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問題解決能力のない男

はっきり言うが、父のことだ。

前の回でも触れた通り、なかなか難しい家庭環境だったと思うが、父にはそれを解決できる力がなかった。

母が祖母に散々いじめられて、母が助けを求めても、父は何もできなかった。
(何か助けをしているところを見たことがないという意味)

父の給料が安すぎたせいで、家計が苦しいから転職してくれ、と母が何度頼んでも、父は転職しなかった。
父のお小遣いは月1万円だったのに、だ。

また、祖母が母の文句を父(息子)に言い、改善を求めても、それを母に伝えることはなかったように思う。

親戚が見かねて、なんとかしないと嫁が逃げるよ、と助言しても、何も変わらなかった。

なぜだったのだろうか…

父は頑固だ。さらに固定観念も強い。
私ら子供たちへの躾は、祖母同様に厳しかったように思う。

そして、父は一人では何もできない男だ。

決まった時間に朝起きる←できる
朝食の準備←できない
出かける←できる
仕事する←できているはず
真っ直ぐ帰ってくる←できる。寄り道は一切なし
お風呂掃除←度々怒られてできるようになった
子供の面倒を見る←できない
掃除洗濯家事全般←何もできない
病院に行く←怖くてできない
DIY←できる
スーパーで買い物←できない(ここ10年でやっとできるようになった)
年末調整←存在自体を知らない

母が離婚するする詐欺をしていた頃、
もし母がいなくなったら父はどう生きていくのだろうと心配になり、
私は本気で父の方に残ろうと思ったこともあった。

そんな、私が小学生低学年頃だったある日。
夜10時は余裕で過ぎていたと思うが、寝ていた私は起こされて、

父「今日は結婚記念日だから、お母さんにプレゼントをするよ」

と、何やら用意されたものを、私が渡すという大役を任された。
寝ボケていたので、何をプレゼントしたのかは覚えていないが、
自分でやれよ〜!と思いながら、プレゼントを渡したのは記憶している。

後にも先にも私が知る限り、父が母に対して何かをしようと前向き立ったのは、この時だけだ。
だから、あの時は本当に、いよいよ離婚するんじゃないかと思った。

父と遊んだ記憶は数回しかない。
保育園くらいの頃、肩車や背中に乗せてもらって、楽しかった記憶はある。
父の膝は私の椅子だと思っていた時期もあったが、
様々な環境の中で、そんな気持ちも一瞬で終わり、
弟妹が父の膝に座っていると、
もう私がいる場所じゃないな、と思った。

そんな父だが、性格的に近いところにあるのか、なぜか理解できてしまうことも多かった。
というか、声を荒げない、怒鳴ることもない、暴力は振るわない、ギャンブルもしない、じっと様子を見ていて、ほとんど意見も言わないけれど、本当に許せないことがあれば言ってくる、
母とは対照的な、穏やかな父との時間は、私にとっては楽だった。

だから父のことは嫌いではないのだが、
家庭内で起こる様々な問題を解決してくれなかったことは、
とてもとても恨めしく思う。

辛かったのは、母や祖母だけではない。
私ら子供たちも辛かったということに、父はいまだに気づいていない。

いつしか私は、男性に対して、問題解決能力を求めるようになっている。
仕事でも、日常の生活でも、悩ましい時間を過ごすのは嫌だ。
時間の無駄だとも思うようになった。

同時に、誰かができないのであれば、自分で解決してやろうとも思うようになった。
むしろ自分でやった方が早いじゃん、と。

結果的にそれが、頑張りすぎる私につながっていったのかもしれない。

サポートされるとモチベーションが上がります。