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ハワイ:亡国の記憶を辿る旅

ハワイというと常夏の気候に真っ青な海を連想する人が多いと思うが、私にとってその地は20年来の古い友人が研究をしている土地だった。

だからアイオワから東アジアへ帰る途中経由地としてハワイに降り立った私のスーツケースの中には、水着の一枚も入っていなかった。(実際一週間の滞在期間中、常夏のリゾートらしいことをしたのはアサイーボウルを食べながらワイキキビーチの喧騒を眺めていた1時間くらいだった。私も友人もマリンスポーツやビーチでchillすることにそれほど興味が無いタイプだった。)
知る人の誰もいない土地を完全な異邦人として訪れる旅もその味があると思うが、そこで暮らす友人がいると見えるものが違うように思う。誰といるかで場所の感じ方は変わるのだ。
でもそれを抜きにしても、ハワイは「日本」があまりに色濃い場所という印象だった。

普段アイオワで99%ホワイトに囲まれているからなのか、まずAsianの多さに驚いた。私以外に"見慣れた顔"が沢山いる"エイリアン感のなさ"を、初日はまず感じた (ことで普段自分がどういう環境にいるかを自覚した)。街もあまりにたくさんの日本人観光客で溢れているから日本語がそこかしこで聞こえる。日系スーパー (あまりの品揃えに「日本の米…食パン…」と小声で呟きながら感動している私を店員さん達は哀れんでくれたのか日本語で「いらっしゃいませ〜」と声をかけてくれた)、日本食屋もびっくりするくらい立ち並んでいるので、ここで暮らすと本当に外国にいるのかわからなくなりそうだなと思った。

ワイキキに溢れる日本人のどれだけが、日本とハワイの繋がりについて考えたことがあるのだろう。

Honolulu Museum of Artでやっていたアロハシャツの展示は、シャツの模様がいかにハワイ王国とその併合の歴史、そしてハワイアンのidentityを表象しているかというテーマについてだった。そもそもここがかつて王国で、併合された亡国の悲しい歴史を持つ土地であるということをどこまで消費者は意識しているのだろう、と展示を見ながら考え込んでしまったのだが、静まり返った展示室の静謐さは「わぁかわいい!」と賑やかに日本語でおしゃべりをしながら入ってきた人々に唐突に破られ、彼らがさっと一周して出ていく様を目にした私はまた何とも言えない気持ちになってしまった。他人の観光アティチュードについてとやかく言う権利は無いので彼らに対して何を言いたいというわけではなかったが、ただその場の構図に、酷く暴力性を感じざるをえなかった。

ハワイは太平洋航路の丁度良い中継地点だったため様々な国の船が経由していたという。イオラニ宮殿に残る王室の晩餐メニューは実に国際色豊かで、なるほどなぁと感嘆してしまった。ただ接触の急速な拡大は耐性のない島民が様々な病原菌に晒されることと同義であったから、人口は急激に減少したという。そうして足りなくなったプランテーション労働力を求めてハワイ王国は移民の依頼をするようになり、日本から大量のプランテーション移民が移住していくことになったのだという。以前「Okagesama de」という映画を見た際にも思ったことだが、現代における移民はどこか個人の選択として捉えられたりもするように感じるのだが、ジオポリティクスの狭間で発生する現象なのだなと改めて感じた。

プランテーションビレッジではこうした移民労働者の当時の暮らしに、保存されている家や家財道具を通して触れることができる。ここで何より感じたのは、移民は"出たその時で時間が止まる"こと。旅立ったその時点の記憶を、故郷の景色として抱えて生きるのだ。でも時間は流れるから、旅立ったその時の故郷はもう記憶の中にしか無いのだけれど、帰ればそこに記憶の故郷があるような気がしてしまう。その切なさと時が止まったような望郷の念が何となくわかるような気がして、じっと古びた家の空気感をしばらく佇み感じていた。

ちなみにプランテーション移民は日本だけではなく中国、ポルトガル、プエルトリコ、フィリピンなど様々いたようで各移民の家が保存されている。一つ面白かったのは、朝鮮からの移民 (併合の直前に少数だがいたらしい) の家の壁にかかったある絵を見た時のことだった。私は見た瞬間"朝鮮の地図"、と思ったのだけれど、一緒にいた友人は"木と花の絵"と思ったらしい。それは確かに木と花の絵ではあったのだけれど、木の輪郭が朝鮮半島で、花が무궁화 (無窮花 ムグンファ) だったから。それは何だか、確かに目の前にある同じ物を見つめていても、"認識"によって全く異なるものに見えるという、どこかシュッツの議論を眼前に叩きつけられるような経験だった。

なお「日本」というのも主語が大きく、本土からの移民と沖縄からの移民は一口に語るべきではない文脈があるのだが、そのあたりは友人のthe 土俵なので私からあれこれ言うことは遠慮しておこうと思う。ただ、沖縄とハワイの繋がりはおそらく一般に想像 (がそもそもされていない…のかもしれないが) されるよりもはるかに強いものであることは実際訪れ、そして友人の話を聞くことで強く肌で感じた。

最終日にはパールハーバーにも行った。そこにはイオラニ宮殿前に整列した出兵前の日系人部隊の壁画があった。二次対戦中の日系人部隊や収容の話はLAの日系人博物館でも以前見たが、パールハーバーという場所で、実物大のmuralとして彼らの顔を見つめることで込み上げてくるものにはまた別の何かがあった。親の祖国、自分のルーツを「捨て」なければ今いる地で生きることができない。どんな想いだったのだろう、と、完全にわかるとは言えないが、日本で生きてきたハーフとしてどこか想像できる感覚はあるから、歯を食いしばるような想いで壁画を見つめていた。

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私がそれなりに楽しかった会社員生活を放棄してまで研究をやりたいと思った理由の一つには、歴史や記憶を辿り文化の多様性に感嘆することを人生の喜びとしたかったこと、そしてそう思える感性を失いたくなかったことがある。だから、皆が皆同じような旅をするべきだとは思わないし、こういう目線の旅ができるのは、今自分がアカデミアに身をおき感性を豊かに保てる場所にいるからだとよくわかっている。(忙殺が感性を殺すことは身にしみて実感した。) でも、だから、こうして書くのかもしれない。認識が見る世界を変えるのなら、誰かが見た世界の記録が、誰かの認識を新たに開くきっかけになるかもしれないと、思うから。

もし、あなたがハワイの亡国の歴史について想いを馳せるようになったのなら、今度ハワイに行った際はイオラニ宮殿とState Capitol (州会議事堂)の間でひっそりと佇む女王リリウオカラニの像を訪れてほしい。私の目には、最後の女王が永遠に見つめる先が併合の象徴とも言える州会議事堂という構図は、あまりにも悲しい亡国の象徴のように見えた。

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