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右膝をやってしまった。 経過観察33日目(手術後3日目)

病院の窓から見える景色がこんなビーチだったらどんなに優雅に過ごせるだろう。そんなことを考えるのは野暮である。私が居る場所は千葉のとある高地に位置する病院。当然目の前は民家である。

オーストラリアのビーチはいつでも最高だった記憶がある。
真夏は地獄だが過ごしやすい季節のビーチは散歩するにも遊ぶにも開放感に溢れて、人々は羽目を外しだす。
調子に乗った私は、花火があがるイベントへ繰り出し、車の運転中にUターン禁止場所で違反をしてしまい8万円ほどの罰金を取られたのが今でも忘れられない。オーストラリアとはそういう国なのである。(しかし申請すれば減額される場合もあるし地域にもよる)


気が付けば1カ月書き続けている

右膝をやってから33日経過したが、本当に毎日noteを書いている。金になりもしない文章を書き続けているがそこに価値を見出したいと思ったらまず毎日書けないだろう。毎日書いていて感じるが、文章力も向上していないし相手に気持ちよく読んでもらおうと思いながら執筆していないのでnoteとしての成長が無いのはあたりまえなのである。にも関わらずこうして自己満足noteを毎日のように2000文字弱以上書いているということは「いや、それだけでも才能だよ」と言われたいがために書いているのかもしれない。そんな話があったら仕事にも苦労しないだろう。
もし「とにかく時間さえあればタイピング出来る人、そんな人を探している」というような求人があったら紹介してください。


2000文字×30日 

1カ月に最低でも60000文字は書ける根性はありますので、最大で100000文字くらいは書ける見込みがあります。
数字にしてみるとたいしたことない。これだったらwebライティングやコピーライティングを勉強した方がマシだ。


1日1ミリで良い

膝の状態は確実に良くなっていると、トレーナーから言われているし自分でも感じている。だがその回復と改善のペースは次第に緩やかになり「あんまり変わっていない」と感じるようになり「治っているのかな?」とだんだん不安になってくるものなのである。割と色んな怪我をしてきたのでその辺は把握している。
パテラセッティングに加え、トレーナーの手を借りて膝の曲げ伸ばしの角度を獲得していくことを主としたリハビリをしている。
昨日よりも、本当に若干だが角度を得られた。これは1ミリとかの世界だ。これは100m走の選手が0.01秒縮めたというのと同じくらいの進歩だと思っている。
この1ミリの進歩を獲得するための努力を止めてはいけない。そしてその努力が正しいかを毎日問うことで初めて、塵も積もれば山となる。

目先の結果に捉われすぎないように

私は時たま相方(奥さんのことを相方と呼ぶようにしている)のことをnoteに書く。相方が私の記事を読むこともある。なので今日もここに書く。相方には厳しい文面となるが、いろんな意味で勇気を持って読んで欲しい。

ハッキリいって相方は謙虚であり努力家である。新年度になってから転職したばかりでまだ不安定な生活の中、自分の課題と向き合い毎日のように自分自身と切磋琢磨している姿を私は見てきた。
その中のひとつ、相方は身体が硬い。柔軟性が無いのだ。
10年以上も、同じ企業に勤めあげ営業とオフィスワークに勤しんできたのだ。無理もない。
そしてランニングが好きで、運動することも好きである。
これらのことから我々の夫婦生活において、寝る前のストレッチを導入している。もちろん私のためでもある。それ以上に相方の身体の至る場所に、生活する上での問題点が見つかっている。10年以上の蓄積から凝り固まった身体は確実に悲鳴をあげている。そして相方自身も柔軟性を欲しがっている。
なので寝る前のストレッチを一緒にやるときに私は彼女にかなり厳しい目を向けている。相方は毎夜泣きそうになりながらストレッチをやっているがあたりまえだ。
これまで蓄積された岩が大きく硬すぎる故に、それを少しづつ削っていく作業は大変である。こういう時は人は、もっと先の明るい未来よりも目先の結果を求めすぎる傾向がある。
ストレッチを続ければもちろん柔軟な身体になっていくが、ダイエットと同じで1日やっただけで結果が得られるなら誰だってやれる。そう上手くはいかないのが既にわかっている以上、やはり継続してやるしか道はないのである。なので「柔らかくなりたい」と希望する相方には私は全力で向き合うし、アメだけを与えるわけにはいかない。本人がそれを望んでいる以上はそれを叶えるために導くのが私の役目だと思っている。


それでも良い結果が得らえるとは限らないのが人生

継続することが重要だしそれが習慣になれば勝ちが見えてくると以前にも言ったが、「自分が望む結果を得られない」ことがあることは大前提とするべきだ。もし仮に正しい努力をしてきたとしても、生きている以上、予期せぬトラブルが起きるのが人生。それを受け入れる覚悟と決意が無い人は、トラブルやアクシデントに打ちひしがれ続ける。自分には運が無いのだと失望したりもする。

サッカーに紐づけて申し訳ないが、サッカーというカオスゲームにおいて90分ずっと”感情的”である選手は”時に”ゲームへ参加することすら出来ない。ここで言う感情的というのは、
目先で起きているプレーにいつまでも捉われている。などを指す。
確実にピッチ上で取り残されるのだ。一瞬で状況は変わるようなカオスゲームでは、プレーを継続しなければならない。その意識が習慣化されることで、努力や向上にスピード感が加わってくるのだ。


何かを得たい時に何かを犠牲にするというのは謳い文句だが、それで目的を達成できるほど甘くなかったりもする。それが合ってるかどうかは結果でしかわからないからだ。なので見極める必要がある。見極め力をつけるには、常に考えて選択し続けなければいけない。
それがなにより成長を止めないための行動なんだろう。
今日も自己満足noteを書き終えた。私は成長しているだろうか。


ひとつよしなに。


株式会社美好所属
市川SC所属 27番

みのってぃ。




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