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本人が結論出すのを待ってあげて/noteのコメント欄について

今日もnoteはやさしい世界。
攻撃しない、否定しない、スキが溢れる世界。

でも、noteを読んでいて時々、気になることがあります。

と思っていたら、親愛なるトミーさんが素晴らしい記事を上げてくださいました。

そうなの。

わたしもnoteを読んで感銘を受けたらコメント欄を覗きに行きます。
大抵「なるほど、この人はそう読んだのか」と思って、コメントした方のnoteも見に行ったりしてちょいちょい無限ループに嵌りそうになります。

あぶない。

でも時々わたしも、トミーさんの仰る『悪い人ではないんだけどねぇ。』というコメントを見かけることがあって、非常に共感したのです。

トミーさんが既に記事にまとめてくれたのだから、最早わたしが書かなくてもいいかな、とも思いました。

思いましたが、せっかく途中まで書いていたことだし、わたしが思う『悪い人ではないんだけどねぇ。』というコメントについて、わたしも記事をアップしてみんとてするなり。

***

悩みながら迷いながら、ああでもない、こうでもない、と何千字もかけて綴っても尚、未だ結論が出ていないらしい記事に対して

「嫌ならやめればいいのでは?」
「つまり○○ってことですよね」
「わたしならこうします!」

とかの、一言だけのコメントが付いているのを見かける度、わたしはモヤモヤするのです。

そんな、ご無体な。

インターネットで配信しているわけですから、多くの人の目に触れる(かもしれない)のは承知の上で綴る必要があることは理解しています。

だから、いろんな意見があっていい。
もちろん、反対意見があったっていい。

でも、本人が懸命に思い悩んでいることを簡単に一言で結論づけて、一刀両断に斬り捨てるようなこと、わざわざしなくたっていいじゃないの、とも思うのです。

たとえばわたしのnoteに書いてあることだって、美容院にするかカット専門店にするかなんか、どうだっていい。
味噌汁がしみじみ美味しいなんて、もうホント、どうでもいい。

結論じゃない、過程なんです。
そこに辿り着くまでの道のりについて書くのがnoteの醍醐味だと思うのです。
(※個人の感想です)

だから、執筆者より先に結論を出さないであげてほしい。
右往左往する自由を尊重してあげて。

ビジネスの場でもないのに
結論から言ってくれる?って言う人とか
論破しようとする人とか
映画やドラマを早送りで観る人とか
すぐ正解を検索しちゃう人とか
「結局」「要は」が口癖の人とか

同じ感じかもしれません。

結論で言ってしまったら、人間は生まれたときから死に向かっていて、死からは何人たりとも逃れられないんだから「結局いつかは死ぬんだからどうでもよくない?」ってことにならないか。

違うじゃないか。

いつか死ぬとしても
それまでの過程
生き様が大事なんじゃないか!
(珍しく熱くなってます)

noteの使い方も捉え方も人それぞれなのは重々承知しつつも、たまに「何故この記事にこのコメントを…?」と首を捻ってしまうことが時々、あるのです。

そう思って心が冷たくなったときは「わたしは共感しましたよ、迷いますよね、分かります」というようなコメントを残す…ときもありますが、これはこれで記事を書いた人からは余計なお世話かもしれませんね。

たぶん、一言コメントを残す人は「結論を出してスッキリさせてあげよう」と思っている。
わたしは、「結論が出るまで本人の答えを待ったほうがいい」と思っている。

どちらも「よかれ」と思っている。

とかく人の世は、ままならないものですね。

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