アセンションって何なんだろうね??

それについて頻繁に話題にしている人のページをここ最近ずっと読んでて。
そこではコメント欄には読者さんから次々とコメントが殺到していて、あたしとはずいぶんな違いだな💦




悟りとか(=これは個人的達成)
アセンションとか(=全人類ではないがそれなりに多くの人が達成)
の話をたくさん読んでいるとですね、




いわゆる、
登山ルートは様々あれど
辿り着く山頂は同じ
みたいな話もあるから、
わたしの知っていることを
『誰もが』知る必要があるのかは
ちょっと謎なんですが。




いわゆるひとつの、
『わたしは肉体である』
と思い込んでいる状態から
『わたしはわたしであり』
『肉体はわたしとは別の存在なのだ』
と知る状態へ進むことが
意識の進化であり、
ここを通らずにアセンションすることなんて、果たして有り得るのか、個人的には疑問です。





有り得るとしたら、
『個人として』悟りを開いたら
肉体は自分自身ではなくなる、
それに関する知覚の変化はかならず起こる、
けれども、
『集合として』アセンションするなら
その部分は無知なままでもだいじょうぶ、なのかなぁ??





集団としてアセンションする、
ということに関して、
経過は極めて順調です。
人類の二極化、選別ももぅ済んでいるし、アセンションルートに乗ったほうの人々は、そうでない人々とはどんどん接点が無くなってゆくし、たぶんこのままアセンションまで到達するのでしょう。




え?でもそうなってもまだ肉体を自分自身だと思い込んだままなのかな??





凄腕のチャネラーの方を見つけて、
それで最近は彼女のページを読みまくっていてですね、
あたしも質問内容を思いついたので、
質問したら丁寧な回答を頂けたのだけれど。



うん?
考えてみれば、
わたしの質問内容も
『人間とは肉体である』
という世界観の範囲内から出ていないし




とすると、いただく回答も
当然、その範囲内になってしまいます。



それでいて、
アセンションはもぅ間近なのだから、おそらくは、
アセンションを達成しても、
みんな今までと同じような
人間の形態を保つ見込み。





するとね、
『わたしはわたしであり』 
『肉体はわたしとは別の存在』
というこの知識は、
まだまだオーバースペックで
あまり使い道は無いのかも??!?







♡♡




意識存在としてのわたしが
最終的に肉体を纏った人間になるまで
幾重にも下降のプロセスを辿っており






(オカルト界隈での)俗に言う
メンタル体>アストラル体>エーテル体>肉体
などがそれに当たります。





肉体としての人間の姿は
男女とか長幼とか美醜の差はあれど
まぁだいたい似たり寄ったりで、
だからこそ、でしょうけど、
目立つ部位が他人と異なっていると
それだけで
障害者として差別されたりします。
(※手の指の本数が多いとか少ないとかだけでも差別の対象になるというから、人間の価値観は恐ろしく狭量ですね)




まぁあたしも
『肉体としては』
奇形児であり障害者なんですが。
服を着てれば見えない位置にあるし、
日常生活にとりあえず支障は無いし、
医師に診せるのがそもそも嫌なので
障害者手帳は取っていません。




それはさておきですね、
『肉体として生きている』
人間たちは、ほんの容姿の些細な違いだけで差別したりされたりしてますが





もしも
エーテル体やアストラル体が
『見える』ようになってしまったら?





それはあまりにも異なりすぎていて、
いまの肉体人間たちの世界観は
まちがいなく崩壊しますね!





アストラル体は
おおむね肉体と似た姿をしているので
たぶん問題にはなりません。
というか、
アストラル体を模して
物質肉体が創られたので
似ているのは当然なのですが。




しかし
エーテル体が目に見えるようになったら、あまりに異世界すぎて驚愕することでしょう。




人間の身体を
五体、とか四肢、という形で把握するのは、アストラル体の世界観です。





エーテル体にとっては
人体(肉体)とはエネルギーの回路であり
エネルギーを通すためのパイプであり、エネルギーの筒です。
エーテル体にとってはエネルギーが流れる回路として肉体を見るので、
肉体に宿るエーテル体の姿は、
おおむね蛇とかトカゲのように見えますね。




今年の1月2月くらいに、とにかく眠くて眠くて、休みの日はずっと寝てたんですけど。
(いや今も変わらず寝てますが💦)
アストラル体としての自分の姿(これは鏡に映った姿とほぼ同じです)を知覚する機能がオフになり、代わりにエーテル体としての認識がオンになってですね、蛇の姿の自分をずっと見ていました。




ずっとみているうちに
(※月単位の時間が経過してます)
だんだん擬人化されてきて、
さいごはチョココロネみたいになったんですが。
それでいまでは
擬人化されたチョココロネを眺めては(=思い浮かべては)苦笑いしてますが。





肉体というのは
『容姿を外界に晒すためのもの』
(=これはアストラル体の世界観)
ではなくて
『エネルギーの回路である』
(=エーテル体にとってはそう見えます)
という見方に馴染むと、
やはり、人間の肉体は蛇かトカゲのような姿をしています。





でね、
さらに話は進んでですね。




『わたしは肉体ではなかった』
『わたしがわたしだと思っていたそれは、肉体ではなくアストラル体だった!!』
と気づくとですね、
肉体が、余ります(笑)





あ!っとここで注意事項。
『わたしはアストラル体である』
とする見方も厳密にはまだ正しくなくてですね、アストラル体を手足のごとく扱う本体がわたしだ、くらいに思っていてください。じゃあ本体とは?と言い出すと話が長くなりますが、とりあえずここでは、アストラル体もまた中間的存在なのだと理解してください。





魂が肉体に宿る、
という見方がありますね?
ここでいう魂とはアストラル体のことで、魂と肉体とのあいだにエーテル体がある、という事実を知ることが、かなり重要な知識です。
エーテル体に漢字を当てると『魄』ですね。





つまりね、
なんの知識も無いと、
『わたしとは肉体である』
と思い込んでいて、
でも肉体ってままならないよね?
これって、
自分自身が不完全だからですか?
違います!
肉体はそもそも自分自身ではなく、
『自分自身ではないものを操縦して生きている』ので、どうしたってそこには不自由があるのです。





肉体は魂の乗り物、
という言い方をしますね?
乗り物と聞いて何を思い浮かべます?




大半の人は
自動車だと思います。
もっと大きくくくっても
乗り物とは、メカとかマシーンのようなものだと思っているのでは??




でもね、
それだと大事な部分が抜け落ちます。
乗り物である、というより
乗れるように調教されている動物、
と言ったほうが適切で、
つまり、
肉体とは生き物であり動物です。





肉体は肉体であり、
魂は魂なんですよ??
それなのに魂(=アストラル体)は
『自分は肉体である』と
思い込んでいるわけでしょう??





するとね、
肉体というのは本来は一匹の哺乳動物であるのに、動物としての側面は抑圧され、ひたすらメカかマシーンのように『魂に操縦される』存在に成りさがってしまいます。




しかも、
魂=アストラル体は
肉体というものを
『まるでメカか何かのように』
指示すれば動くのが当然だと思っているわけですからね、
それはそれは容赦なく酷使していますよね?




馬の調教をやったことはありますか?
(じつはあたしも無いですけど💦)
動物を飼い慣らして、手懐けて、
その背に乗せてもらうまでに
どのようなプロセスが必要であるか
想像してみてください。






そうしたプロセスを完全に無視して、
ただ命令だけすれば動くのが当然だと
思い込んでいる。
これが虐待でなくて
何なんでしょう??




多くの人は
(強い表現を用いれば)
『自分の肉体に気づいておらず』
結果的に、
ニンゲンという動物に対して、
完全に無視したままで、なおかつ
かなり過酷な虐待を加えているのが
実情だと言えます。




人間は人間自身に
動物虐待をしている!




だからこそ、
この世には
訳の分からない病気が
たくさんあるのです。




でね、
肉体という動物にとって、
どうしても必要なのは
アストラル体(=魂/肉体を操縦する者)
ではなくて
エーテル体のほうなのですよ。





エーテル体は
個体(固体)としての肉体に、
生命エネルギーを流し込むのが
その役割です。





じゅうぶんなエネルギーが流れ込んできていれば、
動物(=肉体)はしあわせでいられます。
生命エネルギーが不足すると苦しみます。
生命エネルギーが尽きたら死んでしまいます。





いいですか?
つまりね、動物としての肉体の生死を司っているのはエーテル体なのです。
それだけではなく、幸不幸もかなりの部分エーテル体(=生命エネルギーの流れが足りているか)に左右されます。





ひきかえ、
アストラル体(=魂)は、
勝手に肉体に乗り込んできて
好き勝手に操縦しては
不平不満を垂れ流すだけだ!





そんなわけでね、
『わたしとは肉体である!』
と思い込んでいるがゆえに
魂=アストラル体が
肉体に対して好き勝手やっているから
いろいろと問題が起こるわけです。




たとえば、
暴飲暴食→肥満、という現象は
魂=アストラル体が
自分自身の苦しみを
『肉体になすりつける』
ことによって起こります。




『自分とは肉体である』
と思い込んでいる
正体はアストラル体のその人は
ひたすら食べまくったら、
それで終わりです。
一方、
思い込みではない本物の肉体のほうは
というと、その後、消化活動に取り組まなくてはならない。
どれだけ重い負担を強いられているか、
分かりますかね?




しかし、
『自分とは肉体である』
と思い込んでいるかぎりは、
真の意味での肉体それ自身に気づくことは無いし、、、



そうである以上は、
アストラル体としての自分が
地球の動物としての肉体に
『一方的に重い負担を強いている』
ことまでは、
思いが至らないのです。





そんなわけでね、
人間は自分の肉体について、
なにも知らない。





ね!
すくなくとも容姿、外見は把握しているつもりでいるかもしれませんが。
それだって、ほんとうのほんとうは、アストラル体(=魂)が、肉体を見て、これが私の姿だ!と思い込んでいるだけの話ですよ??





肉体それ自身からすると、
肉眼というのは外界を観察するためのものであって、
そうして、
外界というのは
肉体の外にある世界のことですから
肉体それ自身とは、
何の関係もありません。





意味わかりますか?
肉体それ自身にとって肉体とは
『皮膚よりも内側にあるもの』
であって、
一般的に容姿とか外見として知られるそれは、肉体それ自身から見れば、パッケージ/包装紙にできた模様にすぎません。





顔つきや身体つきを見て、
それがその人自身だと考えるのは
肉体こそ私であると思い込んだ魂=アストラル体の世界観であり、
肉体それ自身は、
内外が反転した世界に住んでいます。




つまりね、
五臓六腑や呼吸器系や消化器系が
肉体それ自身にとってのリアルであり
わたしの観察したところによれば、
中枢の柱としてまず背骨が存在しており
そこに巻き付くように五臓六腑や呼吸器系や消化器系がくっついているイメージです。





そんな世界観のなかでは、
皮膚というのは最外郭にある
境界線でありゴミ捨て場であるので。




よもや、
皮膚の模様や凹凸によって彩られた
身体つきや顔つきに価値を見出すセンスは、肉体それ自身には存在しません。




そんなわけなので、
肉体それ自身が把握している世界観を
擬人化して提示すると、
それはそれは奇妙なバケモノの姿になってしまいます。
それがどのようなものであるか、
想像できますか??






♡♡





あたし自身は、
こんな世界に住んでいるので。
いまさら、
宇宙人を見ようと、
バケモノを見ようと、
驚くことは何も無い。



けど、
アセンションしたくらいでは、
みんなはここまで追いついては来れないんだね?
宇宙人が顔を見せたら、
ショックでパニックになるとか、
言ってるもんね!!




アセンションったって、
そんな程度なのか、
ちょっと残念💦💦💦




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