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「お客様をもっと信頼していいと思うんです。ルールで縛るより、学芸員さんの考え方を伝えるほうが、この美術館らしい姿かと」

生意気な言い方になりますけど、と監視スタッフのチーフが、力強くそう言い切った。ハッとして、じわーとなった。年明けオープンの担当展「器と絵筆―魯山人、ルソー、ボーシャンほか」の仮図面を手に相談しに行ったときのこと。展示室内の写真撮影、という懸案についてだ。とても大事なことがてんこ盛りなので、いつも以上にていねいに書いておく。


展示室での撮影どうする?

ここ5年ほどのあいだに、信じられない勢いで「美術展での撮影OK」の大波に多くの美術館が飲み込まれることになった。6月に一瞬で炎上し、初回で打ち切りになった某新聞社の連載「美術館女子」も、この「撮影問題」のバリエーションのひとつでもあった。完璧に対応しきれている館は、まだない。ものすごく「成功」しているように見えるところでも、まだまだ試行錯誤だと思う。

※「美術館女子」について書いた6月の日記&その後の追記はこちら↓


私が務める館は、基本的に「展示室内は撮影NG」。多くの場合に著作権上の問題があるのと、「じっくり集中して見たいお客様を優先したい」という(これまでごく当たり前だった)方針があるからだ。メディア共催の大型展では、展示室以外のどこかに、どうにかフォトスポットを設ける。大型展じゃなくても、そういうものの設置に積極的な同僚などは、エントランスに撮影OKな作品や、作品画像シートを登場させることもある。

私はといえば、エントランスはエントランスとして美しい空間なので、そのまま見せたい派であり(しかしコロナ以後は悲惨な状態だ)、展覧会についていえば、エントランスから展示室に向かう通路にいつも設置する大看板をいい感じにデザインすれば、それを撮ってそれなりに満足して帰る人は多いのでは、と思ってきた。↓

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ところで、この夏に副担当として関わった企画「作品のない展示室」。展示物のない空っぽの空間は、撮影OKにした。いい空間だから多くの人が撮りたくなる(私もたくさん撮った)。SNSには次々と写真がアップされ、自然発生的に「#作品のない展示室」が現れて話題をよび、「SNSで知って来てみた」人が9割、「初めて訪れた」という人が5割、というアンケート結果も出た。コロナ時代のSNSの起爆力。

私自身は、写真の投稿数よりも、付随するテキストの質の高さに、注目していた。さっと撮って単にアップする、という人より、撮りながら見つめて、いろんなことを感じて、ていねいに考えた言葉も添えてアップしている人が多かったと思う。それが面白かったし、多くの人が「見て感じて考える」場として美術館が機能するなら、それが何よりだと思っていた。↓


そもそも、展示室をどういう空間にしたいか?

さて、一般の作品展示にはほぼ全く向いていない、「自然光が入る大窓がたくさんある部屋」としてのセタビの展示室が、私はとても好きである。内と外がゆるやかにつながる空間になるのがいい。だから、窓を開けるのにふさわしい(かつ物理的に可能な)作品を展示するときは、ぜひとも開けたい。5年前のブロンズ&鉄彫刻の展覧会では、こんな空間をつくった。↓

フリオ・ゴンサレス展会場(スマホ撮影)


そして夏の「作品のない展示室」。非常事態から生まれた企画だったが、まさに「空間そのものを味わう」ことを、無理なく自然に、たくさんの方に意識してもらい、楽しんでいただく場になった。ほかならぬ私自身が、たくさんの気づきと喜びを得た。

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だからこそ、次の「器と絵筆」展では、今度は作品がある状態で、あらためて、「空間の良さを味わえる」機会を提供したいのだ

展覧会の前半は、北大路魯山人の陶磁器。左の画像のような作品が出る。↓


陶磁器なら、紫外線の問題はクリア。それらを、冬の光が射す空間で、ゆったりと見せてみたい。うまくいくかはわからない。もしかしたら、作品に集中しにくいかも・・・と、ある先輩は忠告してくれた。でも試してみたらいい、とも。

そこへ別方面から出てきたのが「撮影問題」である。魯山人の作品は著作権が切れている。撮影自体に問題はないね。しかも再び窓を開けるんなら、それはもうぜひお客さんに撮影してもらいたいね、という意見。ふだんSNSをやってなさそう(&写真もあまり撮ってなさそう)な人も、なぜか熱心に推してくる。

どうやら最近、当館を応援するために「世田谷美術館はこれからもフォトスポットを!」と区議会で提言した議員さんがいたようだ。誰もがよかれと思って一生懸命に動いているなら、そのこと自体はありがたい。いろんな方面からの思いも含めて、今回はどうするか。作品を危険に晒さず、作品を見ることに集中したい来場者を不快にさせず、かつ写真を撮りたくなる気持ちにも道すじをつけるには?


現場スタッフにきくのがいちばんいい

自分なりの案を考えたら、現場を預かっている人の感触を聞きにいくのがいちばんだ。展示室の監視スタッフである。よほどのことがないと「イヤです」「できません」とは言わない。学芸員の要望や指示を、できる限り実現することを職務と心得ているプロなのだ。私は何かと彼女たちに話しかけては、アイディアをもらっている。

「器と絵筆」展の仮図面を挟んで、監視スタッフのチーフと向き合う。まず空間づくりの意図とイメージを伝えると、素敵!と喜んでくれる。で、撮影問題を出す。


魯山人は著作権切れてるし、せっかく窓も開けるから、そこは撮影OKにしたら、という意見が出てるんだけど。お客さんはどう動くと思う?

しばし沈黙。


・・・魯山人を撮影OKにすると、ほとんどのお客様はブツ撮りをされると思います。それも接写。ガラスケースにくっつくようにして、自分なりの小さな発見ができないかなと探して、作品の細かいところを撮るのを楽しまれると思います。どの展示ケースにもそういう方が張り付いていらっしゃる、という図になるでしょうか。その光景は、残念ながら、塚田さんがイメージされるような「ゆったりと美しい空間」にはならないと思います。お客様がケースにぶつかる可能性も高いです。


なるほどまったくだ。絵的にぜんぜん美しくない笑。しかも危険。そういえば昨年は、撮影OKから一転してNGに変えざるを得なかった館もあったっけ…。

※以下はその「一転」をめぐって書かれた記事。提案部分も含めて役立つ↓


そうか、じゃあ、いいことないね。じゃあせめて、いくつか限られた立ち位置からの撮影はOK、というのはどう?「ここからは撮影いただけます」って表示出して。まあそういう表示をあちこちに出すこと自体、空間が壊れてイヤなんだけど。でも館内の意見もあるし、お客さんだって撮れるなら撮りたいだろうし、と私。

大きな表示はイヤですよね、展示の雰囲気を壊しますね。と眉をひそめるチーフ。非常にまっとうな感覚である。


「サービスというより考え方の共有でしょうか」


ふと、チーフが口をひらく。塚田さんご自身はどうなんですか?

うん、私はねえ、今回の場合は、ブツ撮りに走ってほしくない。撮影OKにしてそうなったら、それは本意じゃない。空間そのものに注目してもらうきっかけになるんだったら、撮影してほしいと思うんだけどね。作品というモノも見てほしいけど、作品のある空間も感じてほしい。うちの館は「作品のない展示室」でせっかくそういう機運が生まれたんだから、その続きとしての撮影というか。でも多くの人がブツ撮りしたいんなら、こういう思いにもあんまり意味がないのかな?


チーフ、ここできりりとした顔に(マスクでほとんど見えないけど)。

そういうことでしたら、私たちは喜んでご協力します。チケットをもぎる入り口で、今回の撮影OKの意図をお客様にあらかじめ説明できます。その時にお渡しできる小さなマップなどをご用意いただけたら、展示室には雰囲気を壊すほど大きな注意看板もいらないです。

そもそもセタビにいらっしゃるお客様は、他の美術館と違って、学芸員さんの考え方に興味がある人が多いと思うんです。展示の意図などもよく質問を受けますし。考え方を知って、理解しようとしてくださいます。「モノじゃなくて、空間を撮ってみてください」という考え方のメッセージを出すのは、とてもポジティブです!


・・・そうか。そうなんだ。そうだね。と、ものすごく感心しているところへ、とどめの言葉が。それが今回の記事タイトルのもとになった。

「お客様をもっと信頼していいと思うんです。生意気な言い方ですみません。でも、あれはだめ、これはだめ、これだけならいい、とルールで細かく縛るような言い方ではなくて、学芸員さんの考え方をどんどん伝えるほうが、この美術館らしい姿だと思います。いわゆるサービスというより、考え方の共有?ともかく大丈夫です!」

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うんうん、うんうん、と私はたくさん頷いて、ありがとう、ものすごく励まされた、ありがとう、とお礼を言って、デスクに戻った。付箋にすぐにメモした。忘れたくないので写真も撮った。現場スタッフの凄さを、思い知った日。










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