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なぜ適応障害と診断されるまで編集者を続けたか


編集者二年目にして適応障害と診断された。
原因は長時間労働によるもの。

一年目から激務だったし、入社して半年ほどで早々に心身はおかしくなっていた。

それでも頑張り続け、深夜23〜1時の毎晩遅く帰るわたしに夫は言った。
「そんなに頑張るのがわからない。
自分ならすぐに辞める。」と。

それでも夫の言葉も、自分の心身が発するSOSも無視して頑張り続けた結果、適応障害と診断され働けなくなった。
あんな働き方をしていたら、そりゃそうなるよなあ。と自分でも思うし
医師から診断名を告げられたときも大して驚きはなかった。
わたしが適応障害になったのは、突然ではなく必然だったと思う。


それならどうしてそうなる前に辞めなかったのだろう。
頑張り続けてしまったのだろう。



わたしの場合、パワハラを受けていたわけではない。
自分さえ辞めようと思えば、引き止められはするだろうけど振り切って辞めることはできたはず。



となると頑張り続けた理由はひとつ。
わたしが頑張りたかったからだ。



残業がいやだ、休日出勤がいやだ、こんな生活はいやだ。
そう言いつつ結局はこの仕事を、この生活を、自分で選んでいた。

どうしてそこまで頑張りたいのか。
ということに対し、以前は「仕事が楽しいから」と書いた。
嘘偽りのない本心ではあるけど
もっと心の奥底をのぞくとそれ以上のものが大きく3つあると思った。
恥を忍んで、ここに告白したい。


①編集者であるということに自分のアイデンティティを感じていた。

こんなことを書くのはすごく恥ずかしいけど、これは結構あったと思う。
【編集者の自分】が好きだったし(ああ…恥ずかしい!)、そうでありたかった。
だって編集者というその仕事にずっと憧れていたから。

もっと恥ずかしいことを書くと
わたしの好きな映画は【プラダを着た悪魔】と【舟を編む】で、どちらも編集者の話だ。
だから何だというと本当にそうなんだけど
とにかく憧れていたんです、編集者に。

プラダを着た悪魔でアンハサウェイ演じるファッション誌の編集者・アンディは、バリキャリになるにつれどんどん美しくなっていく様があまりにも素敵だし
舟を編むで松田龍平演じる辞書編集部の編集者・馬締さんは、愚直に言葉を研究し、追い求める姿が最高にダサくてかっこいいので
ぜひ観てください。ん?なんの話だっけ。




②自己有用感を満たしたかった。

以前のわたしは長く旅行系のサービス業に就いていた。
その後コロナ禍によって旅行の仕事ができなくなり、派遣の事務やコールセンターで凌いでいたけど
学歴も経歴も経験も必要ないその仕事は
ハッキリ言って派遣に登録さえしてしまえば誰にでもできてしまう仕事だった。

派遣の仕事ってゴールではなく通過点にしてる人が多くて、何か夢があったり、掛け持ちしていたり【ここではない別の世界を持ってる人たち】が多く働いていた。
もちろん派遣の仕事自体が天職で、コールセンター歴何十年というその道の大ベテランも中にはいたし、
やり甲斐を持って働かれている方も多くいて
だから派遣の職場には、前職もやってることも様々なおもしろい人が多くてすごく刺激も受けた。(夫と出会ったのも派遣の職場)

だけどそんななかでわたしは、派遣の仕事を天職にできるほどの才能は持ち合わせていなかったし、何がしたいのかも定まらないまま、
誰にでもできるような仕事ぶりで淡々と食いつなぐ日々で、恐らく明日わたしが急に辞めても誰も困らず、仕事がなくなって困るのは自分だけ。

そんな何もできない自分が嫌だったし、誰からも必要とされてない自分は虚しかったし、
派遣の仕事はやればやるほど、どんどん自分に自信がなくなった。
だからもっと人から必要とされて、自分が自分であることに誇りが持てる仕事がしたいと思った。

そうして手に職をつけたい、やっぱりずっと好きだった美術やデザイン系の道に行きたいと思って制作業界を目指したわけだけど、
その後広告制作会社の編集者になり、結果自己有用感は満たされた。

編集者になった自分がチームや会社の人、お客様から必要とされているのはうれしかったし、
誰にでもできるわけではない編集者という仕事にも、編集者である自分にも自信が持てた。
ああ自分は人の役に立ってるんだなあと日々思えることは、この仕事を続ける意味になった。



③編集者としてキャリアを積みたい。

これもかなりある。
②の通り、基本的にサービス業と派遣の事務やコールセンターの経験しかないわたしにできる仕事というのはかなり限られる。
自分の選べる職の少なさ、できることの少なさは②でも書いた通り、自分の自信がなくなってしまうくらい苦しかった。

そんななか未経験で掴んだ編集者という仕事は、今後わたしのキャリアで大きな武器になると思ったし、実際武器にしようと頑張った。

だからどんなにキツくても、しんどくても
一年ちょっとじゃ辞められない。
せめて三年は…そう思って続けていた。


結局は長時間労働に身体が耐えきれなくて
適応障害と診断されていまに至るけど
いまもやっぱりわたしは仕事にこの3つを求めてる。

①アイデンティティになる仕事
②自己有用感を満たせる仕事
③キャリア


編集者を頑張るわたしに何人かの友人はこう言った。
「仕事なんて、たかが仕事だよ」

そうだよね…
その考え方もすごくわかる。そうだとも思う。
大体の仕事にはわたしじゃなくても代わりなんていくらでもいて、だから仕事なんかで心や身体を壊すなんて馬鹿みたい。
って、うん、わかる。そう思う。

だけど。それでも。
これまで誰にでもできる好きでもない仕事をして、その仕事はたしかにラクだったけど
わたしにはそっちの方が苦しかった。
毎日、自分は何のために働いてるんだろう。
生きるため?ならどうして生きてるんだろう。
誰かに必要とされてるんだろうか…

独身で一人暮らし、実家の家族とも疎遠のわたしは、そう考えては苦しくなった。


いまは夫がいるから、もしかしたらそこまでは思わないのかもしれない。

だけど家族がいようといまいと、生きていく上で仕事というのはずっと自分の人生に付きまとう。


仕事に生きる。とか
仕事が人生。とは思わない。

だけど仕事は人生の一部、とは思う。
なんなら一部どころか大部分を占めるし、人生でかなりの時間を費やす。
なんの仕事をしてるか?は、自分を形成する大きな要素ではないか。

それならわたしは好きなことを仕事にしたい。
やっててよかったと思える、人生の財産になる仕事がしたい。
そしてその仕事で必要とされて、自分に自信を持ちたい。
自分の好きな自分でいたい。


こう思うわたし自身が自分を適応障害にまで追い込んだので
今後同じ働き方は繰り返したくないけど、
自分の仕事に誇りを持ちたいという
この気持ちは捨てたくないと思う。

だってプラダを着た悪魔のアンディみたいにキラキラ働きたいし、
舟を編むの馬締さんのように、ダサくかっこよく仕事に向き合って、天職というのを見つけてみたいから。


ちなみに、編集者の仕事は休職ではなく退職することになった。

「休職は復帰することが大前提で許可するけど、復帰後も長時間残業を変えることはできない。
それでも復帰できるか。」
と言われ断ったからだ。

いま休職して体調が良くなっても、復帰してこの働き方をしていたらまた壊れてしまう。
同じことの繰り返しになることが目に見えたので、ここにいる時間がもったいないと思った。

復帰する気がないとなると当然休職も許可されないので、そのまま退職する流れになった。
それでいい。
もう見切りをつけて進むことにした。




32歳、無職。
この先のことなんて何にも決まっていなくて
お先真っ暗すぎるわたしの未来。
なのにどうしてだろう。
なぜか気持ちは清々しくて、何でもない日常も、空も、前よりもキラキラして見える。



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