【読書】お嬢さま、オムレツ作りで熊撃ちのパートナー志願!「夏子の冒険」
男たちの誘いを断り続けてきた「お嬢様」がハンターの青年に出会い、あたくしも人喰いグマ退治に付き合いますわと言い出し、お母さまおばあ様大慌て。
「お嬢さまキャラ」ものです。
金持ちの家に生まれただけの「富裕層」なだけではなく、この人の言動がいいからページをめくらせる、そういうパワーをもっている。
2022年でお嬢様キャラとして名を挙げたのはバーチャルユーチューバーの壱百満天原サロメ嬢という人なんですが、そこからだいぶ源流へさかのぼると三島由紀夫「夏子の冒険」にたどりつく。
金持ちだけど未知の荒野へ生きがいを探しに行く女性という点では、トゥームレイダーのララ・クロフトと同じ生き方でもある。
最近の作品の○○みたい!と語りたくなる、時代を越えて変らない面白さと、時代のギャップの面白さの両方を備えていて、三島由紀夫のイメージを覆す楽しさだった!
夏子は、言い寄ってくるつまらない男たちに情熱を感じず、俗世間の関わりを断って修道院に入ると言い出す。
最後まで繰り返し口にして求める「情熱」とは何か。どうすれば満たされるのか、具体的には語られない。とにかく情熱。どんな男でもつきあってる途中で将来設計を聞きながら、この人といても情熱はない、とジャッジしてしまう。
二十歳の夏子は家族を引き連れて修道院に行く、その途中で出会った猟銃をかついだ青年の瞳に、情熱を見いだす。
そして、大切な人を殺した熊に復讐する旅をしている青年に、自分も連れて行けと申し出る。そのときのアピールがいい。
連れて行ってくれなかったら死んでやると言い張るので、仕方なく青年はクマ退治の旅に夏子嬢を連れていくことになり、行く先々で夫婦と間違えらえたりしながら、ふたりの距離は縮まっていく。
(こっちの熊嵐のファンでもあるけど、当時のクマ退治は、引き付けて一発で仕留めないとやられるので難易度設定が絶妙。)
同行していた母や祖母をまいて、北海道を飛び回る男と夏子だが、猟に女連れで来ても信用されず、クマの足取りもなかなかつかめず、お母さまたちは「きっとろくでもない男に誘惑された」とわーわー騒ぎながら捜索してくる。
いよいよクマが出る地点がしぼられ、親密になった二人は猟銃をぴかぴかに磨いて待ち伏せしている。突然凄まじい獣の異臭が鼻を突く。旅が終わりに近づくほど読者は寂しくなる。
クマを仕留めたら結婚しそうなふたりだが、それは幸福だけど平凡な人生になっていく予感しかしない。
魅力的なキャラクターが、時間がたてばいずれ面影もなく、どこにでもいる退屈な人、退屈な生活になるんじゃないかと想像させる。
この冒険は、修学旅行のように年月が経ってから、二度と得られない日々だったことに気づくやつだ。
最後は、三島由紀夫も計算してないであろう、21世紀の読者に議論の余地を与えてくれる場面になる。
クマ退治の旅を終えて、いよいよ結婚だという最後の最後に
「夏子は子供を産みづらい体質」
だとわかるのだ。唐突にそんなことを言われる。えっ何?って感じだけど。
北海道でとろろこんぶをお土産に買ったり、たまに映画を観てコーヒーを飲む生活描写があったり、あまり時代を意識していなかった。猟銃でクマを狙っているときも一種のファンタジーみたいに読んでいた。
それが、最後のさいごでそういえばこれ70年も昔に書かれた話だ!と、思い出す。
今の読者にとっては、子供ができなくても夏子というキャラクターの価値を落とすものではないけど、子供を産めないというのは魅力的なキャラクターの価値を急落させる大問題らしい。
なんなら「お嬢さま」がなぜ憧れられるかというと、良家の男と子供作って、栄養のあるものを食わせて医者に診てもらえる資産があるからであって、言動がチャーミングだとか、そういうことではない…?
時代を意識すると、夏子がどれだけ破天荒だったか、話全部の印象が変わる。青年を値踏みしていた親たち、行き方を決めつける「世間」をまるごと敵にまわす覚悟で人生を生ききる、気合の入ったお嬢さまなのだ。