この四半世紀、水俣フォーラムで仕事をしている。わずか数名からなる事務局の職員であり、経…
東日本大震災が起きたあとに石牟礼道子さんを訪ねたとき、彼女がただちに言ったのは「フクシ…
川崎市で障害者介助の仕事を10年ほどしていた。その頃、土本典昭さんの作品をよく観ていた。…
「法を学ぶことは、正義と社会を考えることだ」 この言葉を受け取り、水俣フォーラムのイ…
テレビドキュメンタリーの仕事を始めた20代後半のころ、日本のドキュメンタリー史において、…
足尾鉱毒事件の舞台になった栃木県の旧谷中村は現在、渡良瀬遊水池という巨大な湿地帯の一部…
ウニが苦手だ。食べられないわけではないが、自分から進んで食べることはない。しかし一度だ…
「ご飯もっとちょうだい!」。普段は子どもたちがご飯をなかなか食べなくて苦労することも多…
2015年の秋、私は初めての水俣訪問に向けて土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』を視聴…
1971年12月12日ごろだったと思う。 もう50年以上も昔のことになるが、私にとってその後…
67年前、7歳の私は周りで起きている事の意味を理解できなかったせいか、わずかな記憶しかな…
最近出した森功との共著『日本の闇と怪物たち』(平凡社新書)の第四章は竹中平蔵である。 …
水俣駅の近くの歩道で、猫が一匹、そろりと建物の隙間に入っていく。水俣病の爆心地とも言わ…
父が亡くなって半年が過ぎた。私の父渡辺京二は、1969年から73年にかけて水俣闘争が最も激烈…
どうしたって戻ってくる。どんな文献を読んでも、どんな講義をしても、どんな論文を書いても…
私が水俣フォーラムの会員になったのは2006年の年末、16年ほど前のことです。教員として勤務…