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恵みによって備えられた人生を歩む

「救い」と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。
神を信じると決めた日だろうか、洗礼を受けた日だろうか。

私たちは「救われた」という言葉を使うことがあるが、これは過去形になっている。パウロは救いについてどう語っているだろうか。

救いは神からのプレゼント、贈り物である。

プレゼントをもらった時、どんな気持ちになるだろうか。嬉しい気持ち、お返しをしなければ、という気持ち。

プレゼントをもらった時の感情は、相手との関係性による。
あまり親しくない会社の人や近所の人からもらってしまったときの、少し気まずい気持ち。嬉しくてすぐにその場で開封するほどの喜び。

救い。これはどうだろうか。誰がくれたとしても、同じなのだろうか。
死んだあと天国にいくためのチケットとしてだとしたら、誰からもらったとしても嬉しい。

しかし、本当にそれだけなのだろうか。
死んだあとのため、だけなのだろうか。

本当に好きな人からプレゼントをもらった時、私たちがまず考えるのは贈り物の中身が何であるかについてだろうか。

まず最初にでてくるのは、感謝であるはずだ。

エペソでは信仰という言葉が7回登場する。
「信仰」は、神との健全な関係を持ち続ける、という意味を持つ。

私たちには理解できないほど大きな神の愛。

ドラマsilentが最近は話題。聴覚障害になる男性が主人公。
自分の親友、家族、コミュニティを絶って、恋人も捨ててしまう。
その恋人と8年後出会うところから、物語は始まる。

このドラマ、ラブストーリーに見えて、実は回復のストーリー
恋人、家族、友人との関係を回復していく。

私たちは、回復を望んでいる。
関係の回復であり、コミュニティの回復。

中途聴覚障害になると、以前の人たちとのコミュニケーションは取れず、元々聴覚障害だった人たちの手話の速度にもついていけない。

つまり、コミュニティを失った状態になってしまう。
それを回復していく物語。

私たちも神との関係を回復していく途中である。

伝えられたものを受け取る覚悟が必要であり、それこそが、信仰の一つの形。

神は、それを予め備えてくださる。
普通宝探しをするときは、隠す人と探す人は同時に動くことはない。
先に隠す人がいる。

私たちは、救われる場所が広がっていく。
神の用意の中に生きることによって、造られた自分を回復していく。
造られていなければ、回復することもできない。

母親に横柄な態度をとる子どもが怒られたのを目にしたことがある。
子どもを叱り飛ばした。
子どもはしばらくして気まずくなり、母親に謝った。
すると、母親は「どうして早く謝ってくれなかったの。謝ってくれないと、ゆるしたくてもゆるせないでしょ。」と言った。

これは、神と私たちの関係によく似ている。

神は私たちを回復させたくてたまらない。
光り輝くあなたを取り戻してほしいと願っている。

恵みによって備えられた人生を歩む、とは神が与えてくれた冒険に満ち溢れた道に飛び込むことかもしれない。

神は、永遠の恵みを与えてくれた。
感動し続けることができる人生。

神は、すでにそこに備えてくださっている。
神とともにいることに真剣になること。心を注ぐこと。

私たちはその時、思いも寄らないところで神を発見する。

招いてくださる神との冒険の人生。
神が備えてくださっている、良い冒険。

神のために、誰かを発見し、感動し続ける人生。
その人生の真っ只中を生きること。

オリジナルの、神に似せて造られた、その備えをすでにされている。
神は、私たちを造ったのだから。

私たちの中に、まだ救いを受け取っていない場所が、ないだろうか。

もっと神に出会うことが出来る。
そんな貪欲さを持ちたいと思わないだろうか。

もっと会いたい。もっと発見したい。

目を閉じて、心を思い巡らせたいと思う。

神が私たちの中に、触れたいと思っている場所はあるだろうか。
神が発見したいと思っている場所はあるだろうか。

神の手を感じているだろうか。
神がともにいること、その中に生きていることを味わっているだろうか。

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