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初めての病院と温かさと

そう、新学期が始まりやっと2週目という所なのだが、病院にかかる羽目になった。

"なんとなく痛い気はしていた" のだが、海外で病院に行くことに嫌なイメージしかない私は行かずに済むなら極力行きたくないので努めて無視しようとしていた、のだが流石に出血を見て震え上がってしまったのと、耐えきれない刺すような痛みになってきたので (そもそも悪寒で歩けなかったのでZoom参加にしてもらっていた) クラスを途中で抜け、病院に駆け込んだのだった。

結果、幸にして重い何かという訳ではなさそうだったが、特定臓器が感染・炎症を起こしているらしい。医師いわく、女性によくある症状で、今日も何人目かな?とのことだった。「熱がなければ薬の処方だけでいいのだけど、熱出てるから炎症がちょっと心配だね。注射打っておきましょう」ということで、お尻に極めて大きな注射をブスッと刺されて帰ってきた。

冒頭で書いた通り、私は海外で病院に行くことに、というか"病院が外国人を扱うやり方に"ネガティブなイメージしか無い。

外国人の母が日本で病院にかかったのは30年以上前のこと。今は韓国に対するイメージはK-ドラマ、K-popなど、ポジティブな要素「も」加わってきたとは思うが、30年前は事情が違う。幼稚園のママ友の中には、「韓国?…中国の一部だっけ?」と本気なのか嫌味なのか判別がつかないトーンで言ってくる人もいたという。
そんな時代にあって病院にかかった時、医者はとても彼女に高圧的だった。まだ日本語がたどたどしかった母でも、自分の症状に心当たりはあったし、だから医師の診断と処方におかしさを感じて質問・説明しようとしたらしい。でも (悲しいことに今でもよくあることだが)、多くの人は"その人の日本語がどれくらい日本人らしいか"によって、その人の"知能指数"を判断しようとする。外国人に対して、突然タメ語で、子どもに喋るかのように話し出す人を、見たことがないだろうか?ーそういうことである。
そうしてその医者は、説明しようとする母を「どうせ日本語わからないでしょ」と「なだめて」、帰らせた。そして処方された薬を飲んだ母は、呼吸困難になり気絶しかけたらしい。
母はそれから30年、日本の病院にほぼ行ったことが無い。

そんな話を小さい頃から聞いていたから、私はイギリスに住んでいた時も、NHSにかかったことがなかった。利用した友人たちの話を聞く限りでは割と評判はよかったが、それでも私は使わなくて良いのなら「外国人」の立場で病院を利用したくなかったから、ついぞ行かなかった。

だから今回、止むに止まれず病院に駆け込んだものの、内心戦々恐々としていた。
でもびっくりするくらい、アイオワ大のメディカルセンターはよく接してくれた。

例えば、滅多に使わない医療用語など、英語で言われてもわからないしこちらも説明するのが大変だったりする。でもそんな様子を見て医師の方はPC画面でGoogle翻訳を開いてくれて、話しながら打ち込んでくれたので、ほぼ同時通訳のように私は日本語で理解することができた。
説明もできるだけわかりやすい単語で説明しようとしてくれていることが伝わってきたし、何度も「大丈夫?今ので何が起きているか伝わった?」と確認を挟んでくれた。
何より、医師と患者というヒエラルキー、上下関係のようなもの (日本の病院では、そうでもない医師の方もいるが、大抵は感じる) を一切感じさせないフラットなコミュニケーションだった。素直に感動した。
注射を打ちにきてくれた看護師の方も、アメリカで病院も処方箋薬局もかかったことがなくて、と言ってみたところ (日本だったらそんな"必要ない"ことは言わない)、懇切丁寧に薬の受け取り方を説明してくれた。びっくりした。

そうして (巨大な注射をされたお尻は腫れてきて痛かったが) ほっとしながら帰ると、何人も「大丈夫?」という連絡をくれていて、それにまたびっくりした。

人の厚意や優しさに未だに慣れない私は、時折そういうものに触れるとびっくりしてしまう。そんなにありがとう、ありがとうって申し訳なさそうに言わなくていいんだよ、と言われたりもしたが、私にとって優しい世界は当たり前ではない。

差別や偏見や形のない悪意が呼吸をするように散りばめられた日常の中で生きていたら、人を信じることは結構簡単なことではなかったりする。

奇妙なことにアイオワの片田舎に来て初めて、ああ意外と私、一人じゃないのかも、と思えたような出来事だった。

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