見出し画像

哲学が分からない

 中学三年生の受験シーズンが終わった頃、図書館の隅にある「宗教・哲学」コーナーにあった分厚い「純粋理性批判」を読み始た(出版社などは忘れた。白いハードカバーだと記憶はしている。今はもう除籍されているので確認できない)。今思うと、ませたガキである。

 ハッキリ言って、何が書いてあるのか当時は分からなかった。自分で言うのも何だが、中学校の成績はほぼ全部1位だったので面食らった。卒業までに一通り目を通したが、ほぼ何も理解出来なかった。井の中の蛙である。

 悔しかったので、春休みに岩波文庫の純粋理性批判(篠田英雄訳)を三冊とも買って読みんだ。当時の小遣いは0円だったが、本は好きに買わせてくれた親に感謝している。しかし、中学校を卒業したばかりの普通のガキに純粋理性批判を理解することはできなかった。

 副読本や解説本を読めば多少、理解は進んだろうが、図書館にはあいにく置いていなかった。通学路上にある、自宅からバスで1時間かかる駅前に大型書店ができたが、そこでも純粋理性批判の解説本はごく少量だったし、値段も張っていた。高校帰りに毎日のように立ち読みをしたが(書店様、ごめんなさい)やはり、買って読み込まないと頭に入りづらかった。

 その後、飛んだり跳ねたりドロップアウトしたりして、時間だけはある大人になった。お金はほとんど無い。無職ではないしニートでもない。でも定職に就いているとも言いがたい、ちょっと変な職種である。

 まぁ、とにかく時間だけはある。なので親類に勧められてドイツ語を独学で勉強しはじめた。その親類はスペイン語を勉強しはじめていたので、どちらの上達が早いかの競争であった。私は大学で第二外国語は取らずに卒業した。なので英語以外の外国語はサッパリである。とりあえず、入門書と紙の辞書を買った。何事も形から入るタイプである。今はインターネットの辞書を使えば一発で単語が分かるが、なんとなく紙の辞書を買ったのである。今はもうほとんど使っていないけれども。

 で、入門書を終えた私はあろうことか、ゲーテの「ファウスト」を原著から翻訳し始めたのである。「ファウスト」の存在は手塚治虫の漫画で知っていたが、文字媒体では恥ずかしながら読んだことが無かった。

 なぜ「ファウスト」かというと、例のごとく、親類の口車に乗せられたからである。ドイツ語入門書からいきなり翻訳である。無謀であると誰もが思うであろう。しかし、意外と順調に進んだ。「ファウスト」は戯曲であるので一文が短い。二年程度で全部翻訳をして、AmazonのKindleDirectPublishingで売り出した。意外と売れたし、今でもそこそこ読まれている(気になった方は読んでやってください。「ゲーテファウスト現代語翻訳版: 合冊版 (現代語訳文庫)」)。

 だが、独学翻訳の難点は、一方通行である点である。実際、読むことは辞書を片手なら可能であるが、「話す・聞く・書く」は全くできない。単語の性別も覚えてはいない。その都度、確認したりフィーリングで決めている。

 話はそれたが、とにかくドイツ語の翻訳に関しては何とか可能になった。そこで純粋理性批判の登場である。純粋理性批判の原著はドイツ語である。

 そう、純粋理性批判をドイツ語の原著から日本語への翻訳を無謀にも試みているのだ。

 翻訳を始めるに際して既存の純粋理性批判の日本語版を読み直した。そう、あの春休みの三冊である。だが、大して私の能力は進歩していなかった。いや、むしろ退化していた。

 だが、一度決めたことなので翻訳し始めた。
 すると、「分かる!分かるぞ!」と某大佐が放ちそうな台詞を叫びたくなった。

 純粋理性批判が難解な内容であることに変わりはない。しかし、その原因は翻訳の質(篠田先生の名誉のために補足すると、篠田先生訳は原文に忠実過ぎて難しい)にあることが分かった。

 現在、翻訳を始めて二年半を過ぎた所である。進捗状況は芳しくない。岩波文庫の純粋理性批判で言えば、中巻に突入した辺りである。このペースで行くとあと5年以上かかる計算である。

 時間はある。しかし才能が無いことは痛感している。小説や詩、音楽や絵画ほど才能は求められないが、難しいことには変わりはない。

 あの難解だと評判の純粋理性批判も、翻訳すれば理解が深まる。ただし、誤解や誤訳のリスクはつきまとう。しかし、今の日本にどれだけカントの思想を完全に理解している人がいるのだろうか? 研究者や専門家はいらっしゃるが、それは訂正したり、間違いを指摘する方が多く、カント自身の思想とは違うのかも知れない。まぁ、私の理解も、恐らく、カントが意図したモノとはかけ離れているであろう。

 だが、中学三年生であっても理解できる翻訳にしたいと考えている。

 考えるだけなら無料だからね。

この記事が参加している募集

推薦図書

読んでくださってありがとうございます。暖かいご支援は、主に資料代に充当させていただきます。