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第二の人生

3月末に上京してきて5ヶ月が経ち、最初のお盆に、実家に帰省した。

久しぶりの実家は特に大きな変化もなく、ただ懐かしかった。
私の部屋がなくなって妹の部屋になり、
妹の部屋は弟の部屋になっていた。
なので私は、いわゆる客間で寝泊まりをしていた。

お盆なので親族が続々と挨拶にやってきた。
これまでも、お正月、お盆、、、という季節の節目に会っていたので、
お盆に会うことはいつも通りだった。

話題は当然、私が東京でどんな暮らしをしているかである。
「一人暮らしは大変だろう」
「東京で暮らしていくのは大変だろう」
「卒業したら早く帰ってきなさい」

上京して分かったのだが、
私にとっては言われるほど、東京は辛くなかった。
確かに、細かいところで考え方や文化が違うので、
「東京の人はそういう感覚なんだ」と思うことはたくさんあった。

理解できるまでに時間がかかることもあったけれど、
それが辛くて帰りたいと思ったことはない。

6歳の時に「東京に行こう」と決めて、コツコツお金を貯めて上京した。
上京前に自分の部屋を片付けたとき、
「永久保管箱」にした箱1つ以外のすべての荷物を片付けたため、
(友達や妹に譲ったり、破棄したり、東京に持って行ったり)
空っぽになった部屋を見た母が
「もう帰ってくるつもりはないんだね」
と呟いたのだが、
私はこれで、私が帰ってこないことが伝わったと思っていた。

だけれども、田舎に暮らす親族達は、東京を悪物にし、
私が辛い暮らしをしているはずだと決めつけた。

叔父「やっぱり家族一緒にみんなで暮らした方が楽しいでしょう。実家にいれば家事も一人でしなくていいんだから楽でしょう。なんで東京に行ったの。早く帰ってきなさい。」

いろいろ言われる中、気持ちをグッとこらえながら話を聞いていたのだが、
ちょっと我慢しすぎてしまったせいで、一気に気持ちが溢れてしまった。

「一人暮らしは楽しいよ。何も困ってないよ。実家にいるより一人の方がいいよ!!」

そう言うと、みんなが凍り付いた。

叔父「なんてことを言ってるの!家族はみんな一緒がいいに決まってるんだから!!」

私「私は一人の方がいい!楽だし、楽しい!」

叔父さんと喧嘩になった。
それを見ていた父は呆然とし、母は暗い悲しい顔をした。

その後、父から
「そんな言い方をしなくてもいいだろう」
と言われたが、
「ほんとうだから。そう思うから。楽しくて何が悪い?」
と言い返すと、悲しそうな顔をして、黙った。

翌日、東京に戻ったのだが、
私が言ったことがそんなにもいけないことだったのか、
私には分からなかった。
ちょっと言い過ぎたかなぁとは思ったけれど、
「東京は大変です。やっぱ実家が最高です」
なんて、どうやっても私からは出てこない言葉だった。

父も母も、悲しい顔をしていたのは気がかりだったが、
それ以上に「実家が最高」と言えないことが悲しく、しばらく落ち込んだ。

大学で好きなことを学び、
バイトでガッツリ稼ぎ、
それなりだけど友達もできたし、
彼氏もできた。
朝は自分にとって必要な時間に起きればOK(学校に間に合うように)
ご飯は好きなものを食べられる
食べなくても、時間がズレてても怒られない
自分のご飯さえ用意すればOK
家事は自分が納得できる範囲でやればOK
洗濯物が少なくて楽だなぁ…

これまでは、実家のゴチャゴチャに巻き込まれて、
感情の振れ幅が大きい母には振り回され、
常に空気を読んで、人の顔色をうかがい、
毎日、今日の晩ご飯は私の担当かな?何を作ろうかな?と考えていたし、
妹や弟のことも考えて、、、

自分のこともたくさん自由にやらせてもらってはいたけれど、
同じくらい、家族のことを考えていたと思うので、
自分のことだけを考えれば良いという状況になって、
これからやっと、私の人生が始まっていくんだと感じた。

18歳、第二の人生の始まりだった。

叔父さんと喧嘩になって落ち込んだけれど、
そう思えたらワクワクしてきた。

きっとこの先、たくさんの人に出会い、生きていくだろう。
どんな人に出会って、
楽しい時間(辛い時間もあるだろうが)を過ごせるのだろうか、、、
胸が高鳴った。

そんな時に出会った曲
Jungle Smile「おなじ星」

<歌詞>
この東京で 交差点や駅のホームとか
あなたと私はきっとすれ違ったりしていた
離れた空の下で同じ時同じ星を見上げて
ため息漏らしてたかもね
もう離さないで
星の数ほど訪れる巡り会いの中で
気付けばこんなにいつも近くにあなたがいたよ
やっぱりそうね悔しくて涙こらえた夜も
微笑む朝にも柔らかいあなたの声に抱かれてた

この曲は恋愛の曲ではあるんだけれど、
歌詞のように、
これから出会うだろう人ともう出会っているのかもしれないと思うと
これからの時間がすごく楽しみになって
その人達に出会うため、一生懸命生きていこうと思えた。

今でも、この曲を聴くと、18歳の頃に感じた、
「これから先、楽しい時間があるはず!」
という前向きな気持ちになれるので、とても大切な曲だ。
ときどき、どうしようもなく疲れたら聴きたくなる。
そして涙が溢れる。

私は、この曲とともに、第二の人生を生きている。

だからこの先、定年して仕事をしなくなったら、第三の人生だ。

ちなみに、喧嘩した叔父さんから後日
「あの後、お母さんは泣いていたよ」
と言われた。

申し訳ない気持ちになったけれど、
「私が悪かった」と思うことができなかった。

叔父さんは、20年以上経った今でも
「東京は大変でしょう。一人は大変しょう。お母さんがまた泣くよ。」
と言っている。

就職して22年、一人暮らし歴は24年になった…
私が東京で家を買ったことは、親族の誰にも言っていない。

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