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生きる道

これはあくまで私の場合の話だが、
自分の人生の道のりには、いくつかのポイントとなる印がついていて、
その印のタイミングで、予告したように変化していく。
幼い頃から、私は私自身の人生の道のりが見えていた。

この人はいったい何を言っているのだろう、と思われるだろうけれど、
これは本当の話だ。

最初の印は6歳。
ある日突然「大人になったら東京にいこう」と閃いた。
この閃きをスタートとして、私の人生が始まった。
この時、64歳までの自分を予告していた。

6歳の頃に予告した15〜18歳頃は、
忙しくも自由に過ごしているだろうと予想だったが、
実際、その通りだった。
この頃の私は、手伝っていた地域イベントの企画プロデュースが認められ、高校生ながら、テレビやラジオ出演に忙しくしていた。

次の印は20歳。
これも6歳の頃に予告した通りだった。
超氷河期と言われた時代に、
私は100社以上に応募し、なんとか内定を勝ち取った。
クラスメイトのほとんどは就職が決まっていなかったが、
「受け続けたら必ず内定が取れる」と信じて揺るがなかった。
なんなら、
「4月には間に合わないけれど、5月には仕事ができるはずだから…」
というところまで予想していたので、腐らず続けていたら、
実際に4月中旬に内定が出た。
すべてが予告通りだった。

その次は32〜33歳頃。
仕事や様々なことで疲れ果て、すべてをリセットした。
会社が破産してなくなったのが最終的なきっかけではあるが、
それをきっかけに会社を辞め、すべての連絡を絶った。
そして、1年間引きこもった。
その間、変わりなく連絡をくれる人もいて、
そういう人がいたから、後に復活できたのだと思うので、
今でも大事な感謝すべき存在だ。
この1年間の孤独な時間があったからこそ、
この後、いろいろな人と出会おうと前向きな気持ちになれたし、
これはこれで良かったと思っている。

33歳の時には、
35歳の印と42歳の印が今まで以上に色濃く見えていて
ちょっと怖くなっていた。

35歳でまた一生懸命に頑張れる仕事を巡り会うけれど、
40歳くらいで暗雲が立ちこめ、
42歳からは、今まで経験したことがない人生が始まるという印だった。

実際に、35歳で入社した今の会社では、
身体を壊してしまうほど頑張って働き続けた結果、
それなりのお給料に恵まれたことで、生活が少し楽になった。
今までの、切り詰めて切り詰めて〜の生活から解放されたことは、
本当にありがたく、楽になったのだが、
極限を超える仕事量ができることが会社にバレてしまったために、
この後、仕事をどんどん山積みされていく運命となった。

体調も悪くなる一方だったので、
もう無理だよ、、、生きていくのが辛いよ、、、もう死んでもいいよ、、、
と思っていたのが40歳くらい。
生きる意味がわからなくなって、治療をしながらの毎日。

そんな日々の中でも、42歳の印が見えていたので、
まぁ死なないだろうな、と思いながら過ごしていた。
42歳に何が起こるのだろうと、
42歳になるのが怖いような楽しみなような日々を送っていた。

もしかしたら転職するかな、とか
もしかしたら結婚するかな(いや、ないな)、とか
何が起こるのだろうと思っていた結果は、

①家を買い
②その家で猫を飼う

という、まったく予想していない展開だった。

ただ、前述した通り「今まで経験したことがない人生」は、
その通りになっていた。

そして、ここから先、
私の人生の波動は穏やかになる予想だ。
今までのことがウソのように、穏やかになる予想である。

64歳になった私は、東京から地元に帰る印が見えている。
なぜ帰ろうと思うのかは、分からないけれど、
死ぬまで東京にいる可能性は低そうだ。

もし地元に帰らなかったとしても、64歳で何かしらの変化があるだろう。
ここは大きな節目であることは間違いないと予想している。

6歳の時に見えていた人生は64歳までで、
まるで、それに導かれるように生きていたのだが、
ずっと、自分がいつ死ぬのかだけは見えないでいた。

ところが、つい最近、自身が亡くなる印が見えた。
84歳だった。
最期は、病院で、妹が側にいてくれた。
のぞき込んでくる妹に、私は「ありがとう」と言って目を閉じた。

なるほど〜
意外と長生きしそうだなぁ。
やっぱり結婚してないなぁ。
しっかり貯金と資産運用をしておこうと思った。

あと、84歳まで生きるなら、2匹目の猫が飼えそうだ。
にゃん!

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