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わたしが写したかったもの、写らなかったもの

「いい写真やけど、なんか闇を感じるわ」

以前一眼レフでわたしが撮った写真を見て、母はそう言った。

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写真は”人の心を映す鏡”だと聞いたことがある。

だとすれば、母が写真から感じた闇は「わたしの心の闇」なのだろうか。


その言葉の意味は、いまいちピンとこないままだった。

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先日、前々から少しずつ少しずつ撮っていたフィルムカメラをようやく使い切った。

27枚撮の”写ルンです”。


写ルンですを買ってから、どこかに出かけるときは必ずカバンにカメラを持っていくようにした。いつシャッターチャンスが来ても良いように。

今まで、写真を撮るときはいつも一眼レフを使っていたのでフィルムカメラは初めて。デジタル技術が駆使されている一眼に対して、フィルムはとってもアナログだ。すぐに撮った写真を確認できないし、現像するまではどんな写りをしているのかも写真の色合いも分からない。

撮り直しが効かなければ確認も出来ない。
だからこそ、一眼の時よりも一枚一枚、慎重にシャッターを切った。

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現像したものを見てみると、思わぬ発見が沢山あった。

日中や夕暮れ、明るい時間帯の街並みなど、色が鮮やかなものは比較的きれいに写せていた。嬉しい。

少し荒っぽくて、でも色合いが優しい。

想像以上に上手く撮れていたものもあって、口元が少し緩んだ。なかなか良いじゃん、と自分をちょっぴり褒めたりした。



写ルンですは、暗い場所での撮影にはあまり適していないカメラだ。

そのことは頭の片隅にきちんと置いていたつもりで、できるだけ明るいものを写そうと思っていたはずだったのに、現像した写真たちの中には、真っ暗な写真が数枚紛れ込んでいた。

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わたしが写したかった世界は、上手く写らなかった。

強い光だけが部分部分に写って、まるで宙に浮いているみたい。


たぶん、一眼の感覚でシャッターを切ってしまったのだと思う。きっと、レンズの向こうにはわたしのすきな風景が広がっていた。

「あー、真っ暗で全然写ってないや」と少しガッカリしたけれどこれで良かったのかも、と思う。



なんだか自分の心の内を知ることができたような気がしたのだ。


写したかったもの。写らなかったもの。

綺麗に写らなかったことを惜しむくらいにすきな景色だったんだ。


これが「写真は人の心を映す鏡」と言われる理由か、と納得させられた。


いつもわたしが一眼で写真撮るときは、夜の街並みや都会の風景、人混みや車が沢山走る大通りを写していることが多い。「あ、また撮ってる」と気付いた時には、もうシャッターを切っている。

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都会の街並みや人混みを見ると、ワクワクする。

止めどなく走る車や電車。急ぎ足でヒールを鳴らすスーツ姿の女性。手を繋ぎ微笑み合うカップル。仕事帰りだろうか、疲れた顔をして歩く人。これから誰かと会う約束をしているように見える人。

ここには、人の数だけ、それぞれの物語がある。


でも、それとは裏腹に寂しさや孤独を感じる。

この広い街でわたしは生きているんだ、夢を叶えたいんだ、という自分を奮い立たせる気持ちや焦り、不安。いろんな感情が込み上げてくる。

わたしの中にある弱さとか、心の中に潜む闇のようなもの。

それをわたしは目の前に広がるキラキラと光る街に投影しているのだ、きっと。


母の言葉の意味を、少し理解できた気がした。

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