イエスの証人として生きる

1. 奇跡の現場

生まれつき歩くことができなかった人が、ペテロとヨハネによってイエスの名によって癒された場面。40年以上歩くことができなかった人が、突然歩き始めたのです。これは驚くべき出来事でした。

その人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々が皆、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに一斉に駆け寄って来た。

使徒の働き3:11

ソロモンの回廊とは、エルサレム神殿の東側にある場所でした。考古学的な研究によると、柱廊のある開けた空間だったようです。この場所は、使徒の働き5章でも再び登場し、初期の教会のメンバーがよく集まっていた場所として紹介されます。

2. ペテロの反応

多くの人々が驚きのあまり集まってきた時、ペテロはどのように反応したでしょうか。

これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん。どうしてこのことに驚いているのですか。また、どうして、私たちが自分の力や信仰深さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」

使徒の働き3:12

ここにペテロの証人としての生き方が示されています。人の手柄を自分の手柄のように語ることは、この世界ではよくあることです。しかし、ペテロは違いました。彼は自分の力ではないと明確に述べたのです。

3. 神の栄光を現す

ペテロは続けて、この奇跡が誰の力によるものかを説明します。

アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。しかしあなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。

使徒の働き3:13

ペテロはここで、出エジプト記3章を思い起こさせるような言葉を使っています。神がモーセを召し出した時の場面です。年老いたモーセを選び、世界最強のエジプトに立ち向かわせた神は、今もなお働いておられるのです。

4. 人間の限界と神の力

ペテロは、人間の限界と神の力を対比させて語ります。

あなたがたは、聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を釈放するように要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。

使徒の働き3:14-15

ここでペテロは、人間の判断の誤りと神の正しさを対比させています。人々は正しい方を拒み、罪人を選びました。しかし、神はその正しい方をよみがえらせたのです。

5. イエスの身代わりの死

ペテロの言葉には深い意味があります。イエスはバラバの身代わりになっただけでなく、私たち一人一人の身代わりになってくださったのです。聖書は私たちに語りかけます。「あなたの代わりに私が十字架にかかろう」と。

私たちが苦しみのどん底にいたとしても、イエスは私たちを一人にはしません。彼は私たちのところに来て、私たちを背負ってくださるのです。これが聖書の神の姿です。

6. 信仰の力

最後に、ペテロは信仰の力について語ります。

この方の御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが見て知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、あなたがた全ての前でこの人を完全に治したのです。

使徒の働き3:16

ここで重要な点は、信仰が私たちの力や努力によるものではなく、イエスによって与えられるものだということです。信仰とは、自分の頑張りではなく、神の確かさに信頼することなのです。

おわりに

40年以上歩くことができなかった人が、イエスの与える信仰によって癒されました。彼は社会の底辺で生きざるを得なかったかもしれません。人々からは神に見捨てられた人と思われていたかもしれません。しかし、神は彼を顧みられ、癒しと恵みを与えられたのです。

私たちの日々にも、不安や心配が尽きないことがあるでしょう。しかし、たとえそのような時でも、主なる神が共にいてくださいます。イエスの証人として生きるとは、自分の力や能力を誇るのではなく、神の栄光を現すことです。

私たちも、ペテロのように、神の力と恵みを証しする者となりましょう。そして、イエスによって与えられる信仰に頼り、日々の生活の中で神の栄光を現す者となりましょう。

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