。2週間前まで雪が降っていたアイオワでも一昨日昨日と25度以上の夏日になり、生ぬるく湿った風はどこか日本の春 (というか初夏) を思い出させる。 学期末まで30日を切り最後の追い込みモードに入っている訳だが、長い旅路の一時点、その時にしか見えないものがある。だから私は今日も書く。いつか今見えているものは見えなくなるから。 *学会 ミネアポリス、アトランタ、と出かけたばかりだが今度はアイオワ州都デモインで開催された中西部社会学会 (MSS) に行っ

          学会と先生:4月前半の進歩

          現実主義的理想主義と実証主義への適応

          3月中旬に一週間あった春休みは(北の)お隣ミネソタ州のミネアポリスにでかけてみたり (車で片道4時間ほど)、先週はフルブライトのエンリッチメントセミナーで南部ジョージア州のアトランタ (飛行機で2時間ほど)に後半ずっといたりしたので、中々バタバタしていて落ち着いて思考を言葉にする時間が取れなかった。 3月があっという間過ぎて気付けばもう4月、というか一年目の終わりが見えかけている事実に ("end of year deparment lunch"というインビテーションが飛んで

          現実主義的理想主義と実証主義への適応

          時間というthird variable, exploratory artとしての研究, 学ぶhabitus

          昨日深夜に2本のproposalを出し終えた。若干ほっとしているものの、proposalを出したということは道筋が見定まりTo Doが明確になったということでもある。別にゴールでは無いので、いわゆるプロジェクト最終報告的な打ち上がり感は無いのだが、それでも小さな山をまた一つ超えたというじんわりした達成感は大事にしたい。 世間では研究者というものはどういうイメージだろう。小さい頃「学者」という言葉で想像していたそれは、"本の山に埋もれ古い文書を漁っているヒゲの生えたおじさん"

          時間というthird variable, exploratory artとしての研究, 学ぶhabitus

          あれやこれやの雑務と完璧主義の脱皮:2月の日常

          マイナス30度の冷凍庫のような1月も過ぎ去り、気温がプラスになったこの頃は半袖短パン勢がちらほら見受けられ、キャンパスはすっかり春模様だ。(東京の温室で育った私にとってプラス5℃はしかしまだ寒いので、半袖短パンで風を切ってランニングしている学部生に追い越されながらモコモコダウンでノソノソ歩いている。) 最近はどういう訳か研究がどうというより、To Doリストがパンパンな感じだ。 奨学金の更新手続き・新規申請、学部の報告書提出、確定申告などなど。この間やっと来年度の家の内見・

          あれやこれやの雑務と完璧主義の脱皮:2月の日常

          初めての病院と温かさと

          そう、新学期が始まりやっと2週目という所なのだが、病院にかかる羽目になった。 "なんとなく痛い気はしていた" のだが、海外で病院に行くことに嫌なイメージしかない私は行かずに済むなら極力行きたくないので努めて無視しようとしていた、のだが流石に出血を見て震え上がってしまったのと、耐えきれない刺すような痛みになってきたので (そもそも悪寒で歩けなかったのでZoom参加にしてもらっていた) クラスを途中で抜け、病院に駆け込んだのだった。 結果、幸にして重い何かという訳ではなさそう

          初めての病院と温かさと

          Loading...

          世のPh.D.課程の皆さまは冬休みいかがお過ごしだろうか。私はといえば学期期間中に目をつけておいた本の消化や来学期に向けた準備、気ままに古い本の整理をしたりしてのんびり過ごしている。 先日、Derrick BellのFaces at the Bottom of the Wellの邦訳 (「人種主義の深い淵ー黒いアメリカ・白いアメリカ」中村輝子訳) を読んだ。同じデパートメントの人が、人生を変えた一冊だから是非 (授業で出てきたパートだけでなく) 通して読んでみて!と全体メー

          That's a wrap.

          ようやくテストも、ペーパーたちも終わった。 不思議なことに、学部生やロンドン院生時代テスト期間後に感じた強烈な開放感は今回特に無く、Final期間自体もFinalが云々というより自分の中で整理整頓ができる楽しい時間という感じだったので、出すものは出したけれども別にそれが「終わり」というわけでも無いので淡々と整理整頓を続けている、という感じだ。 一足先にFinalが終わっていたルームメート (私より一つ下)は終わった瞬間速攻でクラブ並の爆音とライトで (23時に帰宅して玄関ドア

          学期末と師走:雑記

          授業もあと一週を残すのみとなり、キャンパスは学期末の慌ただしさに包まれている。クラスメートの顔も、どこか皆疲れたような眠そうな感じだ。 自分はといえばThanksgivingの1週間の休みに大して缶詰で勉強していなかったつけが回ってきたというべきか、あるクラス (Social Capital) のリサーチプロポーザルのペーパーで中々メンタルが豆腐になった。 あまりいいことではない気がするが、齢30 (正確には29) まで火事場の馬鹿力が最後には出るのでなんとかなるという根拠の

          レイシズム、被抑圧者の生、社会学理論、そして私

          ブログで論文のようなことを書きたくはないから、私にとってこのテーマでそれを保つことは少し難しいのだけれど、Ph.D.の日常を書き留めておくという意味で少し筆を執ってみる。 基本理論のクラスでは毎週、社会学の古典 (といっても社会学自体の歴史を考えれば19C以降でしかないのだが) を読む。今週はDu BoisやBellら、Racismの論者たちの文章だった。 ※※※ Ph.D.自体がそういうものだろうと思うが、プロフェッサー (教授、という日本語のイメージと"Profess

          レイシズム、被抑圧者の生、社会学理論、そして私

          部屋づくりと思考と

          私にとって部屋は頭の中の投影だ。だから余計なものを置きたくないし、最適システムの設計の場と、ふわっと発想を飛ばせるinspirationを得られる場、両方のエッセンスが空間にあって欲しい。だから基本ミニマルでモダンな感じが好きなのだが、ノルディックな、静謐なトーンを重ねてニュアンスを出す感じも思考の"さざなみ"感が具象化されている感じがして好きだし、かといってポップなアクセントカラーを使うミッドセンチュリーモダン、みたいな感じも好きだ。 まぁただ私はここらのふわっとした話に、

          the 徒然草 @学期折り返し地点

          もう週明けは学期の折り返し地点だ。びっくりするくらいあっという間だった。 授業があるのは火曜から木曜までで、TA等を (フルブライトのおかげで) 特にやっていないので、実質私の週末は4日だ。といっても感覚的には週末というより、3日の社会的生活に向けて色々蓄えるためディープダイブする自分時間、という感じが近い。 *** そんなディープダイブタイムの前に、今回は「ダンピング」的に最近頭に浮かぶことを書き綴りたい。思い浮かぶまま書くのでまとまったメッセージもオチも無いが、たまには

          the 徒然草 @学期折り返し地点

          遠く海を超えて:色んな人たち

          イギリスとアメリカで感じた違いの一つに、のしかかってくるような歴史の重みー或いは社会に折り込まれた人々の暮らしの記憶の有無がある。 無論「新大陸」の名称をつけ土足で移住者が大挙して押し寄せる前にも、この地に人々の暮らしはあったはずなのだけど、残念ながらそれらの記憶は現在の社会とは断絶している。 初めてニューヨークのエリスアイライドに立った時の衝撃は未だに忘れられない。この国は移民の国なのだと、それまでにないほど強くそこで実感した。 そんなこの社会の軽やかさは、どこか不思議な感

          遠く海を超えて:色んな人たち