子供のサークル  独り言


6月10日 ·


独り言

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社会として問題としているものをどこまで個人モデルとして捉えるのか。

社会(コミュニティ)の問題として、認識されるのか。

その線引きが難しいといわれている。

私の今ここの感覚

個人的な感覚では、私がどう捉えたいか明確にしておきたい。

1人の個人の問題として捉えたがっているのは、「責任」や「帰属」のニーズが関係していると思っている。

そして、そのニーズがあるために「恥」や「罪悪感」に苛まれる。

私自身の「愛着」や「過去の物語」の何かが作用してそうなっているとも捉えられるが、

実は、個人に起きていることは、社会の一側面の現れのような気がしている。

大きな教育の流れは一貫して私たちに施され、私たちは成長してきてい流。そして社会的な経済成長や文化的な成長も、日本人として皆同じ恩恵をうけているからだ。共にここまで生きてきたのだ。

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子供のサークルに顔を出した時、

挨拶しにくくて、挨拶できなかった自分がいたとしよう。

挨拶しない自分は、社交的ではないとか、親の姿がそのまま子供に影響するとかいろんな面倒なことを思考は考え始めるが、大切なこととして意識したいのは

なぜ、挨拶しにくいのかな?

なんだろうと思う。

逆に、挨拶したけれど 挨拶が帰ってこなかったり 目を合わせることもしてもらえなかった時、

挨拶しない相手に問題があるのか、挨拶してもらえない自分に問題があるのか個人モデルで考え始めるのが思考。

大切なこととして意識したいのは、

なぜ、目を合わせることが難しいのかな?

そこだと思っている。

と同時に、「私」と「あなた」で起きていることが違うことの認識も大切。

「私」は、過去に突然周りの友達が口を聞かない、避けるなどの無視をするいじめの体験があるので、その状況に似たような場面に出会うと身体が反応する。

「あなた」は、無意識に気づかなかっただけかもしれない。もしくは、避けたい何かがあるのかもしれない。それはその人個人の経験からなるものなので行動からは何が起きているかは知りようがない。

一人一人が自分の内側のケアをすることで、社会が豊かになっていくことが想像できる。

ネガティブな感情を言葉にすると、かき消される場面がいくつもある。

私個人としては、ネガティブな感情は歓迎したい。

ネガティブな感情を自分にあるものとして確認することで、その下にある願いや自分が必要としていることに意識が向き、揺らがない自分として前に踏み出すことを可能にする。「真の強さ」を手にできるのだ。

どんな自分でもそこに含まれ、その状態からゆっくり自分の力で願いにつながっていくプロセスを承認してもらうこと。

ネガティブを保護し 内面化、内在化するのとは違う。

ネガティブに同調した後に、本人が何を掴むのかがポイント。それが共感。

子供はネガティブなことを言って、親に近づいてくることが多い。(聞いて欲しいし、その状態を理解してほしい)そうすることで、安定して安心して頑張れるのだ。

その絶好の機会をないものにするのは勿体無い。

子供が言わない、言えないネガティブな感情をわざと言うこともする。

違ったら違うというだろうし…何かの必要が起きると思っている。

子供は、必要なままにそのまま存在する。

子供は挨拶を強要される場面が多い。(私もつい、してしまう)

そこにも、こうなって欲しい大人側の願いが隠れているが 挨拶できないのではなくて、挨拶している姿を目にしたり、学んできていないからしようもないし、する意味やその意味を体験することの経験がない。

子供は 周りの様子を伺って関係性を調整するので、周りが挨拶しないのに自分だけ元気に挨拶するのは「含まれる」ことを大きく脅かすことになる。

それを強制的にやらされるのは、メンタル的な大きなストレッチになるかもしれない。

野球部に入部すると、気持ちよく挨拶するようになるのは野球部に含まれることで、野球部という風土が大切にしていることを理解し、そこに帰属すること、共にあることを意識し、真似し始めるから変化が起きるのだと私は認識している。おそらく、その風土から得られる叡智が大きいのでそれが継承され続けているのだとも理解できる。

関係性を持つことを最初に学ぶのは、養育者との関係から。

養育者の愛着の状態の影響を子供は受けながら、どのように生き延びるか学んでいく。

そして、手にした関係性の癖やパターンは 大人になっても影響し続ける。

養育者は、子供の頃 別な養育者から学び、その養育者もさらに別な養育者との関係からなっている。さぁ、どこでストップさせたらいいのだろう。

今ここですよね。

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私がNVCトレーナーのSarahから学んだこととして私にとって朗報だと思うことでもあり希望は、

自分が手にしてきた愛着は、大人になって変えられるということ。

周りから、そして自分自身から「共感」を受けることで、安定した愛着を再度 育めるということ。

さぁ、今日 私という存在は 人生を豊かにする貢献を私自身の体を使って どうできるのだろう 日々挑戦。

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