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第21回 「減災」でなく「増災」? 上野千鶴子

 東日本大震災が起きたあとに石牟礼道子さんを訪ねたとき、彼女がただちに言ったのは「フクシマはミナマタのようになるでしょう」という不吉な予言でした。あの大震災と原発事故のあと、「ニッポン、変わらなくちゃ」という気分に満ち満ちていたとき、わたしは『婦人公論』の月1回年12回の連載に、12人の女性を選んで、これからのニッポン、どうしたらよいのでしょうと、智恵を求めて対談しました。その連載が本になったのが『ニッポンが変わる、女が変える』(中央公論新社、2013年)です。その最終回に、それこそ藁にもすがる思いでお訪ねしたのが石牟礼さんです。
 「水俣のようになる」のココロは、被災者がスティグマ化され、分断と対立が深まる、という意味でした。水俣病には、水銀中毒による被害だけでなく、その後の度重なる認定条件や居住地域の線引きによって、被害者の間に分断と対立が持ち込まれたことが、二重三重に被害を増幅しました。最近では、自然災害は防げないが備えと対策によって被害を縮小することができるという考えから、「防災」に代えて「減災」という概念が登場しています。しかし、水俣の場合は、「減災」どころか、対策のミスハンドリングというもうひとつの人災によって、「増災」が起きたのでした。コロナ禍についても、対策によって「増災」した「コロナ対策禍」を検証すべきだという声もあります。
 同じことが福島でも起きています。強制避難地域と自主避難地域、帰還困難区域と避難指示解除区域、復興支援期間の打ち切りなどなど、政治が強いた線引きのせいで、被災者は孤立し、分断させられ、自分が被災者であることも表だって言い出しにくくなっています。
 大きな災厄が起きるたびに、「ニッポン、変わらなくちゃ」と言われてきました。ですが、あたかもあの震災はなかったかのように、原発行政は「復旧」しています。コロナ禍もあたかもなかったかのように、社会はほぼ元に戻っています。
 この国が本当に変わるためには、どのくらいの犠牲を払わなければならないのでしょうか?

(うえの・ちづこ 社会学)

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