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きょうだいってなんだ?

私は3人きょうだいの一番上だ。
私の下に、妹と弟がいる。

3つ下の妹は、おっとりした、のんびり屋だ。
妹が産まれた時は、私が3歳だったと思うので、記憶にないのだが、
活発な私とは対照的に、おとなしくお人形遊びをしていたように思う。

4つ下の弟はが産まれた時は、
母が小さな赤ちゃんを幸せそうに抱っこして、
ニコニコしていたのを覚えている。

家の中がゴチャゴチャしていたこともあり、三人がお互いを察するように成長してきたように思う。
仲が良いかと聞かれたら、全然良くないと思う。

私が6歳くらいの頃、妹と弟と一緒にお店屋さんごっこをして、
自分勝手だった私は好きなように物語を進めていた。
まだ幼かった二人は、言われるがママについてきた。

三人で遊んだ記憶は、それだけしか残っていない。

妹は性格的に真逆だったこともあり、一緒に遊ぶことは少なかった。
ときどき一緒に遊んでも、だいたい私が指示を出す感じだった。

弟は小さい頃から数字が好きだったので、保育園の頃に、九九を教えたら全部覚えてくれた。姉として、ちょっと誇らしかった。

母が生活のために不規則な仕事を始めてからは、
私がご飯を作って食べさせたり、
宿題をしなさいと注意したり、
明日の学校の準備をさせたり、
ゲームをしすぎていたら止めさせたり、、、
今思えば、母と近いことをしていた。

そのせいか、二人は私のことがとても怖かったらしい。
次第に、私に口答えしなくなっていった。
ちょっと、やり過ぎたかなぁと思った時もあった。

私が上京して3年後、
高校生になった妹が夏休みに友達と一緒に東京に遊びに来た。
私の家に泊まってもらい、面倒をみた。

ある日、夜遅くなっても帰ってこなかったため、
当時同棲していた彼氏と、心配しながら待っていた。

23時近くに妹と友達が帰ってきて、とても楽しそうにしていたのだが、
東京に慣れていない上に、何の連絡もなく、遅くまで遊んでいたことに、
本当に腹が立ち、めいっぱい怒った。

怒りすぎて、妹も友達も途中から泣き出した。
怒っている私も泣いた。

その様子を見ていた彼氏が、
「ちょっと怒りすぎ。でもこんなに怒るくらい、あなたたちを心配していたんだよ。それは分かってね」
と優しく説明してくれた。

翌日、「心配かけてごめん」と言って、妹は実家に帰っていった。

後日になるが、その時の友達が、
「お姉さんが怒ったのは本当に怖かったけど、気持ちがとても嬉しかった。優しい人なんだと思った」
と妹からの伝言で聞いた。
言い方はだいぶ間違えてしまったけれど、伝わるんだなと思った。

弟は、私が東京に上京して4年後、
大学に進学する際に「実家から通えるところ or 姉ちゃんの家から通えるところ」という条件を付けられたようで、東京を選択し、一緒に住むことになった。

あまり時間がない中で物件を決めなくてはいけなかったため、
弟の部屋がちょっと狭くなってしまった。
申し訳なかったけれど、私はもう社会人で仕事をしていたので、通勤のことも考えなきゃいけないし、自分たちが払える家賃で考えると仕方なかった。

私が上京してきたときもそうだったが、
家賃は親が払ってくれていたが、家賃以外の生活費は自分でバイトをして生計を立てていた。
あとは奨学金をもらっていたので、それでなんとかなっていたのだが、
弟も同じ条件で東京にやってきた。

ある日、バイトから帰ってきてゲームをしていた弟が、
「壊れた洗濯機だけど、母ちゃんに言ったら、新しいの買ってくれるって。明日届くよ」
というので、私はめいっぱい怒った。

親からもらうのは家賃だけという約束だったはずで、
社会人だった私が、
洗濯機はいつか必ず買うからそれまではコインランドリーで勘弁して、
と弟に約束していたのに、
あいつは母に言って、洗濯機を買ってもらっていた。

私と一緒に暮らしているので一人暮らしではないが、
親から離れて生活をするということは、
それなりの覚悟の中で生きていくことだと思っていたのだが、
弟にはその覚悟がなく、困ったら親にすがる姿勢が本当に許せなかった。

めいっぱい怒ったら、弟は泣いた。
怒りながら私も泣いた。

後日、母からは「あんたぁ、だいぶ怒ったらしいけど、大事なことを教えてやってくれて、こっちにも気を遣ってくれて、ありがとう」と言われた。

そんなワケで、その後、妹と弟からは
「優しいんだけど、怒ると怖いから、怒らせない方がいい」
と言われるようになった。

妹と弟がそれぞれ結婚した際は、
私なりの最大級のお祝いとして、
結婚式や披露宴を動画で撮影し、編集してDVDにしてプレゼントした。
見てくれてはいないかもしれないけれど、
そこに深い愛情があることは理解してくれていると思う。

今は二人とも、実家の近くで生活しているので、
私が実家に帰ったら会うくらいだが、ほとんど会話をすることはない。

子供の頃の微妙な、察したような家族関係が、
私たちきょうだいの中では今でも、そのままである。

会話をすることがほとんどないので、
「仲良し姉妹」とか「仲良しきょうだい」っていう話を聞くと、
到底、私たちには難しいことだなと思う。
どうやったら、そうなれるんだろう、、、誰か教えてくれ。笑

そういえば、いつだったか、
母が何かにものすごく怒っていたことがあり、
「これをうまくなだめないと、母ちゃんが何をやり始めるか分からないからね、母ちゃんの性格わかってるでしょう?」
と私が言うと、妹は黙って「うん」と頷いた。

ほとんど会話はしないけれど、分かるんだな、と
きょうだいも悪くないかもしれないと思った。

結婚をしていない私の老後は、
妹や弟、その子供達の世話になるのかもしれないが、
あの微妙な空気感を知っているからこそ、もう誰にも迷惑をかけたくないと思う。
できればそっと、誰にも迷惑かけることなく、いなくなれたらいいなと思うけれど、なかなか、そうはいかないだろう。

いや、「姉ちゃんの面倒はみない!」って先に言われるかな。
もしくは、弟はちゃっかりしているので「面倒みるから遺産をくれ!」って言いそうだな。

ちなみに、弟と一緒に暮らしていた時に母に買ってもらった洗濯機は、
20年経った今でも私の家で活躍している。
何度も引越したのに、まだどこも壊れてなくて現役である。

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