見出し画像

「親ガチャ」に見る日本社会の分断

「親ガチャ」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

虐待やネグレクトなどの重大な問題?

それともただの被害妄想?

この言葉によって社会の分断を見せつけられた出来事があったので、気持ちが冷めないうちにここにまとめます。

始まりは語義の違いから

昨日の寝る前(日付回ってたので正確には今日)、こんなツイートを見つけました。

「親ガチャが甘えである」と聞いて、かなりドキッとしました。これに対して、リプライと引用ツイートで一部の人が猛反発。一例として、以下では、noteで小説を書いているゆきこさんのツイートを引用します。

私も最初は、「ディアナ氏の持っている感覚は本当に信じられない」と怒るばかりでしたが、こんなツイートを見つけて、少々考えが変わりました。

「もしかすると、ディアナさんが言っている「親ガチャ」の意味と、周りで怒っている人たちが考える「親ガチャ」の意味は全く違うのではないか」と思い、そのことを彼女に言ってみたいと考えました。

私は、彼女がどの程度日本語を使えるのかわかりませんでしたし、問題となっている日本語の意味がよく理解していないのなら尚更、母国語で言った方が届きやすいと考えました。それに、リプ欄が日本語で埋め尽くされている中で、いきなりロシア語のツイートがあれば、当然本人の目を引き、届きやすくなるでしょう。ロシア語がわからない私でも、文明の利器(Google翻訳)を使えば、一発で日本語の文章をロシア語に翻訳できます。ただし、日本語は相当文法が特殊なので、英語を仲介してロシア語にしました。

翻訳前の文章はこんな感じだったと思います。

被害妄想の意味で使われる「親ガチャ」しか知らないのではないでしょうか。 「親ガチャ」という用語は、本来虐待やネグレクトに苦しむ子供たちに使用されていました。 これは日本で真剣に議論されている社会問題です。
私はロシア語を使えないのでGoogle翻訳を使いました。 私の言いたいことをご理解いただければ幸いです。

I think you only know "親ガチャ" which is used in the sense of paranoia. "親ガチャ" is originally a term used for children suffering from abuse or neglect. It social issue that is being seriously discussed in Japan.
I used Google Translate because I don't use Russian. I hope you understand what I mean.

翻訳後の文章も掲載しておきます。

ツイートしてすぐに反応がありました。

やはりコミュニケーションの齟齬がありました。

周りの人たち

次に、このツイートに対して、リプ欄や引用リツイートで意見を述べている人たちに着目してみたいと思います。

憤慨する人たち

ゆきこさんを含め、親ガチャを深刻にとらえている人たちの多くは、今回原因になったツイートに対して憤り、反論していました。

支持する人たち

私も驚いたのですが、意外と多くの人がディアナさんの言論を保持していました。本当にその通りだ、親ガチャは甘えだ、日本に生まれただけありがたいと思え、そんな引用リツイートやリプライが多く散見されました。

「親ガチャ」のもとの意味に疑問を呈する人たち

親ガチャのもとの意味についての指摘もありました。

自分のツイートの重箱の隅をつつくのは気が引けるのですが、私のリプライもあまり厳密な言い回しではなかったかもしれません。

Google翻訳に「Originally(元々は)」という表現を入れて、それをロシア語に翻訳したのですが、本来、「ある言葉が誕生した瞬間」を知っている人は誰もいないはずです。なので、「元はこういう意味だった」を特定するのは本来とても難しい作業だと思うのです。その点、「元々は」という言い回しは少々厳密性を欠いたものだったかもしれません。

結局私が言いたいこと

ここまでの流れを整理します。


ディアナさんが「親ガチャは甘え」という趣旨のツイートをすると、リプライや引用リツイートで意見が衝突
 支持派→親ガチャ=怠惰な若者が使う言葉、ただの被害妄想
    →自分の人生がどうなるかは完全に自分の責任
    →一部の人が必要以上に煽り、被害妄想の意味が加わったetc.
 否定派→親ガチャ=親との関係で苦しんだ不幸な子どもたちに使う言葉
    →元々上記のような意味で使われていた
    →子どもの努力ではどうにもできない問題etc.


親ガチャという言葉が誕生した時の意味は調べようがないので、今回は「『親ガチャ』という言葉に代表される問題にどう対処すべきか」について自分の見解を述べます。

これらの問題は、少なくとも、「甘えだ」という言葉で解決できる問題ではありません。

多く散見されたのは、「日本はまだ恵まれている方だから我慢しろ!」「今の若者はかなり被害者的である」という論調でした。順に、それぞれどこがおかしいのかを指摘していきます。

日本はまだ恵まれている方だから我慢しろ!

まず、「恵まれている」の基準が明示されていません。おそらく経済的に恵まれているという意味かと思いますが、本当に経済的に恵まれていれば十分と言えるのでしょうか。

経済的な豊かさ(ここではGDP)と幸福度は、相関が薄いことが国際的な調査で知られています。貧しい国でも国民の幸福度は高い、逆に、経済的に潤っている国でも国民の幸福度は低い、こんな状況は実際にありうるのです。

経済的には恵まれており、公衆衛生もかなり高い水準の日本で、なぜこれほど幸福度が低いのでしょうか。近年自殺大国と呼ばれる日本で、「豊かさとは何か」を真剣に問い直す時が来ているのではないでしょうか。

さらに、日本はまだ恵まれている"方"だから、という比較を持ち出して我慢を強いるのも、細かい議論をすっ飛ばした、支離滅裂な主張と言わざるを得ません。

「苦しさ」などの人間の感覚は、数値を与えて客観的に測定できないものです。すなわち、「この程度苦しかったら助けを求めていいよ」という水準を設定することや、「どちらの方が苦しいか」などという議論を行うことは不可能なのです。したがって、「日本は他国に比べて恵まれている方である、他国はもっとひどい、だから我慢しなさい」という論理は成り立ちません。

今の若者はかなり被害者的である

まず、これは客観的なデータなど基づくものではなく、個人の主観によって語られているものである、という点に留意すべきです。また、推論にもかなり飛躍があります。仮に以下のような仮説を立てても、なんら矛盾は存在しないはずです。

昔から虐待やネグレクトは存在したが、それを救済する制度や組織が十分に整備されておらず、十分な調査もされなかったため、実態が明るみに出ることはなかった。しかし最近になって、法や組織の整備が進み、調査も行われるようになって、実態が以前よりも把握されつつある。だから、見かけ上は件数が多くなり、若者が被害者的になっているように見える

いずれにせよ、厳密な検証や実態の把握抜きにして、ごく狭い個人の観測範囲を根拠に、飛躍の甚だしい推論によって、結論を導く姿勢は、非常に危険です。

分断

今回は、「親ガチャ」に否定的なイメージを持っている人がこれほど多くいることにとても驚きました。日本社会の分断を見せつけられた気分でした。私がnoteを始めるきっかけになった、山邊鈴さんの「この割れ切った世界の片隅で」を読んで以来の出来事だったように思います。自分がいかに無知だったかを思い知らされた、ある意味でとてもいい機会だったというふうにとらえています。

"自分が見てきた狭い世界の常識からしか人間は物事を判断できません。これは紛れもない事実です。大切なことは、どれだけ世界を見ようとも、「自分は視野が広い」「自分は物事が適切に捉えられている」なんて思わないこと。自分の見ている世界を常に疑い、謙虚になること。常に相手の背景を受け入れようとすること。自分が生んだ成果はすべて自分の努力のお陰だなんて思わないこと。"

この割れ切った世界の片隅で

noteを始めた時の初心を忘れずに、これからも執筆活動を行っていきたいと思います。

ご意見、感想等ありましたら、ぜひコメント欄までお寄せください。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?