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困難に落胆することなく

イエスへの愛を告白することを決して恐れてはいけない。 たとえこの世にとどまり続けなければならないとしても。 パウロは見えるものではなく、信仰によって歩むように、と言われる。 周りで起こるトラブル、困難に落胆してはいけない。 天国に用意されている幸せを期待するということ。 世の中には、落胆することがたくさんある。 戦争、災害、悪い噂、物価の高騰など。 神が与えてくださった場所で、どのように暮せばいいのだろうか。 それは、見えるものによらず、信仰に歩むこと。 信仰によっ

    • 復活

      復活はキリスト教信仰の中で、いちばん大切な部分である。 復活がなければ私たちは無に等しい。 何度も何度も復活についての話を聞いたことはあるかもしれない。 その話が曇ってぼんやりしてしまっていることもあるだろう。 今私達は鏡にぼんやり映るものを見ているが、 はっきりと見る日が来る。 私たちはクリスチャンとして過ごす中で何度もこの話を聞いている。 gross over。何度も聞きすぎるがゆえに、耳の中を通り抜けてしまっているかもしれない。 私たちが死の影に直面する時、こ

      • 犠牲が生み出すもの

        シュロの週、イエスは待ち受けている物を知っていながらエルサレムにやってきた。 それは十字架である。 イエスは世を救うために、やってきた。 価値のあるものはなんでも代価が高くつく。 価値が高ければ、代償も高くなる。 大きな犠牲は大きな祝福をもたらす。 子育てを経験したことがあれば、時間、お金、エネルギーの多くを消費することについて理解できるだろう。 自分の犠牲に見合う結果をいつでも得られるわけではない。 私たちの犠牲の結果には、もちろん価値がある。 愛は利己的な欲望

        • 悪魔の声は悪魔の声をしていない

          四旬節のはじめの日曜日、神の声、悪魔の声、どちらに私達は聞き従うだろうか? 聖書には、悪魔は天使の声のように私達に語りかける、と書かれている。悪魔の武器は、正しさと美しさかもしれない。 王子のように、天使のように、きらびやかで、微笑んでいる。 悪魔は、悪魔の声をしていない。 イエスと悪魔の問答は、実に見事である。 40日間イエスが断食をしていたときのこと。 「神の子なら、その石をパンに変えてみたらどうだろう」と囁きがあった。 お腹が空いているとき、そんな囁きを聞いた

        困難に落胆することなく

          永遠であるということ

          天の御国には神の前に居場所がある。 その場所に、子どもたちを来させなさい。 マタイの福音書19章における御言葉。 イエス・キリストは、私達の永久の保護者である。 永遠の御父。 決していなくなることのない父親。 一人にして消えたりしない。気分のムラで態度を変えることのない、安心できる保護者。 この方が示している神というのは、信じるものの中に住まわれる。 ともにおられる、お方。 親が死んでしまったらどうしよう、と考えることがある。 イエスを信じるなら、その怖さから抜け出

          永遠であるということ

          パウロの優先度

          私たちは誰のために祈るだろうか。 パウロは物事の優先度を聖書におけるさまざまな箇所で述べている。 全てのことは神のために行う。 全てのことは、福音のために。 寝るにしても、食べるにしても。 パウロの言葉からすると、何よりもすべての人のために、これを行うという思いが読み取れる。 しかし一方でパウロは多くの人に福音を届けるのだ、というようなことは言っていない。 多くのことを望むのではなく、なんとかして、なにか…。 これはパウロの姿勢であったと同時に、私たち一人ひとり

          パウロの優先度

          高慢と謙遜

          私たちは、正義を守る戦いの中にいる。 善と悪の間には、明確な違いがある。 子供に対数接し方など。 バベルの塔よりももっと前のこと。 人々が散らされる前から、神から学んだこと。 バベルの塔で人々が散らされて以降、 秩序は失われてしまった。 神の真理とは全く違う方向のこと。 悪魔は欺くものであり、神の言葉を疑わせるため、懸命に働き掛けてくる。 それは、神は本当にそう言ったのか?と言う投げかけ。 神が私たちに御言葉を与えたとしても、 敵はそれを私たちの元から奪い去ってし

          高慢と謙遜

          イエスの覚悟

          私達は「何かを成し遂げ、評価される」そんな世界に生きている。 赤ちゃんの頃は「生まれてきてくれてありがとう」と言われていたのに、いつの間にか、それを言われなくなってしまう。 あなたのいいところは何だろうか。 神様は誰をも神ご自身のように作られた。 イエスは苦難の道だとわかった上で、エルサレムに向かって足を進めていった。 私達は神の愛をどう考えているだろうか。あなたは生まれたままの、そのままでいいよ、という、そんな言葉を待っているだろうか。 神の愛が私達を変えていく。

          イエスの覚悟

          神の恵みと働き

          癒やしとは、傷ついていたことを、もう一度見つめること。 気まずいと感じることもある。 しかしその時に、見捨てられないのだという保証があることを思い起こすことで、もう一度立ち返ることができる。 本日は、クリスマスのストーリーからこの癒やしについて紹介していく。 神の前に正しい人であった二人。 その中においても気まずさを抱えていた。 年老いても不妊で子供が居ない二人。 ザカリヤは特別な働きのために神殿で奉仕することになる。 そして、御使いから語られる。 長年子どもがほ

          神の恵みと働き

          人と人の間に神様がいる

          人と人の間に神様がいてくれるなら。 どんなによく出来た人でも、なにかトラブルがあった時、自分のままでいることは難しい。でも神様が私達の間にいてくれるなら、私達はお互いを受け入れることができる。 本日はヨセフの目線から見ていきたい。 イエスの誕生のときのこと。 マリアが自分との間ではない子どもを身ごもった。 裏切られたと思ったのかもしれない。 しかし聖霊がヨセフに現れた。 ヨセフからしたら、考えてもみないこと。 救い主の父親になる。 ヨセフにもマリアにも共通する、聖

          人と人の間に神様がいる

          自分を自分らしく受け止めていく

          どのようにしたら、自分の姿を自分らしく受け止めていくことができるのだろうか。イエスの母、マリアの姿からみていきたい。 ナザレという町は、注目されることのない場所であった。何の変哲もない場所。そこで育ったマリアに、神は目を留められた。 ひどくとまどったマリア。そして恐れた。 神はあなたともにいる、という言葉を聞いたとしても、人はとまどい、恐れることがある。 神はあなたに祝福を与えたい。しかし、それがパッと入ってくるわけではない。 どこにでもいるような町で育ち、結婚する予

          自分を自分らしく受け止めていく

          恵みによって備えられた人生を歩む

          「救い」と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。 神を信じると決めた日だろうか、洗礼を受けた日だろうか。 私たちは「救われた」という言葉を使うことがあるが、これは過去形になっている。パウロは救いについてどう語っているだろうか。 救いは神からのプレゼント、贈り物である。 プレゼントをもらった時、どんな気持ちになるだろうか。嬉しい気持ち、お返しをしなければ、という気持ち。 プレゼントをもらった時の感情は、相手との関係性による。 あまり親しくない会社の人や近所の人からもらってし

          恵みによって備えられた人生を歩む

          悪霊とはなにか

          本日は悪霊についての話をしていきます。 ヨハネの黙示録12章9節では蛇を悪魔と表現している箇所がありました。 サタン、悪霊は同じものを意味します。 しかし悪霊は、悪魔・サタンとは別のものです。 同じ箇所はマルコ5章、ルカ8章にもでてきいます。 また別の観点における悪霊について書かれた箇所があります。 どのように悪霊が人の中に住み着くのか、説明をした箇所です。 私たちは神様に焦点を合わせる必要があります。 しかし敵が何であるかを知らなければ、どうやって彼らと戦う準備

          悪霊とはなにか

          サタンとは何者か

          神への信仰を破壊する、それがサタンの目的である。 創世記3章1説の蛇はヨブ記のサタンと性質が同じではない。 旧約聖書では悪魔(Devil)という言葉は使われていない。 ヨハネは蛇をサタンとも悪魔とも呼んでいる。 ある教授たちは聖書はここに矛盾があるので信用すべきでないという。 創世記、ヨブ記、ヨハネの黙示録。 矛盾しているものに対して論理的に説明することができる。 サタンのヘブライ語の定義。 それを翻訳者がどう解釈したのかに関係がある。 創世記3章には悪魔、サタンと

          サタンとは何者か

          夕暮れ時に光がある

          変わることのない真実を語り続けるゼカリヤ。 バビロン捕囚から帰ってきた民は、生活が変わらないことに不満を募らせていた。 この時代の様子は、現代の日本や世界の状況と似ているところがあるかもしれない。 核兵器問題、難民問題、感染症問題。経済も混乱し、異常気象の中にある状態。 クリスチャンである私達も生活に不安を覚えることがあるのではないだろうか。 仕事とのこと、家庭のこと。 しかしゼカリヤ書は、困難の中にあっても賛美をして、神に喜ばれるように生きることを教えている。 神の

          夕暮れ時に光がある

          貧しさとは何か

          貧しい人が祝福される。これは、福音の原点である。 では貧しくならないと祝福を受けることができないのだろうか? お金を持っているかということよりも、私達は元々貧しさを抱えながら行きている、ということをイエスは語っている。 生まれながらのコンプレックス、取り返しのつかない過去の失敗。 それを、「私は知っているよ」とイエスは語る。 私達の前には、その貧しさを告白することができる。 その貧しさに気づいた時、イエスへの道が開かれていく。 自分は何でも出来ると思っていると、イエ

          貧しさとは何か