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因果の咆哮

 おぼろげな視界に映るのは、数秒前まで家を名乗っていたはずの瓦礫の山。轟音にさらされた聴覚は、その機能を取り戻そうと躍起になっている。
「おい、おいおい。なんだよこれ」
 雄々しく叫び狂った爆風は、ブリンゴの体を辺りの木々まで吹き飛ばしていた。
 そのまま太い幹に叩きつけられると、深い緑の葉が不規則なリズムで宙を舞い、葉と塵と木片とに包まれた中からブリンゴが這い出てくる。
 瞬きの間、意識が遥かを彷徨っていたブリンゴ、その数秒は彼からたくさんのものを奪っていた。
「おい! ロルト! リフォング! ツチーリ!」
 祈るように名前を呼ぶ声には、言葉が返ってくることは無い。そこここで広がる炎が照らすのは、折り重なった瓦礫の中から伸びる腕や彼を見つめる左右どちらかの瞳。天然の照明に彩られた肉片が、ひたすらに無情を突きつけていた。
「嘘だろ? なんだよこれ。どうなってるんだよ!」
 目の前に広がる光景をまやかしだと願う心は、強引に纏わりつく匂いに否定される。受容しきれない情報量で雁字搦めになった彼の足を動かしたのは、赤々とした揺らめきの中を這う、ひと際大きな人影だった。
「ロ、ロルトか? おい、ロルト!」
 輪郭のぶれた図体で、肘を地面に擦りつけながら前へ進むロルト。ブリンゴの耳に届くことの無い、今にも途切れそうな呼吸音が、彼の命を必死に繋いでいる。
「すぐ助けるからな!」
 懸命にもがく友の姿に、ブリンゴの足は考えるまでも無く前へと彼の体を運んでいた。荒れ狂う熱風などものともせず、「間に合ってくれ」とただその一心で駆け出す。
「こっちだ! 生きろ!」
 地を這うロルトもその声を頼りに身体を引きずる、炎の中から頭が出たロルトの腕がブリンゴに向かって伸びた。
「ロルト!」
 力なく広がった手の平が大声で叫ぶ。その声はブリンゴの足を加速させ、かろうじて伸びる腕を掴みかけたその時。ロルトの丸太のような太い腕を、鋭い刺突が貫いた。
「えっ?」
 貫かれた腕から垂れる血液は、ロルトのでこぼこになった皮膚を降ってゆく。反射的に一度大きく見開かれた眼は、諦めを悟るようにゆっくりとその幕を降ろしていった。
「なんだ、全員死んでくれて無いのか」
 ロルトの腕が接地していくのを、ただ茫然と眺めていたブリンゴ。彼の前に現れたのは、辺りで轟々と燃え盛る炎に負けず劣らずの赤い長髪を携えた、ひきつった笑顔の張り付いた男。
 小柄なブリンゴと比べわずかばかり高い背丈、そこに馴染む声はどこか若々しく、そのことが男の不気味さを助長する。
 一心不乱に仲間の元へ向かおうとすることで、狭小になったブリンゴの視野。それを知ってか知らずか、森の奥から堂々と歩みを進め、ロルトの腕に墓標を立てた。
「なんだよお前! ロルトから離れろ!」
 刹那の沈黙に押さえつけられたように、ブリンゴの言葉が弾性を持って男に飛ぶ。
 地に伏せるロルトが動かなくなったことを見届けた男は、不自然なほどに口角が上がった表情を崩すことの無いまま、ゆっくりとブリンゴの方へ向き直った。
「やあ。君はブリンゴだね。なんで生きてるんだい? どこか行ってたのか?」
 ロルトだったものから力任せに引き抜いたのは、至る所に刃こぼれのある剣のような長物。住民同士が傷つけあうことを防ぐため、街では戦争時のみ武器が配られ、戦争が終わると再び回収される。
 普段からそんなものを持ち歩くことができるのは、ノイ達のようなはぐれ者くらいのものだった。
「なんで俺を知ってる! 誰だお前!」
「実際に握ったのは初めてだなあ。思っていたよりもすっと肉を通り抜けるもんだ。父さんは誰かを切ったことあったのかなあ」
 ゆったりとした口調に隠れきれない憎悪が、隅々から溢れ出る。ブリンゴの言葉に微塵も耳を傾けぬまま、一歩、また一歩とその距離を詰めていく。
「爆発もお前の仕業か。ふざけるなよ、何してくれてんだよ」
「レガ・ビークはどこだ?」
「は?」
「お前たちと一緒にいるんじゃないのか?」
 予想の外から飛んできた質問はブリンゴの頭の回転を急速に早め、その時初めて、自分たちの計画が失敗に終わったことを意識する。仲間、家、未来。すべての拠り所を失ったブリンゴには、男の握る鋭利な長物が、救いを与えるひとつの希望に見えていた。
「おい、レガ・ビークはどこかと聞いてるんだ」
「ああ……」
 ゆらりゆらりと、希望の先端へと体を進める。もう少し、もう少し。あそこまで辿りつけば俺は助かる。
 進み始めた足はもう止まることは無い。段々と距離が詰まっていく中、彼の耳に暴力的なまでの声が届いた。
「ブリンゴ!」
 聴けば心の震えるその声が、希望で満ちた彼の心を打ち砕く。嫌と言うほど傍で聞いてきた、茨の道を歩まんとする声。
 粉々になった破片に見向きすることなく、ブリンゴの視線は一点に注がれていた。

 注がれる視線の先は相対する二人の脇。木々の連なる斜面には、息を切らして脱兎の如く滑り降りてくるノイ。一目散にこの場へ辿り着いた代償として、透き通るような白い肌に、枝葉の与えた細かい傷が無数に刻まれている。
「お頭……、なんでここに」
「うるさい」
 男に背を向けないよう注意を払いながら、崩れて変わり果てた家や、無残な姿で横たわる仲間たちを視界いっぱいに映す。
 守ることができなかった贖罪が、両の手のひらでノイの心を包み込んだのも束の間。その包みを貫いて飛び出すのは、荒れ狂った怒り。
「ブリンゴ、離れてな」
 自分への怒りは微塵も無い。怒りの矛先はひとつ残らず、道化師の成りそこないのように笑う眼前の男に向けられていた。
 ノイの言葉に二人から距離を取るブリンゴ。あちこちに散らばる仲間の元へ駆け寄りたい気持ちを懸命に抑え、その頭で考えるのは自らの役割。森を伝うように広がる炎はその範囲をとめどなく広げ、街の騒ぎ出すのは時間の問題だった。
 ブリンゴを横目に見送ったノイは、地面に散らばる木片をその手に掴むと相手を見定める。
 この木片が成していた家をはじめ、たくさんのものが急にノイの前から消え去った。
「全部あんたの仕業だね。何が目的だい?」
 理由があろうと無かろうと、そんなものはどうだっていい。そのはずだった。
 胸が張り裂けんばかりに憎らしいその男。初めて視界の中央に捉えたはずの真っ赤な髪を、ノイは知っていた。
「あんた、まさか……」
 西地区の英雄トロス、その最後の功績。単身敵陣に乗り込んだ彼が、そのまま東地区地区長の首を獲ったことは、ノイの記憶に鮮明に刻み込まれている。
 ノイが守ることのできなかった約束。交わした相手は東地区地区長のドゥアン・グラ。
 彼の亡骸をトロスから譲り受けたノイは、亡骸と引き換えに様々な金品を手にすると、そのほとんどをドゥアンの家族に譲っていた。
「あなたに会えて良かった。あの時はどうもありがとうございました」
 ノイの憶測は確信に変わる。柔らかな雰囲気をしたドゥアンの妻コットの、背中に隠れるように玄関を出てきた赤髪の子供。
「父の死体と引き換えに得た金品で、私は大きくなりましたよ」
 その場で二人が交わした会話はほとんどない。ノイが名前を尋ねた時ですら、母に促されるまで自ら口を開こうとはしなかった。
「レイヴ……。レイヴ・グラか?」
 ノイの問いかけに対し大きく縦に頷いたレイヴは、より一層口角を持ち上げると盛大に口を開けて笑った。その笑いの根源は過剰なまでの高揚感。
 体を前後にくねらせながら、文字通り腹を抱えて笑うレイヴだったが、左右非対称に見開かれた目だけは、ノイに執着することをやめなかった。
「はい! まさしくレイヴ・グラです! 母はあなたに感謝してました。あなたはとても優しい人だと、そう言っていました。……そんな訳ないのに」
 高笑いをやめたレイヴが自らの眼に宿す感情は、ノイが手に握りしめた鋭い木片を、ただの木くずに変えた。
「ですよね? あなたは父の死体と引き換えに大量の金品を手に入れた。そこから僕らに施しを与えることで、己の利益と偽善、そのどちらもを満たしたんです」
「それは……」
 返す言葉が一つも浮かばないほど、レイヴの言い分は正しかった。
 例え亡骸になっても、ドゥアンは家族との再会を望んでいるはずだと。そう考える自分を無視して、いつか街を出るときの為にと言い聞かせた。
 大事なものが目の前から奪われる痛み、そして奪った者へ対しての怒りや憎しみ。さっきまでノイの心を支配していたのは、それらが組み合わさった歪な感情。
 その感情と大きく違わないものを、相手も自分に抱いていること。それはノイの動きを止めるのに十分な理由だった。
「何が目的かと、先ほどあなたは私に尋ねましたね?」
「ああ。でももう……」
 仲間の命を奪った原因の、根元にあったのは自らの行い。それがわかってしまった今、レイヴに対する憎しみはほとんど失われてしまっていた。
「父を亡き者にしたトロス・ビーク。彼からすべてを奪うつもりでした。しかしその数日後、身投げによって人生を全うしたと聞いたときは落ち込みましたよ」
 広がる炎は限りなく広がり、その勢いを落とす気配もない。木々の中には燃え尽き横たわるものも、少しずつ現れ始めている。
「だったら息子に代わりを務めてもらおうと思ったわけです。この機を作るのに、三年もかかってしまいましたよ」
「そうかい。それはすまなかったね」
 このままではレガにまで危害が及ぶ。そんなことは許されなかった。もうこれ以上、奪われてたまるものか。そう決意したノイの耳に、聞きなじみのある動物の声が届いた。
「これは……」
 クオン、クオンと優しく吠えながら、ガサガサと音を立てて木々を押しのけてきたのは、真っ赤な毛並みのタカダガとそれに跨るレガの姿。ピーシャルとブリンゴを乗せた黒のタカダガも、数メートル遅れで追走している。
「追い込みましたよ。あなたの命も父に捧げるべきです!」
 荒っぽく走る二頭の足音は、興奮状態のレイヴに届いていない。
「ごめん、そうはいかないんだ」
「ノイさん!」
 レイヴの背中を風のように追い越したレガが、ノイに向かって手を伸ばす。その手をがっちりと掴んだノイは、燃え盛る炎に負けないほどに赤々とした毛色のタカダガ。レガの相棒でもあるフィデルに素早く跨った。
「何!」
 そのまま颯爽と駆けていくフィデル。振り返ったノイがレイヴに声をかけた。
「私にもやるべきことがあってね。まだ死ぬわけにはいかない」
 背後から迫るもう一頭に気付いた頃には時すでに遅し。彼の背を蹴るようにコース取りをしたピーシャルの指示を、黒のタカダガが忠実に遂行していた。
「うぐっ」
 こもるような鈍い声と共に、体が大きく宙に舞ったレイヴ。それでも彼は素早く立ち上がると、その形相を狂ったように醜く変えながらも二頭の後を追って走り出す。
「どこへ行く! そっちは行き止まりだぞ!」
 熱気にやられた喉で声を張ったレイヴには、追い付く算段があった。
 きっともうすぐ、方向を変えるため速度を緩める時がくる。なぜならば、四人の目の前にそびえ立つのは巨大な壁。レイヴにはそう見えていた。
「さあ。速度を緩めて見せろ!」
 レイヴの予想に反し、二頭のタカダガはむしろ速度を上げていく。必死に後を追うレイヴとの距離も、じわじわと開きを見せている。
「おい。何してる、そっちは壁……」
 レイヴは言葉を失った。ノイ達四人と二頭のタカダガは、壁に衝突することなくその中に消える。後に続こうとどれだけ試してみても、レイヴがその先へ進むことはなかった。
 彼はこの後、騒ぎを駆け付けた住民によって捕らえられる。「壁の中に人が消えた」牢の中でそう叫び続けていたレイヴは、数時間後には亡き者になっていた。

 その晩消えた四人は火事に巻き込まれた死者として数えられ、捜索されることは無かった。
 多大な犠牲を出しながらも、何一つ台本通りでない舞台の幕がここに上がったことを、この大陸の誰一人として、気が付いていない。

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