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第7回 光と風が通る場所で 磯野聡

 私が水俣フォーラムの会員になったのは2006年の年末、16年ほど前のことです。教員として勤務していた埼玉県の高校で人権教育の係になったことがきっかけです。水俣フォーラムのお力を借りて大阪府在住の患者さん坂本美代子さんと小笹恵さんの講演会を開くことができました。会員になってからは石牟礼道子『苦海浄土』の読書会などに参加しました。
 『苦海浄土』を読むにあたり、原田正純『水俣病』を参考にノートに年表を作りました。水俣病をめぐる歴史は1961年生まれの私の人生と分かち難く結び付いていると気付いたからです。私の母方の祖父村松俊夫は東京高裁の判事を退官した後にチッソを弁護する立場で水俣病裁判に関わっていました。
 2007年の春に川本輝夫さんの娘さんである上野真実子さんのお話を聞く機会がありました。川本さんはご自身も患者でありながら、毎晩、仕事が終った後に自転車で患者さんと思われる方の家を一軒一軒訪ねていたそうです。
 上野さんのお話の後の食事会の席で、私は祖父のことを初めて話しました。祖父を批判する言葉はなく、私は水俣フォーラムの皆さんの温かさだけを感じていました。祖父が亡くなって40年ほど経ちますが、私は今でも、祖父の仕事のことを考えて胸が痛くなることがあります。
 多忙になり、現在は水俣フォーラムの活動に参加することは無くなりましたが、退会することなく現在も会員であり続けています。誰もが安心して参加できる開かれた場であることに希望を感じているからです。
 私はまだ一度も水俣へ行ったことがありません。いつの日か訪れて水俣の光と風を感じ、上野真実子さんが語ってくれたミカンの花の匂いを胸いっぱいに吸い込んでみたいと願っています。

(いその・あき 自営業)


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