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最後の日 無謀なことを やる師走 謎標識 命救われ

最後の日になるところだった。「なんとバカなことを考えてしまったのだろう」踏切から見える謎の標識を見ながら思わずため息をつく。
「死神が取り付いていたとしか思えない」一歩間違えれば踏切事故を起こして死ぬことだって考えられたのだから。

あなたのパートナーの元彼(元カノ)が事故に遭いました。全治1ヶ月程度のケガでした。あなたのパートナーが元彼(元カノ)のもとへお見舞いに行くことを、何のわだかまりもなく、送り出すことはできますか?

きっかけはこれだった。オンラインの集まりで上のような質問があった。それにはあえて答えなかったが、最終的な集計で「お見舞いに送り出すことにわだかまりがない」という意見が圧倒していた。「怪我をしている人を見舞うことくらい」「信じているから大丈夫」という意見が多数を占めていたのだ。だが、このときふと、3か月前の失恋を思い出してしまう。

「好きな人が別にできて」と切り出された別れ話であった。1年近く付き合っていた相手。しばらく辛かったが、最近はそのこともようやく忘れていた矢先のこと。
「もしかしたらもう一度会えるかも」と思ったのが、事故でけがをすることだった。

そして師走のある日、いつも通る踏切で実行することを考えつく。踏切が閉じている時に、そこに突っ込め電車と接触すればケガで入院となる。そうすれば別れた相手が見舞いに来てくれると思ったのだ。

なんと浅はかな考えだったのだろう。接触事故でも起こせば電車のダイヤが大きく乱れ、どれほどの人に迷惑をかけてしまうことか。

だが、そのときはそんな前後の影響など全く頭になかった。ただもう一度だけ別れた相手の顔を見たい。それだけなのだ。

そして、今日踏切の前に来た。いつもならただわたるだけの踏切の前で立ち止まる。警笛が鳴ってから中に入ればよいと思った。「ほんの少し接触するだけでいい、死ぬのとは違う」と思っている。そして踏切の前で立ち止まった。
ちょうど電車が通り過ぎた後、すぐに次の電車はこない。とりあえず警笛が鳴るまでは待つしかないのだ。ということで立ち止まったまま呆然と普段見ない周りの風景を眺めた。

「あ、あれは?」その時、視線に止まったのはある標識だ。縦にふたつ並んでいる。ひとつは進入禁止、通行止めそんな感じの赤い標識だ。だがその下にある青い標識が気になる。それが何なのかがわからない。
「見たことがない。何のためにあんな所に」標識の正体が気になり、思わずスマホを手にした。

「わからない、いったい何だろう」結局スマホで簡単に調べただけでは、正体はわからないまま。そのときすでに警報が鳴り、踏切が閉じていた。しかし、もう関心事は標識の正体である。無謀な行いのことはすっかり忘れていた。

勢いよく急行が踏切を通過していく。その時にふと思い出す。
「ば、バカなことを!よ、良かった。実行しなくて、あの標識が助けてくれたのかも」そう感じた。あの速度なら少しの接触でも相当な重症になる。一歩間違えれば、本当に人生最後の日になったのかもしれないのだ。

踏切が開き、いつものように踏切を歩いて通過していく。このときもう一度標識を見た。「命の恩人かもな」そうつぶやきながら短歌を心の中で詠んだ。

最後の日 無謀なことを やる師走 謎標識 命救われ
(さいごのひ むぼうなことを やるしわす なぞひょうしき いのちすくわれ)

今日は、こちら小牧幸助さんのシロクマ文芸部という企画に参加しました。

さらに山根あきらさん「あなたへの5つの質問」のQ.4も同時参加しました。

こちらの本日の記事、「河内長野千代田駅前の踏切で見た謎の標識」という内容を参考にしました。

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