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脅威との邂逅

 夜の帳に包まれて眠る皆を眺めるのは、火の番を務めるノイ。我こそが番をと意気込んでいたピーシャルはそうそうに眠りにつき、懸命に眠気と戦っていたレガもまた、襲い来る睡魔に体を預けていた。
 パチパチとつつましく鳴る音、控えめに揺らめく酸素の燃焼。ノイの体に傷を刻んだ炎とは、似ても似つかぬ穏やかさ。
「お頭、まだ起きてるんですかい?」
 転がしていた体を起こしてきたブリンゴが、あたりの岩に腰かける。そんな彼の古い火傷を見たノイは、下唇を噛むことで涙をこらえているようだった。
「火なんて俺が見とくんで、休んでくださいよ」
「ああ」
「そういえば今日の火事、俺がお頭に出会った時のことを思い出しましたよ。あのときもお頭が来てくれたから俺は助かったんです」
 自らの傷の後をさすりながらそう話すブリンゴに対し、ノイはというと相槌を打つのみで、ほとんど独り言のように聞こえる会話が進行していく。
「身寄りがみんないなくなって、森の中に隠れるようにしながら生きてた。そこにヤマ火事でしょ? ほんと参りましたよ」
「ああ」
「突然のことに戸惑ってた俺にとって、あんたの声と姿がどれほど救いだったか」
「……なあ、ブリンゴ。ロルトらは、もう。いないんだよな?」
 ぽつりぽつりと言葉を置いていくノイの言葉が、ブリンゴにはまるで聞こえていないかのようだった。
「それだけじゃなく、あんたは俺に生きる目的をくれた。ただ命を続けるためだけに惨めに蠢いてた俺の世界を広げてくれたのはあんただ」
「世界が続いていることを教えなかったら」
「きっとロルトたちも気持ちは同じです。事情は色々あれど、みんなあんたの話に魅せられた」
 夜露のような涙がノイの瞳から零れだす。その一粒一粒に、朗らかに笑う仲間たちの顔を浮かべながら。
「私が変なことを唆さなければ、今も生きていたはずだよな」
 声を押し殺して零れる涙を、ブリンゴは視界から必死に追い出す。そうして見上げた空では、鈍く光る星々が自らの存在を精一杯示していた。
「確かに生きていた、かもしれない」
 二人の間を風が強く吹きぬける。乱暴に吹いたまとまりのない風が、瞬間、ゆらりとしていた火を激しく燃え盛らせた。
「でも! それはきっと死んでいましたよ。だから、死んで良かった!」
 燃え上がった火に照らされたブリンゴは、ぐしゃぐしゃに涙を流していた。傷の後遺症で涙の出なくなった左目の分まで、右目から大量の雫をこぼしながらも、無理やり笑顔を作ってみせていた。
「ははっ。ブリンゴ、あんた何言ってんだよ」
 元々整っているとは言い難いブリンゴの顔が、さらに歪んでいることに対してか、支離滅裂な彼の発言に対してか、とにかくノイが笑った。
 笑い声に応じるように風が舞う。しばらくの間、二人に纏わりつくように吹くと、一気に気流をつくり天に向かって昇っていった。
「ええ。あなたたちも元気でね」
 昇りゆく気流に向けて、ノイがはなむけの言葉を贈る。
「お頭、何言ってるんですかい?」
「うるさいよ。……ねえブリンゴ、あいつらのことをもっと話さない?」
「そりゃあいいですねえ」
 長かった夜が明けるまで、ノイとブリンゴは皆を供養するように語り続けた。そんな二人の会話を、フィデルの傍に寝転がって聞いていたレガは、一人涙を流し切った。

「塵が全く降らない空なんて久しぶりだな。まさに旅日和ってやつじゃん!」
 目覚めの良さには定評のあるピーシャルの声が、朝のひんやりとした空気を震わせる。
「ピーシャル。朝からうるせえよ」
 昨晩に続き、ピーシャルと共にエルネスに跨るブリンゴ。一時的に弱体化していた聴力に問題はなさそうなものの、普段なら拮抗を見せる言い争いには、今日ばかりはピーシャルに軍配が上がる。
「なんだなんだブリンゴ! 元気が無いじゃねえか。そんなんじゃヤマにたどり着けないぞ!」
「はあ。おいレガ、お前からもなんか言ってくれよ」
「ブリンゴ、だらしないぞ。シャキッとしろよ」
「お前まで!」
 太陽がさんさんと照る草原、そこに響く笑い声。帰り道の無い旅を続ける一行には、まったくもって似つかわしくない。皆が笑いあう様子を眺めて微笑むノイだけが、辛うじて環境に適応している。
「あんたら、ふざけてたらほんとにたどり着かないよ。私らが街を出たことはいずれ知られる。その前にどこかへ身を寄せないと」
 そうは言ったものの、街を出た安心感や心の疲弊によって、ノイ自身、どこか気が緩んでいた。そんな心の間隙を突くように聞こえてきたのは女性の悲鳴。牧歌的な五線譜を無視して横切った金切り声に、四人の意識が集中した。
「今の声!」
「おっ、おい」
 いち早く動き出したのはピーシャル。エルネスの手綱を巧みに操り、声のした方へと駆けださせる。不意なことにエルネスから落下しそうになったブリンゴは、ピーシャルの腰にしがみつくことでなんとか落馬を免れた。
「P・P!」
「レガ、私らも行こう」
 ノイが声をかけるよりも早く、レガはフィデルに伝えていた。先行していたエルネスとの距離が、みるみるうちに縮まっていく。
「ピーシャル! 知ってる声?」
 エルネスに追い付き並走するフィデルから、ノイの声が飛んでくる。ピーシャルは目線を正面に向けたまま、器用に首を横に振った。
「いや知らねえ! けど、女性は助けねえと!」
 さらに加速したエルネスがたどり着いたそこには、流血して横たわる男性に群がる二足歩行の獣たちと、怯えて身動きの取れなくなった背中に大きな荷物を背負った少女。
 全身が荒い毛に覆われた獣らはオノノキ。街にも森の深いところに生息しているといわれているが、街ではオノノキに人が襲われることがめったにない。
 オノノキの群れにはわずかながら指揮系統が存在しているようで、特徴的な猫背で少女をじりじりと追い詰めるものたちと、息も絶え絶えな男性が逃げないよう、じっと見守るものたちとに分かれている。その総数はおよそ十。
「いたぞ! 襲われてる!」
 ピーシャルの声に反応したオノノキたちが、がらんどうのような瞳を彼に向け、低いうなり声をあげる。それに構うことなくエルネスの足を進めたピーシャルは、その体躯を少女とオノノキの密集地との間に滑り込ませた。
「きゃっ」
 背後から突然現れたエルネスに、少女が短く声を上げる。体をきつく曲げた姿勢のオノノキと少女が、エルネスに跨ったピーシャルを同時に見上げた。
「大丈夫か? さあ、後ろに乗りなよ」
 颯爽と振り向き声をかけるピーシャル。そんな彼が振り向いた先には、顔を蒼白に染めたブリンゴが、恨めしそうな眼付きで座っていた。
「お前、完全に俺のこと忘れてただろ。あー、気持ち悪い」
 速度を最重要視したエルネスの走行のつけは、後部に跨るブリンゴに回っていた。
「あ、悪い」
 嘔吐をこらえるように口元を抑えるブリンゴと、それを見てすまなそうな顔をするピーシャル。自分たちよりも体の大きいエルネスを警戒するオノノキたちと、いったい何が起きたのかと戸惑う少女。お互いに命の危機を感じあう緊張感も相まって、凍り付いたような時間が瞬間流れる。
「P・P! 何やってるんだ!」
 遅れて駆け付けたレガの声でいち早く我に返ったのは、名を指されたピーシャル。ブリンゴに素早く指示を出すと、エルネスから飛び降りた。
「乗ってくれ! とにかくここから離れよう!」
 ピーシャルの言葉に体を動かした少女は、戸惑いながらも体の硬直を解いた。馬上からはブリンゴが手を差し出している。
「グヲン!」
 獲物が逃げることを察したリーダーらしきオノノキが吠える。その声は横たわる男性を物色していたものらにも伝わり、辺りのものらが一斉に毛を逆立てる。
「うおっ、やべえ」
「ブリンゴ! こっち!」
 ピーシャルたちに向けられた集中を逆手に取り、ノイの指示の元、フィデルが取り囲む陣形かき回している。背後から踏みつけては速やかに方向転換するフィデルに対し、ほとんど反応できずに散り散りになり始めていた。
「行くぞ、しっかりつかまっててくれよ」
 少女を自らの後ろに乗せたブリンゴが、乱れた陣形の隙間を縫うようにエルネスを駆けださせる。
「あの!」
 少女の声が、走り出しかけたエルネスの足を止めさせる。
「ん、どうした?」
 声を上げた少女の視線の先は、地面に横たわる男性。その周りには相変わらずオノノキが徘徊しており、時折獲物を吟味するように鋭い爪でひっかき傷を作っている。
「……すまん。君だけで精一杯だ」
 少女の顔を見ないようにしながら、言葉少なにそう説明してはエルネスを再び走り出させるブリンゴ。自らの足で駆けるピーシャルもその後を追う。

「レガ、次はあっち! うまく死角に入るようにね」
 包囲からの脱出を試みる三人を補助するため、引き続き指示を出すノイ。その声を受け取ったレガがフィデルを巧みに操り、オノノキを近づかせないようサポートする。
「ノイさん! あいつら何⁉」
「あれがオノノキよ。いつか話したことがあるでしょう?」
「あっ! エルネスが抜けた!」
 うまく包囲を抜け出したブリンゴたち、そのまま追い付かれない程度に距離をとる。
「おーい! 助けてくれ!」
 一人残されたのはピーシャル。タカダガほどではないものの、獣の姿にふさわしく俊敏なオノノキ。フィデルにより混乱が生まれているものの、到底人の足で逃げ切れる相手ではない。
「P・P! ノイさんP・Pが残されたよ!」
 懸命にフィデルを操っているレガの視界の端では、喜びを表すように爪を研ぐオノノキたちの姿が映っていた。足をするようにして距離を詰め、飛び掛かるタイミングを見計らっている。
「ん? ああ、ピーシャルはいいの」
「何言ってるんだよ! 早く助けに……」
 レガがフィデルの進行方向を変えようとした瞬間、オノノキらがピーシャル目掛け一斉に走り出した。
「うへえ! 来やがった、どっちに……」
 どちらへ逃げ出そうかと考えたのちに、どこへも逃げ場がないことに気づいたピーシャル。ならばいっそ迎え入れようではないかと、その場に胡坐をかいて座り込んだ。
「さあ! 来るならこい! 最後に人助けができて悪くなかった!」
 目を瞑り、自らの命の終わりを覚悟をするピーシャル。その口元には微笑みが浮かんでいる。
「P・P!」
 レガが叫んだのとほとんど同時。十分に加速していたはずのオノノキらが急ブレーキをかけ、一斉に動きを止めた。腕で自らの鼻を擦り、首を上下左右に振っているものもいる。
 急に速度を落とすため足で削られた地面が土ぼこりを起こし、静まり返った周囲と肌に触れる土ぼこりの違和感にピーシャルが瞼を開けると、そこには線を引いたように半円に並ぶ獣たちの姿があった。
「なんだこりゃ?」
「え? P・P。無事なの?」
 友の最後を見届るため見開いていたレガの目には、予想外の光景が広がる。同じくその様子を見ていた少女が自らの背後で小さく笑ったことには、ブリンゴは微塵も気が付いていない。
 一部のオノノキが背中を向けて逃げ出すと、それに合わせて号令のような叫びが響いた。しかしながらいまいち統率をとることができず、グヲンだのガルンだのと、口々にうなりや叫びの声を出す。
「ピーシャル! 今のうちにこっちにおいで!」
 獣の低い声が蔓延する中、ノイの声が高らかに響いた。いつの間にかブリンゴらを乗せたエルネスも、フィデルに寄り添うように立っている。
「お、おう!」
 固まっていた自らの体を鼓舞したピーシャルは、いちばん首を激しく振っていたものの横を通り抜け、そのまま一目散に皆の元へと駆け抜けた。ちらちらと確認した背後には、遠巻きに眺めるオノノキの群れが見えたが、再び襲ってくるような様子は見せていない。
「もう大丈夫だ! ここから離れるよ!」
 ノイの号令に二頭のタカダガが足並みを揃えて歩き出す。その背中を見送る獣たちの群れ、その瞳には恐れのような、蔑みのような鈍い光が宿っていた。

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