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第8回 思考の源泉としての水俣 藤原辰史

 どうしたって戻ってくる。どんな文献を読んでも、どんな講義をしても、どんな論文を書いても、現代史を研究する私の思考はいつも水俣に還ってくる。たった2回しか訪れたことがない水俣に。
 昨日は、さつまいもの歴史に関する講義をした。石牟礼道子さんの『食べごしらえ おままごと』を紹介し、いつの間にかチッソ本社前での座り込みの時に彼女に女学生たちが買ってくれた貧相な「おさつ」の話にスリップしていく。先週は、拙著『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』を土台として、自然界の物質循環に関する講演をした。おのずと、有機水銀に汚染された不知火海の魚とそれを食べた猫、そして漁師の話へとつながる。
 先月は、有機農業の歴史に関する講義をした。当然ながら、世界中で営まれた空中窒素固定の工業化によるアンモニア生産の話になり、それが世界農業史を激変させたと説明すれば、チッソの前身、日本窒素肥料やその子会社の朝鮮窒素肥料の歴史に向かわざるをえない。戦前は戦争に必要な火薬生産も担っていたと付け加えることも欠かせない。そういえば昨年は、『岩波講座 世界歴史』で20世紀前半の世界史を概観する論文を書いた。第一次世界大戦や第二次世界大戦、世界恐慌や原爆投下と匹敵する世界史的事件として水俣病に触れざるをえなかったのは、以上の点からすれば当然といわざるをえない。
 それは私の個人的な思い入れが強いからというよりは、水俣病が現代世界史の性質を凝縮した事件だからである。人口爆発、大量殺戮、大規模自然破壊、物質循環の断絶、植民地での被支配者の迫害、社会的・経済的弱者を置き去りにした経済成長、農業の工業化、そして、そのような臨界から世界に届けられた、人間存在をえぐるような無数の表現。現代史を語る上で欠かせない各々の普遍的問題が、水俣という地名に集約される。
 水俣史はそのままですでに世界史なのだと、私は信じている。

(ふじはら・たつし 農業史)

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