milkteary

幼い頃の記憶を辿りながら、これまでの経験を書いています。 視えないものが視えてしまう不…

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幼い頃の記憶を辿りながら、これまでの経験を書いています。 視えないものが視えてしまう不思議な体験なども書いています。 当記事の無断使用はご遠慮ください。

最近の記事

ボランティアは無報酬ではない

別の回で、家事が就労であることを書いたが、 この記事は、その逆の話である。 頑張って希望通りの高校に入学できた私は、 中学時代と同じように、音楽系の部活に入部した。 この部活は簡単に言うと『軽音部』のようなものだ。 部員同士でバンドなり、グループなり、ソロもありだが、 練習をして、文化祭と、各学期末のテスト後にあるライブで披露するのが、 1年の流れだった。 バンドの練習は学校ではなく、自治体が運営している小さなホールを貸してもらっていた。 公立高校だったため、ホールの利

    • 愛猫との出会い

      もうすぐ愛猫が1歳の誕生日を迎える。 出会いは、彼が2ヶ月の頃。 近くのペットショップに行くと、 その日に「仕入れ」られてきた彼が寝ていた。 子供の頃、近所の親戚や、母方の祖母の家では猫が飼われていたので、 猫に触れたり、一緒に遊ぶ機会がよくあり、 産まれたばかりの赤ちゃん猫のお世話をしたこともあった。 とっても可愛くて、自由奔放で、 一緒に暮らせたら楽しいだろうなと思っていたのだが、 私が猫アレルギーを発症してしまい、 猫と触れ合うときは細心の注意が必要になった。

      • 苗字が変わるということ

        私は結婚することがとても怖い女性だ。 大人になったらステキな人と出会って結婚して、幸せな家庭を築くの〜 など、考えたことがない。 理由はたくさんある。 ①祖母が母をいじめるという嫁姑問題を目の当たりにしすぎた ②母が楽しそうに見えなかった ③父がとんでもなく頼りがいがなかった ④両親が離婚すると転校して友達とも離れるだろうという現実に直面していたことから、離婚してはいけないという思い込みがある ⑤親戚が面倒くさい ⑥こんな環境で育った私が子供を育てられると思わない ま

        • 伯父との別れの日

          私が40歳になるちょっと前、 私が中学生の時に亡くなった祖母の17回忌法要があった。 この法要を終えると、しばらく我が家の法要はないということで、 親戚一同が集まっていた。 私が東京にいることもあり、なかなか会える頻度もなくなり、 10年以上ぶりに会う親戚もいた。 別の回でも書いているが、 家が貧乏で、母はいつも働いていたので、 夏休みに祖母が入院した時は、 近くのいとこの家に預けられたこともあった。 いとこのお姉ちゃんは、女の子らしいおもちゃで遊んでくれた。 私があ

        ボランティアは無報酬ではない

          祖母の忠告

          これは、私が28歳頃の時の話。 当時は超多忙で、しょっちゅう会社に泊まっていたし、 地方にも出張に行っていて、 あまり家にいることがない生活をしていた。 そんなワケで、家に対して贅沢な希望もなく、 私はユニットバスの1Kの極狭マンションに住んでいた。 ある日の夜中、いつものようにユニットバスでシャワーを浴びていたら、 祖母「●●はどうしている?気がかりだわ」 と、私が中学生の頃に亡くなったはずの祖母の声が聞こえた。 私は祖母が言う「●●」という名前が誰なのか分からず

          祖母の忠告

          祖母の命が終わる音

          私が中学生の頃、 祖母はずいぶん前から煩っていたガンが身体中に転移し、入院していた。 ある日の未明、家の電話が鳴った。 4時か5時くらいだった気がするのだが、こんな時間に電話がかかってくるのだから、祖母がいよいよ危ないんだろうと察した。 朝起きると、母から 「おばあちゃんがいよいよ危ないみたいだから、今日は学校から帰ってきたら、みんなで病院にお見舞いにいくから。すぐ帰ってきて。」 と言われた。 この日、私は参観日だったのだが、参観日に行くつもりだった母は、私の学校に来る

          祖母の命が終わる音

          骨壷を確認してほしい

          これまでもいくつか書いてきたが、 私のスピリチュアルな体験談をいくつか書いていこうと思う。 確か、25歳前後の頃だったと思うが、 ある日ふっと、 なんだか落ち着かない、身体中がむず痒いような、ソワソワするような、そんな感覚に襲われた。 それと同時に、 「うちのお墓の下、一回開けたいな」 と思うようになった。 ある時、実家に帰省した時に、 「お墓の下を開けて、骨壺を確認したいんだけど」 と言うと、 父も母も「はぁ?何を言ってるの?」 と驚いたような、頭おかしくなったんじゃな

          骨壷を確認してほしい

          生きる道

          これはあくまで私の場合の話だが、 自分の人生の道のりには、いくつかのポイントとなる印がついていて、 その印のタイミングで、予告したように変化していく。 幼い頃から、私は私自身の人生の道のりが見えていた。 この人はいったい何を言っているのだろう、と思われるだろうけれど、 これは本当の話だ。 最初の印は6歳。 ある日突然「大人になったら東京にいこう」と閃いた。 この閃きをスタートとして、私の人生が始まった。 この時、64歳までの自分を予告していた。 6歳の頃に予告した15〜

          生きる道

          第二の人生

          3月末に上京してきて5ヶ月が経ち、最初のお盆に、実家に帰省した。 久しぶりの実家は特に大きな変化もなく、ただ懐かしかった。 私の部屋がなくなって妹の部屋になり、 妹の部屋は弟の部屋になっていた。 なので私は、いわゆる客間で寝泊まりをしていた。 お盆なので親族が続々と挨拶にやってきた。 これまでも、お正月、お盆、、、という季節の節目に会っていたので、 お盆に会うことはいつも通りだった。 話題は当然、私が東京でどんな暮らしをしているかである。 「一人暮らしは大変だろう」 「

          第二の人生

          きょうだいってなんだ?

          私は3人きょうだいの一番上だ。 私の下に、妹と弟がいる。 3つ下の妹は、おっとりした、のんびり屋だ。 妹が産まれた時は、私が3歳だったと思うので、記憶にないのだが、 活発な私とは対照的に、おとなしくお人形遊びをしていたように思う。 4つ下の弟はが産まれた時は、 母が小さな赤ちゃんを幸せそうに抱っこして、 ニコニコしていたのを覚えている。 家の中がゴチャゴチャしていたこともあり、三人がお互いを察するように成長してきたように思う。 仲が良いかと聞かれたら、全然良くないと思う

          きょうだいってなんだ?

          家族旅行の悲しみ

          家族旅行と言えば、楽しいイメージなのだが、 言うまでもなく、私は悲しいイメージしかできなかった。 小学生になり、夏休みの日記に「家族旅行に行った」という内容がないと、私が学校で寂しい思いをするのではないかと考えた母は、 小学1年生と2年生の夏に、それぞれ家族旅行を提案した。 私は、とにかく行きたくなかった。 行き先が嫌だとか、そういうことではない。 この憎しみが溢れた家の人たちと「家族旅行」という名目の旅行をすることが、理解できなかった。 祖母が母をいじめている、 父

          家族旅行の悲しみ

          いじめられていることがバレた日

          学校は嫌いではなかった。 ただ、面倒くさいヤツがいた。 中学2年の夏休み前、靴箱に置いた上履きに画鋲がたくさん入っていた。 数日後には、机の中に、不幸の手紙が入っていた。 「死ね」だとか「ブサイク」だとか、まぁ、よくあるような想像通りのことが書かれていた。 幸いなのは、机に置いていた教科書などは無事だったこと。 それを見て、気の小さいいじめっ子だなぁと思った。 きっと本気で私に嫌がらせをしたいのであれば、もっとやりようがあったと思うのだが、 上履きの画鋲にしても、机の中の

          いじめられていることがバレた日

          問題解決能力のない男

          はっきり言うが、父のことだ。 前の回でも触れた通り、なかなか難しい家庭環境だったと思うが、父にはそれを解決できる力がなかった。 母が祖母に散々いじめられて、母が助けを求めても、父は何もできなかった。 (何か助けをしているところを見たことがないという意味) 父の給料が安すぎたせいで、家計が苦しいから転職してくれ、と母が何度頼んでも、父は転職しなかった。 父のお小遣いは月1万円だったのに、だ。 また、祖母が母の文句を父(息子)に言い、改善を求めても、それを母に伝えることは

          問題解決能力のない男

          消えていく記憶

          人生で一番古い記憶が何かと聞かれたら、 3歳の保育園に入園する1週間くらい前の日の記憶だ。 3月下旬、暖かくなってきて、近くの川の土手には、つくしが生えてきていた。 毎年、祖母は歩いて土手につくしを採りに行っていたようで、 一緒に行こうと連れて行ってもらったのが、私の一番古い記憶だ。 祖母のことは、好きではない。 ただ、嫌いとは、できれば言いたくない気持ちもあった。 母がずっと仕事をしていて家にいなかったので、私はほとんどの時間を祖母と過ごした。 お昼ご飯はいつも、キ

          消えていく記憶

          母に甘えた最後の日

          保育園を卒園して、小学校に入学するまでの春休みのある日、 母は急に「映画を観に行こう」と言って、私を車に乗せた。 それまでずっと、母は昼間仕事をしていたので、私は祖母と一緒にいる時間がほとんどだった。 おばあちゃんと離れて、お母さんと二人で出かけるなんて、病院の通院以外では初めてだった。 急にどうしたんだろう?と不安になったが、 なんだかこれが、最初で最後になるような気がして、ついて行くことにした。 映画の鑑賞券をもらったような、そんな記憶もあるけれど、 出かける前に

          母に甘えた最後の日

          食べることの意味

          私は、幼い頃から小食で、食べるのがとても遅い。 3歳の頃、保育園の給食時間が終わって、掃除時間が終わって、お昼寝の時間が始まってもまだ、私は食べていた。 保育士の先生に 「もう、いいかな?」 と困った顔で言われ、私が迷惑をかけているんだと感じた。 連絡帳にはいつも 「ごはんをはやくたべられるようにがんばろう」 と書かれていて、 迎えに来た祖母や母が「すみません…いつも」と頭を下げていたのを見て、 私が悪いことをしているんだと感じた。 さらに厄介なのは、私の舌が肥えてい

          食べることの意味