神の細い声を聞く
親愛なる兄弟姉妹の皆様、今朝は共に主の御前に集えることを感謝いたします。今日は、旧約聖書の列王記上19章から、預言者エリヤの物語を通して、私たちの人生における神様の声の重要性について考えてみたいと思います。
エリヤの逃亡
まず、この物語の背景から見ていきましょう。エリヤは、バアルの預言者たちとの対決で大勝利を収めたばかりでした。神様の力強い働きを目の当たりにし、850人もの偽預言者たちを打ち負かしたのです。しかし、その直後に起こった出来事が、エリヤの人生を大きく揺るがすことになります。
列王記上19章1-2節にはこう記されています。
イゼベルという一人の女性の脅しの言葉が、神の力強い働きを目の当たりにしたばかりのエリヤの心を恐れで満たしてしまったのです。彼は立ち上がり、自分の命を救うために逃げ出しました。ユダのベエル・シェバまで逃げ、そこから更に一日の道のりを荒野へと進んでいきました。
この光景は、私たち自身の人生にも当てはまることがあるのではないでしょうか。神様の恵みを強く感じ、喜びに満ちていた時でさえ、たった一言で心が揺らいでしまうことがあります。日曜日に教会で神様の愛を感じたのに、月曜日の朝、職場の同僚の一言で一週間を台無しにしてしまう。そんな経験をしたことはありませんか?
私たちは時として、エリヤのように逃げ出してしまいます。神様の恵みをすっかり忘れて、遠く離れてしまうこともあるでしょう。しかし、神様は私たちをそのような状態で放っておかれません。
神様の優しい配慮
エリヤが荒野で絶望し、死を願っていた時、神様は彼に対して非常に優しい態度で接してくださいました。列王記上19章5-7節を見てみましょう。
神様は、エリヤの落胆した状態を責めることなく、まず彼の肉体的なニーズに応えられました。食べ物と水を与え、休息を取らせたのです。これは私たちに対する神様の姿勢を表しています。私たちが落ち込んでいる時、神様は私たちを責めることなく、まず基本的なニーズを満たしてくださるのです。
時として、私たちは自分の弱さや失敗を恥じ、神様から顔を背けてしまうことがあります。しかし、神様は常に私たちのそばにいて、「起きて、食べなさい」と優しく声をかけてくださるのです。神様は私たちの全人格的な回復を望んでおられます。肉体的にも、精神的にも、霊的にも健康であることを願っておられるのです。
神様との出会い
エリヤは神様からの養いを受けた後、40日40夜歩いて神の山ホレブに到着します。そこで彼は洞窟に入り、一夜を過ごしました。そして、神様との特別な出会いが待っていたのです。
列王記上19章11-13節を読んでみましょう。
エリヤは強風、地震、火の中に神様を探しましたが、神様はそれらの中にはおられませんでした。しかし、「かすかな細い声」の中に神様はおられたのです。これは私たちにとって非常に重要な教訓です。
私たちは時として、人生の荒々しい出来事や劇的な経験の中に神様を探そうとします。しかし、神様は多くの場合、静かに、穏やかに私たちに語りかけてくださるのです。その声を聞くためには、私たちの心を静め、注意深く耳を傾ける必要があります。
今日の世界は、様々な声や音で満ちています。スマートフォンの通知音、ソーシャルメディアの絶え間ない更新、24時間ニュース、そして日々の忙しさ。これらの喧騒の中で、神様の「かすかな細い声」を聞き逃してしまうことがあるのではないでしょうか。
私たちが本当に神様の声を聞きたいと思うなら、意識的に静かな時間を作り、神様の御言葉に耳を傾ける必要があります。毎日の聖書読解や祈りの時間を持つこと、そして教会に集って共に礼拝をささげることは、神様の声を聞く上で非常に重要です。
神様からの励まし
エリヤが神様の声を聞いた後、神様は彼に重要なメッセージを与えられました。列王記上19章18節にはこう記されています。
エリヤは自分一人だけが残されたと思い込んでいましたが、実際には神様に忠実な7000人もの人々がいたのです。これは私たちにとっても大きな励ましとなります。
時として、私たちは自分一人だけが信仰を持ち続けているように感じることがあるかもしれません。周りの人々が神様から離れていくように見え、孤独を感じることもあるでしょう。しかし、神様は常に忠実な者たちを残しておられるのです。私たちは決して一人ではありません。
教会に集うことの重要性がここにあります。私たちは共に集い、互いに励まし合い、神様の声に耳を傾けるのです。一人では聞き取れなかった神様の声も、兄弟姉妹と共にいることで、より明確に聞こえてくることがあります。
日々の生活の中で神の声を聞く
この一週間、皆さんが日々の生活の中で神様の声に耳を傾けることができますように。忙しさや騒がしさの中にあっても、静かな時間を作り、神様との親密な交わりを持つことができますように。そして、教会という共同体の中で、互いに励まし合い、共に神様の声を聞く者となれますように。
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