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第18回 まだ足りない 森達也

 テレビドキュメンタリーの仕事を始めた20代後半のころ、日本のドキュメンタリー史において、水俣病はとても重要なアイコンであることに気付いた。とにかく数が多い。ひとつのジャンルと言えるほどに、多くの作品が作られ続けてきた。しかもテレビだけではない。映画も数多い。さらに過去形ではなく現在進行形だ。
 その理由は明らかだ。水俣病の歴史は、この国の高度経済成長とほぼ同時期に始まった。いわばポジに対するネガだ。つまり水俣病の患者たちは、国策の被害者だ。
 それだけではない。特に激しかった初期の奇病差別。企業と国家の冷酷さ。加害と被害。連帯と破綻。自然と文明の相克。あらゆる要素が水俣病には凝縮されている。だからこそ多くのドキュメンタリストが水俣に惹きつけられた。日本の作品だけではない。近年では水俣を撮り続けたユージン・スミスを主人公にした米国映画も公開された。
 映像の業界に身を置く者の一人として、この状況はもちろん歓迎すべきことだ。でも同時に時おり思う。僕たちは水俣病をコンテンツとして消費しているだけではないのかと。
 これだけの歴史があるのに、これだけの教訓を学んだはずなのに、これだけの映像作品があるのに、国策による被害は今も続いている。近年においても、例えば福島第一原発の爆発、沖縄の米軍基地問題など、国民が国策の犠牲になる被害は、絶えそうにない。さらに言えば、かつてのアジアへの侵略など戦争が国策による被害の最たるものであるならば(国策の被害者は自国民だけとは限らない)、関東大震災における朝鮮人虐殺をめぐる修正主義や「群馬の森」朝鮮人追悼碑の撤去なども含めて、その記憶を忘れようとする傾向が、近年はとても強くなっている。
 まだ足りない。まだ記憶と検証と反省が足りない。僕にできることは撮ることと書くこと。それをこれからも愚直に続けるしかない。

(もり・たつや 映画監督)


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