水俣コラム

NPO法人水俣フォーラムが運営する「水俣コラム」です。水俣と現代をつなぐコラムを毎月第…

水俣コラム

NPO法人水俣フォーラムが運営する「水俣コラム」です。水俣と現代をつなぐコラムを毎月第2・第4金曜日午後4時に更新していましたが、現在休止しております。再開時期は未定です。 HP:https://npo.minamata-f.com/

記事一覧

第22回 敗れはしても 服部直明

 この四半世紀、水俣フォーラムで仕事をしている。わずか数名からなる事務局の職員であり、経…

水俣コラム
12日前
8

第21回 「減災」でなく「増災」? 上野千鶴子

 東日本大震災が起きたあとに石牟礼道子さんを訪ねたとき、彼女がただちに言ったのは「フクシ…

水俣コラム
3週間前
8

第20回 自ら恥じない心で 杉田俊介

 川崎市で障害者介助の仕事を10年ほどしていた。その頃、土本典昭さんの作品をよく観ていた。…

水俣コラム
1か月前
11

第19回 法を学ぶこと 石川慎司

 「法を学ぶことは、正義と社会を考えることだ」  この言葉を受け取り、水俣フォーラムのイ…

水俣コラム
2か月前
9

第18回 まだ足りない 森達也

 テレビドキュメンタリーの仕事を始めた20代後半のころ、日本のドキュメンタリー史において、…

水俣コラム
2か月前
12

第17回 記憶の消し方 斎藤美奈子

 足尾鉱毒事件の舞台になった栃木県の旧谷中村は現在、渡良瀬遊水池という巨大な湿地帯の一部…

水俣コラム
2か月前
14

第16回 あの日のウニから 梁取優太

 ウニが苦手だ。食べられないわけではないが、自分から進んで食べることはない。しかし一度だ…

水俣コラム
3か月前
15

第15回 シラスが証すこと 斎藤幸平

 「ご飯もっとちょうだい!」。普段は子どもたちがご飯をなかなか食べなくて苦労することも多…

水俣コラム
3か月前
21

第14回 〈その後〉を生き延びること 小松原織香

 2015年の秋、私は初めての水俣訪問に向けて土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』を視聴…

水俣コラム
7か月前
15

第13回 50年前に私が見たもの 山田 真

 1971年12月12日ごろだったと思う。  もう50年以上も昔のことになるが、私にとってその後の…

水俣コラム
8か月前
14

第12回 二度目の衝撃 郡山リエ

 67年前、7歳の私は周りで起きている事の意味を理解できなかったせいか、わずかな記憶しかな…

水俣コラム
8か月前
11

第11回 「公」の崩壊 佐高信

 最近出した森功との共著『日本の闇と怪物たち』(平凡社新書)の第四章は竹中平蔵である。 …

水俣コラム
9か月前
10

第10回 語りえなさを宿す旅 木村友祐

 水俣駅の近くの歩道で、猫が一匹、そろりと建物の隙間に入っていく。水俣病の爆心地とも言わ…

水俣コラム
9か月前
16

第9回 水俣闘争の日々と父 山田梨佐

 父が亡くなって半年が過ぎた。私の父渡辺京二は、1969年から73年にかけて水俣闘争が最も激烈…

水俣コラム
9か月前
21

第8回 思考の源泉としての水俣 藤原辰史

 どうしたって戻ってくる。どんな文献を読んでも、どんな講義をしても、どんな論文を書いても…

水俣コラム
10か月前
26

第7回 光と風が通る場所で 磯野聡

 私が水俣フォーラムの会員になったのは2006年の年末、16年ほど前のことです。教員として勤務…

水俣コラム
11か月前
13

第22回 敗れはしても 服部直明

 この四半世紀、水俣フォーラムで仕事をしている。わずか数名からなる事務局の職員であり、経…

水俣コラム
12日前
8

第21回 「減災」でなく「増災」? 上野千鶴子

 東日本大震災が起きたあとに石牟礼道子さんを訪ねたとき、彼女がただちに言ったのは「フクシ…

水俣コラム
3週間前
8

第20回 自ら恥じない心で 杉田俊介

 川崎市で障害者介助の仕事を10年ほどしていた。その頃、土本典昭さんの作品をよく観ていた。…

水俣コラム
1か月前
11

第19回 法を学ぶこと 石川慎司

 「法を学ぶことは、正義と社会を考えることだ」  この言葉を受け取り、水俣フォーラムのイ…

水俣コラム
2か月前
9

第18回 まだ足りない 森達也

 テレビドキュメンタリーの仕事を始めた20代後半のころ、日本のドキュメンタリー史において、…

水俣コラム
2か月前
12

第17回 記憶の消し方 斎藤美奈子

 足尾鉱毒事件の舞台になった栃木県の旧谷中村は現在、渡良瀬遊水池という巨大な湿地帯の一部…

水俣コラム
2か月前
14

第16回 あの日のウニから 梁取優太

 ウニが苦手だ。食べられないわけではないが、自分から進んで食べることはない。しかし一度だ…

水俣コラム
3か月前
15

第15回 シラスが証すこと 斎藤幸平

 「ご飯もっとちょうだい!」。普段は子どもたちがご飯をなかなか食べなくて苦労することも多…

水俣コラム
3か月前
21

第14回 〈その後〉を生き延びること 小松原織香

 2015年の秋、私は初めての水俣訪問に向けて土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』を視聴…

水俣コラム
7か月前
15

第13回 50年前に私が見たもの 山田 真

 1971年12月12日ごろだったと思う。  もう50年以上も昔のことになるが、私にとってその後の…

水俣コラム
8か月前
14

第12回 二度目の衝撃 郡山リエ

 67年前、7歳の私は周りで起きている事の意味を理解できなかったせいか、わずかな記憶しかな…

水俣コラム
8か月前
11

第11回 「公」の崩壊 佐高信

 最近出した森功との共著『日本の闇と怪物たち』(平凡社新書)の第四章は竹中平蔵である。 …

水俣コラム
9か月前
10

第10回 語りえなさを宿す旅 木村友祐

 水俣駅の近くの歩道で、猫が一匹、そろりと建物の隙間に入っていく。水俣病の爆心地とも言わ…

水俣コラム
9か月前
16

第9回 水俣闘争の日々と父 山田梨佐

 父が亡くなって半年が過ぎた。私の父渡辺京二は、1969年から73年にかけて水俣闘争が最も激烈…

水俣コラム
9か月前
21

第8回 思考の源泉としての水俣 藤原辰史

 どうしたって戻ってくる。どんな文献を読んでも、どんな講義をしても、どんな論文を書いても…

水俣コラム
10か月前
26

第7回 光と風が通る場所で 磯野聡

 私が水俣フォーラムの会員になったのは2006年の年末、16年ほど前のことです。教員として勤務…

水俣コラム
11か月前
13