見出し画像

コメント欄での自己主張に思うこと


わたしはSNSのコメント欄を見るのが好き。


noteでは、いいなあと思った記事を読み終わった流れで、コメント欄へいくことがよくある。
自分がコメントを残すこともあるし、
他の人のコメントを見て
この人はそう受け取ったんだなあ。
そういう考えもあるんだなあ。
などと思うこともある。
記事ひとつとっても、受け取り方や感想って
人それぞれでおもしろい。



基本的にnoteでは、誹謗中傷コメントはあまり見かけないし、やり取りのほとんどが暖かいものなので、見ていてほっこりさせてもらうことも多い。


だけど…
これだけ多くの人がやっていると、中には
これってどうなの…?
と思うコメントも目についてしまうことがある。


それは
やたらと自分の意見を押し付けていたり
やたらと言い方が強かったり
なぜか決めつけていたり
なぜか教えてあげてる感強めだったり
なぜか上から目線だったりして、
人のことだとしても
そういったコメントを見かけると、
わたしはもやもやしてしまう。

投稿者の方が好きなnoterさんだと
なおさら心が痛くなる。

どれも誹謗中傷とまではいかないレベルのもの。
だけど投稿者を困らせるようなもの。


そんなコメントに対しても投稿者は
きっとこの人に悪気はないんだから。
わたしのことを想って言ってくれたんだから。
そもそも記事を最後まで読んでくれたんだから。


そう思うから
ちょっと違和感を感じつつも
基本的に「ありがとう」という気持ちを持って、返信する人が多いのではないか。
というか、わたしがそうなのだ。



だけど反応に困るコメントに対して
投稿者がお礼を言い続けていると、
何を言ってもいいと思ってしまうのだろうか。
距離感がおかしくなって
意見の押し付けが、自己主張が、
止まらなくなってしまう人も、いる。


「こうするべき」
「こうしてください」
「わたしの場合は〜」

…。



やたらと激しい自己主張に
どうしてここまで言い切れるのだろうと圧倒されてしまう。


基本的にSNSというのはその人の一部分であり
すべてではない。
精神障害、婚活、夫婦関係、育児、妊娠、不妊治療…
共感できるそれらのワードは
自分と同じように見えても、それぞれに抱える事情はきっと違う。


それなのに一部分しか知らない人が、
こうするべき。
わたしはこうしてる。
こうした方がいいと思います。
などと口をだすことって、
相手への配慮や思いやりに欠けていると
わたしは思う。
失礼なことだとも思う。




そんな言い方しなくても…
と思ってしまうし
そんなに教えたいなら
そんなに意見を言いたいなら
自分の記事に書いたらいいのに…
とも思うけれど
コメント欄でここぞとばかりに自己主張を繰り広げる人たち。

そういった方のコメントを目にするたび
なんだか勝手に届くメルマガに近いものを感じるようになってきた。


『この商品がおすすめ!』
『ただいまSALE中!!』


おすすめを聞いたわけでもないのに、
それらはそっちの都合で、勝手に届く。
その勝手に対して投稿者が
『教えてくださりありがとうございます。』
っていうのも、なんだか変な話である。


もう、投稿者は何でもかんでも
『ありがとう』と言わなくていいんじゃないかと思ってしまう。
いただいたコメントに対して、違うと思うことがあってもいいんじゃないか。



やさしいnoteの世界でこんな風に思いたくなかった。
ありがとうと思い続けていたかった。
けれど「ありがとう」は本当に「ありがとう」と思ったときに伝えたい。
自分の言葉にも、気持ちにも、
素直でいたいと思った。


コメント欄で、どこまで自己主張をするかって難しい。
わたしも共感できる記事があると
つい、わたしも!わたしもそうなんです!
って経験談を語りたくなるし
こうした方がいいんじゃない?と思って
自分の意見を書きたくなることもある。


だけどそのたびに
このコメントは投稿者の負担にならないだろうか、とも考える。
誰も求めてないのに一人でぐるぐる考えては
コメントを修正してみたり、
やっぱりコメントするのをやめてみたり、
時間が経ってからやっぱりコメントしてみたり、することがある。
(こう書くと、空回りがすごい)

なにが正解かなんてわからないけれど
せめて、投稿者との距離感は間違えないようにしたいと思う。
基本的にはわたしは投稿者の一部分しか知らないし、知ってることなんてほとんどない。
「mimiの意見を聞かせてほしい」と言われたわけでもない。
その記事にコメントするのは
わたしがコメントしたいから。それだけだ。



そう思ってる上でコメントするのと
そうでないのとでは
文面も、にじみ出る相手への尊重も、配慮も、
思いやりも、まったく違ってくるのではないだろうか。


恐らくわたしが違和感を覚えるコメントは
そういった相手を尊重する気持ちや思いやりに欠けているからだ。

わたしはこうしてます!
わたしならこうします。
わたしの場合は〜
わたしは、わたしは………
溢れる、わたしの意見を聞いて!という圧。

違うんだよ。
コメント欄は思う存分に自己主張する場所ではないんだよ。
受け取った相手の気持ちも考えようよ…
そう思ってしまう。



とはいえこれまでわたしのコメントで
誰かに不快な思いをさせてしまったこともあるかもしれないし
お前が言うなって話なのかもしれない。
(そう思った方はごめんなさい。)
だからこれは誰というわけではなく、自分に向けての記事でもある。
わたしも、気をつけたい。


やさしいnoteの世界で、
いつまでもやさしいコメントが溢れるといい。
コメント欄が暖かい交流の場所であるといい。
なるべくはやさしい人がやさしい気持ちのまま
noteを続けられることを願っている。





noteのコメントについて、親愛なるちびろさんがとても素敵な記事を書かれていたので紹介させてください。
ぜひ読んでいただきたいです。
共感の嵐でした。
ちびろさんの記事で紹介されているトミーさんの記事も素晴らしいです。
素敵な記事から素敵な記事へ…
すっかりnote沼のわたしです。






いいなと思ったら応援しよう!