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食べることの意味

私は、幼い頃から小食で、食べるのがとても遅い。

3歳の頃、保育園の給食時間が終わって、掃除時間が終わって、お昼寝の時間が始まってもまだ、私は食べていた。

保育士の先生に
「もう、いいかな?」
と困った顔で言われ、私が迷惑をかけているんだと感じた。

連絡帳にはいつも
「ごはんをはやくたべられるようにがんばろう」
と書かれていて、
迎えに来た祖母や母が「すみません…いつも」と頭を下げていたのを見て、
私が悪いことをしているんだと感じた。

さらに厄介なのは、私の舌が肥えていることも原因だったと思う。
正直なところ、世の中の多くのものを美味しいと感じることが少なく、
美味しいと思わないものを食べるのが面倒くさくなっていた。

自然と小食になり、慢性的な栄養不足になり、
風邪をひくと最低3日は学校を休んだ。
インフルエンザの時は1週間以上、学校を休まなければ復帰できなかった。

学校の給食は、クラスのみんなが食べ終わって、一番最後まで食べ続けてもまだ残っている状態だったので、タイムアップして残す日も多かった。

食事を残していると、作ってくれた方に申し訳ない気持ちがいっぱいになったし、そもそも食材にも申し訳なくなった。
そうなると、より一層もう食べなくてもいいやとも思ったし、自分で用意できるようになってからは、あえて少ない量しか用意しなくなった。
とにかく、食べたいものを食べたい時に、マイペースで食べられない時間が嫌だった。

完全に負の連鎖だった。

上京すると、大学の友達やバイト仲間から「今度ごはんでも!」と言われることが増えた。

最初、「今度ごはんでも!」の意味が分からなかった。

参加してみると、みんなでお喋りしながらご飯を食べるだけだった。
ただ、私にはそれも、よく分からなかった。

同じく3歳頃の話になるが、
母が仕事で家にいないことが多かったので、私は祖母と一緒にいる時間がほとんどだった。

祖母はいわゆる昔ながらの昭和な人で、
「ご飯を食べるときは、黙って、ちゃんと噛んで食べなさい」
という人だった。
だから、テレビを観ながら食べることさえも許してくれないこともあったが、祖母が観たい番組があったのだろうか、いつからか、テレビはOKになった。
しかし、お喋りは禁止だった。

見かねた母が、
「食卓は楽しく今日あったこととかをお喋りしながら食べるものではないですか?」
と祖母に意見し、母は積極的に家族みんなに話しかけていたが、
そもそも祖母が母をいじめていたので、その仕返しは常に何かしらあった。

そうなるともう、私も喋らなくなったし、
そんな不穏な空気を常に感じ、
『食卓を囲んで楽しくお喋りする家族』
というのは、ウチには無理だと、ドラマの世界だけだと思うようになった。

まぁ、そんな環境しか知らないので、
「今度ごはんでも!」の意味がさっぱり分からないし、
みんなでお喋りしながらご飯を食べた楽しさも分からなかった。

食べながら喋るのは行儀が悪いから、
喋っていると食べられないし、、、
食べていたら喋れないし、、、
どうしたらいいのか、分からなかった。

自分のペースで食べられず、やっぱり最後になってしまい、
みんなが私を待ってくれているのが申し訳なく、
何を食べたのか、食事の味も全く記憶にないほどに焦るだけの時間だった。

そのまま大人になると、
仕事柄、食事時間が限られる職種だったこともあり、
時間がないから食べない、ということが増えた。
20代前半だったこともあり、痩せてラッキーと思ったが、
体力勝負の仕事との間で、少しずつ体調を崩していった。

食べなきゃ…、食べなきゃ具合が悪くなってしまう…

そう思い込んで、体調が悪い時ほど、食べたいと思わないものまで、無理していろんなものを食べるようになった。
そしてまた、体調を崩した。

会社の同僚から、「ランチ行こうよ」と誘われるのは嬉しいことだったが、
同時にとても恐怖を感じた。
時間との闘い、メニューも味も覚えていられないほど緊張すると分かっていて、行きたくなかった。
だから、いつも何かしら理由をつけて、お断りしていた。
そして一人、コンビニで何か買ってきては、サッサと食べて終わっていた。当然これも、体調を崩した。

今の会社に入社すると、
「ランチは必ずこの時間内に社外で食べるように」
という謎ルールがあった。
とても苦痛だった。
同僚達が毎日誘ってくれて、「今日はドコ行く?」と意見を聞いてくれるのだが、私はそれどころではなかった。

3ヶ月経ったある日、いつものように、会社近くのパスタ屋さんで、5,6人でランチをしていた。
この日も私は、すぐに食べ切れそうなパスタを選んでいたのだが、
ここまでのストレスがキャパオーバーしたのか、
気持ち悪くなり、途中で食べられなくなった。
フォークを持つ手の手汗がすごかった。

「急に上司に呼び出された」というテイにして、
お店の方には申し訳なかったが、パスタを半分も食べず、お代を払ってお店を出た。
その日の午後、私は倒れた。

復帰できたのは10日後だった。
その間、何が辛かったのか、どうしたら仕事を続けられるのか考えた。

ランチ以外にいろいろなストレスがたくさんあったのは事実だが、
私の中では、ランチを社外で他の社員と一緒に食べることが、とてもストレスだった。

どんな風に思われてもイイと覚悟を決め、
「私を誘わないで欲しい。ご飯は一人で食べるから」と言った。

陰口は言われていたと思う。
特に、指を指されて笑われることはたくさんあった。

それでも、一人でご飯を食べるようになってからは、少しずつ自分のペースを取り戻し、仕事にも前向きになっていった。

それ以降は、よほど気が合う同僚、何か話し合う議題がある時以外は、一人でご飯を食べている。
誘われても、断れる限りは断るスタンスだし、
繰り返し断っていると誘われなくなると学んだ。

気心知れた友達や知人以外は基本的にNGなのだが、
そのNGの中には家族も含まれている。
理由は上記の通りだ。

母が一生懸命みんなに話しかける姿を見る度、
あの何とも言えない不穏な空気を思い出すし、
自分のことを根掘り葉掘り聞かれるも嫌だった。

そんなワケで、私にとって食事とは、とてもハードルの高い作業だ。
ただ生きるために食べる作業が、とても面倒くさい作業だ。

だから、身体に良いメニューを選ぶことは、なかなか大変だった。
私にとっては、食べられただけでも、グッジョブだから、
その先のクオリティまで考えることは、なかなかの労力なのだが、
テレワークになったことで多少救われている。

こんなこと、誰にも言ったことがなくて、
初めての告白をNOTEに公開しているのも、なんだか変な感じだけど、
こんなことだから、誰にも言えなかった。

同じような経験をした方、同じ考え方の方と友達になりたいけれど、
似たもの同士だと「今度ごはんでも!」は絶対に出てこないので、
なかなか友達になれないのが現実だと思う。
これがとても辛いところ・・・笑

先日、ネットのニュースを見ていたら
「食べるのが遅いのを責めないようにしよう」
という保育方針が広まりつつあるとあった。
めちゃめちゃ賛同したいと思う。
どうか、私みたいな大人にならないで欲しい。
これから成長する子供達が、楽しく食事できることを心から願う。

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