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第10回 語りえなさを宿す旅 木村友祐

 水俣駅の近くの歩道で、猫が一匹、そろりと建物の隙間に入っていく。水俣病の爆心地とも言われる「百間排水口」のそばでも道路の端で寝そべっている猫がいたし、隣町の漁港でも悠然と歩き去る猫を見かけた。ひと月前(6月)、初めて水俣を訪れたときのことだ。
 かつてこの地では、おびただしい数の生きものが死んだ。猫はおそらく一度全滅したはず。とすれば、ぼくが見た猫たちは、海に溜まった汚染物(有機水銀を含んだ海底のヘドロや魚介類など)がおおかた取り除かれた後に持ち込まれた猫の子孫なのかもしれない。
 磯を歩けば蟹たちが音もなく逃げていく。新たな命の営みが定着している。当然、水俣病の多発地帯だった地域で暮らす人々にも新たな今の暮らしがある。そこに、いきなりよそからやってきたぼくが水俣病事件の過去だけを見ようとすることは、一種の暴力にならないか。
 ここに来なければわからなかった物事の数々。石牟礼道子さんの夫であり、水俣病の患者さんに寄り添った石牟礼弘さんが毎日通った喫茶店には、チッソの従業員も通っていた。つまり、大事な顧客であるチッソ関係者を単純に非難できない街の人々がいる。また、ぼくの東京の知人が隣の津奈木町出身で、こちらで暮らすお母さんにご挨拶したいと連絡したら、知人は困惑して「うちの母ちゃんは水俣病患者を憎んでるんだよ」と言った。父もチッソの従業員だったと。
 一方、患者さんを支えているある人は、市民と患者、また認定患者と未認定患者の狭間に身を置き、双方のすれ違う思いを受けとめて、深い悲しみを心にたたえていた。その人の悲しみの向こうに、今も苦悶を抱えて暮らしている生身の患者さんたちがいる。
 この丸ごとの複雑さ。現在の水俣の断面。一瞬怖気づいたぼくだけど、今はただ、この語りえなさをじっと心に留めておこうと思う。距離をとるためではなく、水俣を体に宿すような気持ちで。

(きむら・ゆうすけ 小説家)

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